万博で終わらない未来を──スイスパビリオンが紡ぐ閉幕後のシナリオ

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10月13日に閉幕する大阪・関西万博。スイスパビリオンの「サイエンス・ブレークスルー・レーダー」は、描かれた未来を無駄にせず、わたしたちが理想の時代を手にするためのツールとして機能し続ける。
PHOTOGRAPH BY MISA SHINSHI

10月13日に大阪・関西万博は閉幕するが、会場に散りばめられた膨大な「未来の片鱗」を、わたしたちはこれからいかに生かしていけるのだろうか? 莫大な費用を投じて大屋根リングを残すか否かといった議論ばかりが目立つ状況を見ると、万博で描き出された未来の多くが使い捨てられてしまうのかもしれない、とすら思えてしまう。

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これから問うべきは、描かれた未来への道筋ではないだろうか。 気候変動や資源の制約など、さまざまな課題が山積するこの世界から見える未来は、1970年の大阪万博が描いたそれとは大きく異なっているはずだから──。本記事では、描かれた未来を使い捨てにせず、実装に向けて役立てようとするスイスの取り組みを紹介する。

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スイスパビリオンでは、ジュネーブ科学外交予測財団(GESDA)が手がける常設展示「サイエンス・ブレークスルー・レーダー」を設置している。

タッチスクリーン上で「誰のための未来なのか?」といった問いに答えていくと、生成AIがビジュアルとテキストで未来の物語を提示するインタラクティブコンテンツだ。ローザンヌ連邦工科大学(EPFL)と協力し、プロンプト・エンジニアリングを駆使して制作した未来予測のツールとして機能している。

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「わたしたちの取り組みは、いわゆる未来の予言ではありません」。そう話すのは、GESDAのサイエンス・アンティシペーター事務局長のマーティン・ミュラーだ。そのユニークな肩書きを直訳すれば、「科学予測者」になる。ミュラーは「予言は全知全能を装いますが、GESDAの予測は常に不確実性を前提にしています。つまり科学的な思考にもとづいた科学の未来なのです。あくまでこういう可能性があるのだと、社会に共有しているのです。こうした予測は謙虚で、そこが予言的な未来との最大の違いでしょう」と説明する。

予言とは、ひとつの未来を断定的に示すもの。権威によって予言される未来が使い捨てられてきた様をわたしたちは何度も目にして、いまにたどり着いている。一方、GESDAの未来予測が提示するのは「可能性の物語」だ。

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科学者が署名する未来

「サイエンス・ブレークスルー・レーダー」は、もともとGESDAが毎年発行している刊行物であり、42トピックにわたる最新の科学とテクノロジーの動向と、5年・10年・25年先に起こりうるブレークスルーを予測している。その構成は、国際連合の機関とも頻繁に連携するGESDAならではの骨太なものだ。

まず、その内容を支えているのは、1,500人を超える研究者コミュニティの知見である。作成プロセスとしては、まず量子技術や人間拡張といった科学的に注目すべきテクノロジーを5つのトピックに分類している。そして科学者の知見をもとに、5年・10年・25年という時間軸のどこでブレークスルー、つまり狭義のイノベーションが起こるかを予測していく。

続いて、それを「サイエンティフィック・モデレーター」と呼ばれる84人の研究者たちがレビューし、科学的妥当性と信頼性を緻密に検証する。最終的なレポートには執筆者はもちろん、レビューに携わった研究者の氏名も記載される。匿名的な予測ではなく、科学者たちの知見と責任によって裏打ちされた「署名つきの未来」が、こうして生み出されるのだ。

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「科学者たち自身が内容を作成し、署名をし、責任をもつ。このプロセスがあるからこそ、レーダーは外交官や政策決定者、慈善団体、企業、市民社会が議論の土台にできる予測になるのです」とミュラーは話す。

アップデートも大掛かりだ。2021年から23年にかけては307人の専門家がワークショップに参加し、更新すべきポイントを洗い出した。常に現在進行形の未来予測であり続けるための仕組みが、そこにはある。

「こうしてわたしたちの予測は、未来を占う予言とは一線を画す、アクションのための“座標軸”になるのです」とミュラーは揺るぎない口調で語った。

人類のための量子コンピューター

サイエンス・ブレークスルー・レーダーは、単なる未来予測のカタログでは終わらない。GESDAにとって重要なのは「行動」だ。つまり、未来は実装を見据えることで意味をもつ。その象徴的な成果が「Open Quantum Institute(OQI)」の設立である。

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雑誌『WIRED』日本版「Quantumpedia:その先の量子コンピューター」でインタビューを収載しているOQIは、量子コンピューターを人類共通の課題解決に活用することを目的とした国際的なプラットフォームだ。拠点は、現代物理学の殿堂である欧州原子核研究機構(CERN)にある。

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先端テクノロジーが生み出す利益を特定の国家や企業が独占するのではなく、国際機関や研究者、市民社会が参加できるかたちで展開し、気候変動や健康といった地球規模のテーマに量子計算を応用することを目指している。いわば、量子テクノロジーを「公共財」として扱い、科学と外交を橋渡しするための仕組みだ。

4年前に公開したレーダーの初版では、作成にあたり量子テクノロジーの未来を見通す特別委員会が設けられ、公共セクターと民間双方の科学者が参加。議長はマイクロソフトの量子コンピューティング部門の責任者で、理論物理学の教授経験をもつマティアス・トロイヤーが務め、量子テクノロジーがもたらしうる社会的インパクトについて議論が重ねられたという。

そのプロセスを経て導き出された共通認識が「量子コンピューターを持続可能な開発目標(SDGs)のために開放すること」で、それを具体化したものがOQIだった。発足以来、OQIは国際社会から注目されている。公共機関、学界、そして民間企業が次々に参画を希望し、具体的な量子コンピューターのユースケース開発や教育プログラムが実装段階へと進んでいる。

現在、日本を含む各国とのパートナーシップの拡大に取り組んでおり、すでに「Q-STAR(一般社団法人量子技術による新産業創出協議会)」との連携も進められている。OQIはまさに、予測を社会実装へと転換するための「生きた実験場」なのだ。

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ともに描くために

「わたしたちの役割について誤解してほしくないのは、このテクノロジーはよい、あのテクノロジーは悪い、と判断するわけではないという点です。それは国連や各国政府、市民社会の役割で、わたしたちが注力しているのは、科学的知見を体系的にマッピングし、その上で生産的な議論を可能にする基盤を整えることです」と、ミュラーは念を押す。GESDAにとって未来は押しつけるものではなく、「ともに描き出すもの」というわけだ。

「文化や価値観が異なれば、望ましい未来の定義も異なります。だからこそGESDAは、一方的な結論の押しつけを避けているのです。そのため万博では、生成AIによるビジュアルと短い物語を組み合わせ、来場者が自ら未来を想像できるように工夫しました」とミュラーは振り返る。

来場者が示す反応──楽観か悲観か、どんな未来を望むのかは、GESDAにとって貴重なデータとなり、次なる対話や政策議論の糧になる。

「閉幕後、未来を与えられるものではなく、ともに描き出すものとして捉えてほしい。わたしたちの願いはそこにあります」

GESDAは次なるアクションを早くも動かしており、10月中に開催するサミットでは、脳をテーマとする「ニューロフューチャーズ・イニシアティブ」の計画を提示予定だという。

スイスパビリオンで展示された未来は、万博で終わらない。わたしたちの前に広がるのは、あらかじめ決められた未来ではなく、ともに描き出す余白のある未来なのだ。

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(Edit by Erina Anscomb)

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