「あまりにも多くを失った」 戦争開始から2年の犠牲を見つめるパレスチナ人たち

画像提供, EPA

画像説明, ガザ市ではここ数カ月、何十万人ものパレスチナ人がイスラエル軍の攻撃から逃れている(6日)

ラシュディ・アブアルーフ・ガザ特派員(トルコ・イスタンブール)

「この2年間で、私は本当に多くを失った」とイマーン・アル・ワヒディさんは語った。

アル・ワヒディさんは現在、借りたガレージで生活しており、毎日、食料と清潔な水を探すことに苦労している。これまでに何度も避難を余儀なくされてきた。

アル・ワヒディさんの息子のジハードさんは昨年初め、ガザの路上でイスラエルの空爆に巻き込まれた。その2日後、ジハードさんは内出血で死亡した。17歳だった。

「私はジハードを失った」と、アル・ワヒディさんは語った。「破壊された自宅も失った。戦争前に私たちが送っていた美しい生活のすべてを失った」。

ソーシャルメディアには、アル・ワヒディさんと同じように、自分たちの生活への影響に思いを巡らせるパレスチナ人の投稿が相次いでいる。2023年10月7日、ガザのイスラム組織ハマスがイスラエルに対して前例のない攻撃を行ったことで始まった戦争で、ガザに住む200万人以上の人々の生活が引き裂かれた。

投稿では、戦争で殺された親族、避難に成功した人々、かつて暮らしていた家の廃墟などの写真や映像が共有されている。これらは、ガザの現代史を一変させた紛争によって打ち砕かれた生活の断片だ。

現在、ガザで交わされるほぼすべての会話では、「戦争はいつ終わるのか」という、明確な答えのない、長く続く問いが響いている。

エジプトで行われているハマスとイスラエル代表団による間接的な和平交渉では、ドナルド・トランプ米大統領が提示した和平案を中心に、慎重に受け止める必要はあるものの、進展の兆しが見られている。にもかかわらず、希望を抱く人はほとんどいない。

多くの人々が、ハマスに対してこの合意案を受け入れるよう求めている。人々は、死に、避難に、飢えに、ただ疲れ果てているのだ。

また、ハマスがガザの人々の命よりも、自らの存続を優先しているとの見方が広がっている。

2年が経過した今、ハマスを根本から擁護する忠誠派と、終わりの見えない破壊と絶望に耐えかねて戦争に疲れ果てている多数派住民との分断は、かつてないほど深まっている。

活動家のモハメド・ディアブさんはソーシャルメディア上に、「10月7日は、我々の民の歴史における暗黒の日だ」と投稿した。

人権活動家のハリル・アブ・シャマラさんは、自分が「政治的偽善」と呼んでいる、一部のパレスチナ派閥に見られる姿勢を批判した。

「23カ月にわたる破壊の間、こうした派閥は、政治においても、救援活動においても、民意の尊重においても、真の国家的立場を示していない」と、アブ・シャマラさんは述べた。

私自身も含めたガザの多くの人々は、戦争が丸2年も続くとは想像していなかった。

2023年10月7日の朝、私は子どもたちを学校へ送るために車を運転しようとしていた。そのとき、ハマスが発射した最初のロケット弾が空を飛ぶのを目撃した。

その直後、ハマスの戦闘員が分離フェンスを越えてイスラエル側へ侵入する映像が、ソーシャルメディア上に投稿されたのを見た。

後に、ハマス主導の攻撃の規模が明らかになった。1200人が殺害され、251人が人質としてガザへと連れ込まれた。

数時間のうちに、パレスチナ人たちは、イスラエルがこれまでにない報復作戦を開始することを悟った。

ハマスが運営するガザ地区の保健省によると、それ以降、6万7000人以上が殺されている。同省の統計は、国連やその他の国際機関によって正確なものとして広く受け入れられている。

また、国連によれば、ガザ全域で住宅の90%以上が損壊または破壊されている。

画像説明, アル・ワヒディさんは戦争初期に仮設の学校を設立した

アル・ワヒディさんは戦争初期、家族と共にガザ中部のデイル・アル・バラフへ避難し、仮設の学校を設立した。ガザの多くの子供たちは、アル・ワヒディさんの子供たちと同様、教育を受けられなくなっていた。

アル・ワヒディさんは、ガザを離れて英グラスゴー大学で学ぶことができた長女を誇りに思っている。

今年初めの停戦期間中、アル・ワヒディさんはガザ市の自宅に戻った。しかし先月、イスラエルの進軍により、再び3人の幼い子どもたちと共に避難を余儀なくされた。

夫は、高齢の両親の世話をするために南部への移動を断念し、現地にとどまった。

「夜が来ると、恐怖も一緒にやってくる」と、アル・ワヒディさんは語った。「私と3人の子どもたちは空爆を恐れている。夜はずっと一緒に寝て、お互いを抱きしめている。特に一番下の子は、夜通し私に頭を乗せている」

アル・ワヒディさんは、この戦争は終わりが見えないもののように感じられると話した。

「1カ月、2カ月、3カ月で終わると思っていた。2年はあまりにも長い」

「いつも、何が起きたかを知るためにニュースを見ている。そして私は、この停戦が完了しないのではないか、戦争がまた戻ってくるのではないかと恐れている」

関連記事: