コオロギ食はなぜ嫌われたのか。科学では超えられない「食の抵抗感」の正体(BUSINESS INSIDER JAPAN)
2024年以降、グリラス、クリケットファーム、バグモなど、日本国内で「食用コオロギ」を扱うベンチャー企業の廃業が相次いでいる。栄養価が高く、環境負荷も低い──国連も推奨する「正しさ」をまとい、数年前まで大きな注目を集めていた「昆虫食」は、なぜ突然曲がり角を迎えたのか。その背景には、新技術を用いて作られた「食」が社会に普及するうえで避けては通れない根源的な課題がある。 【全画像をみる】科学では超えられない「食の抵抗感」。新しい食材は、なぜ嫌われてしまうのか 消費者心理や感覚マーケティングを専門とし、「食」にまつわる心理を研究する東京大学大学院経済学研究科・講師の元木康介氏は、 「身体に取り込む“食”は、消費行動のなかでも特殊です。嫌悪感や安全性への懸念など、そこにある心理的特性を踏まえなければ、代替食品を普及させるのは難しいでしょう」 と語る。 フードテックの未来を左右する、新たな食に対する根源的な「抵抗感」とは何か。そして、企業はこの「感情の壁」をどう乗り越えればよいのか。
国際的に「昆虫食」が脚光を浴びたきっかけは、2013年に国連食糧農業機関(FAO)が発表した報告書の中で、将来的な食糧危機に対し、「昆虫」を新しい食料源として推奨したことだとされる。 昆虫は、牛肉や豚肉と比べても栄養価が高く、飼育の効率性も高いスーパーフード──SDGsの文脈で「エシカル消費(社会課題や環境保全に配慮した倫理的消費)」の気運も高まるなかで、昆虫食は産業としても成長していった。調査機関ごとに差はあるものの、日本能率協会総合研究所による2020年の推計では、市場規模は2019年度の70億円から2025年には1000億円に到達するとも予測されていた。 実際に、2020年前後には日本でも、冒頭にあげたグリラス(2019年創業)、バグモ(2018年創業)、クリケットファーム(2021年創業)のほか、現在も事業を続けるフューチャーノート(2019年創業)など、コオロギ食を扱うフード・テック・ベンチャーが続々と誕生。 良品計画がグリラスと共同開発し、2020年に販売した「コオロギせんべい」が大ヒットしたほか、ニチレイがタケオ(昆虫食の草分け的企業)に出資し、カルビーがフューチャーノート主催の「コオロギレシピグランプリ」に協賛するなど、大手食品メーカーが参入する動きも現れ、昆虫食への期待の高まりがうかがえた。 日本国内で、その空気が一変したのは、SNSを中心とした炎上騒動だ。2022年11月にグリラスのコオロギパウダーを使った給食が徳島県の高校で提供されたことが報じられると、賛否両論が巻き起こった。2023年3月には大手製パン会社の敷島製パン(Pasco)が発売開始した「コオロギパン」を巡り、これもまたSNSを中心に大きく炎上。一部では不買運動にまで発展した。 そもそも昆虫は普及のハードルが高い食材だ。 「食の消費受容度を測る研究は数多く行われていますが、いずれも昆虫食の受容度はさまざまな代替タンパク質の中で最も低い結果になる。これは環境意識が高いとされるヨーロッパ諸国でも同様で、昆虫食を代替として食べたい、食べたことがあると回答した割合は、ともに20%未満だったというデータもあります。 しかも、大規模な国際比較調査によれば、日本は受容度が低いエリアに入っています」(元木氏) 元木氏は、「新たな食の受容」について研究するなかで、「プラス因子」と「マイナス因子」のせめぎ合いによって、人が食を受け入れられるかどうかが決まるというモデルを基に、心理メカニズムを分析している。 研究のなかで見えてきた主なプラス因子は「好奇心」だ。 「一時はメディアが『昆虫食』を盛んに取り上げ、政治家の発言から芸能人が食べる姿までポジティブに報じていました。こと日本においては、エシカル消費的な意味合いで需要が生まれたというより、『話題だし食べてみようかな』と好奇心を持つ人が生まれたことで、一時的なブームにつながった可能性があります」 そこから炎上騒動を発端にネガティブな報道が増え、やがて注目自体が薄れだすと、「食べてみよう」と思うきっかけも減る。一般に消費者が食品を選ぶうえで重視するのは、味、価格、健康性、手軽さといった「個人的なベネフィット」だ。もちろん人にもよるが、環境配慮や動物福祉といった「社会的なベネフィット」は多くの場合、副次的な要素にすぎない。 もし好奇心からコオロギ食を手に取った人が、「おいしい」と感じていたら、継続的な購入へとつながる可能性があるが、各種調査を見ても、昆虫食はこの「個人的なベネフィット」、特に「おいしさ」のスコアが現状では必ずしも高くないという。 「『代替食』という言葉が示す通り、消費者は既存食を選ぶこともできる。『あえて選ぶ』だけのベネフィットを感じさせられなければ、消費行動を変えられないという課題は、代替食品全般に付いて回ります」