20年前、あの子は棺の中で眠っていた 校長の使命感と同級生の選択

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佐藤道隆 仙道洸 周毅愷

廊下にはいまも有山楓さんの遺影などが飾られている。奥は後藤誠司校長=2024年11月15日午前、奈良市立富雄北小学校、水野義則撮影

 教師たちは通学路に立った。命の大切さを伝える学校集会も始めた。その背中を追って、同級生の一人は教職の道を進む。20年前、下校中に誘拐され、突然命を奪われた少女のことが胸にある。

期待砕いた悲報 でも、やるべきことがあった

 「娘が帰ってこないんです」

 奈良市立富雄北小学校に1本の電話があった。小学1年だった有山楓(かえで)さん(当時7)の母親から。2004年11月17日。午後5時を過ぎていた。

 教師たちは総出で、楓さんを捜し始める。6年生の担任だった後藤誠司さん(61)も、空き地や畑で「楓ちゃん」と叫んだ。まだこの時は、友達の家にいたとかで帰ってこないかな、そんな期待も頭の片隅にあった。

 日付が変わって午前3時ごろ、携帯電話が鳴る。学校に駆けつけると、「遺体が見つかった」と伝えられた。職員室は、すすり泣く声や嗚咽(おえつ)であふれた。

 でも、まだ犯人は逮捕されていなかった。朝になれば、児童が登校してくる。

 その日から教師たちは校門を出て、通学路へと散った。保護者や地域の人らとともに、児童の登下校に付き添う日々が始まった。

登校する奈良市立富雄北小学校の児童たち=2024年11月15日、奈良市、水野義則撮影

 子どもたちの表情も不安そうだった。1カ月半ほど後に犯人とされる男は逮捕されたが、教師たちが登下校の見守りをやめることはなかった。

 翌年からは事件のあった11月に、命の大切さを考える学校集会を開くようになった。

 後藤さんは08年に異動で富雄北小をいったん離れたが、二つの小学校を経て、19年に校長として戻った。

 その年の11月、初めて校長の立場で命を考える集会を開いた。必死に練った言葉を児童たちに伝えた。

遺族の言葉に突き動かされて

 その後、一人の男性が訪ねてきた。

 楓さんの父親、茂樹さんだっ…

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