研究室で生み出された「鏡像生命体」が、制御不能な危機を招くと科学者らが警鐘

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 研究室で人工的に作られた「鏡像生命体(ミラーライフ)」が、もし自然界に流出すれば、人間や環境に取り返しのつかない被害をもたらす可能性があると、科学者たちが警告している。

 鏡像生命体とは、分子の向きが私たちの生命とは左右反対になっている人工の生命体のことで、免疫系に見つからずに体内で増殖したり、生態系を破壊したりする危険がある。

 技術の進歩によって、今後10年以内に現実化する可能性もあり、国際的な規制を求める声が高まっている。

 鏡像生命体(ミラーライフ:Mirror Life)とは、我々の体を作る分子とは左右が反対の構造を持つ分子で作られた人工の生命体である。つまり、生命の基本ルールを反転させた、まったく新しいタイプの存在だ。

 この「左右の違い」は、キラリティーと呼ばれる性質による。日本語では「対掌性(たいしょうせい)」ともいい、あるものが自分の鏡に映った姿と重ね合わせられない性質のことで、物理学や化学、生物学の重要な概念の一つになっている。

 わかりやすい例として、人間の左右の手がある。右手と左手はよく似ているが、重ねると形が合わない。これがキラリティーの代表的な例である。

 地球上の生命は、数十億年前からこのキラリティーのルールに一貫して従ってきた。具体的には、DNAは右手型、タンパク質は左手型の分子だけを使っている。

 これは自然界の生命すべてに共通する“暗黙の決まり”のようなものだ。

 しかし鏡像生命体は、この決まりを人工的に逆転させる。右手型のタンパク質と左手型のDNAで構成された細胞を、実験室で一から組み立てようという試みだ。

 つまり、分子のレベルで“鏡写し”にした生命体を作るということになる。

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  鏡像生命体の研究は、もともと医療技術としての活用が期待されて始まった。特に注目されたのは、「免疫に見つからない分子」という性質だ。

 たとえば、アレルギーを起こさない薬や、拒絶反応のない臓器移植など、免疫の働きをかいくぐる新しい治療法につながるのではないかと考えられていた。

 実際、鏡像のタンパク質は、私たちの免疫システムにほとんど検知されない。

 通常なら異物が入れば、免疫細胞がすぐに反応してそれを排除するが、キラリティーが逆だと、そもそも「異物」として認識されない。

 この性質は治療には有利かもしれないが、同時に非常に危険な側面も持っている。

 もし鏡像生命体の細菌が人体に侵入すれば、免疫がそれを見つけられず、気づかないうちに増殖する可能性がある。いわば、免疫にとって「見えない細菌」だ。

 さらに深刻なのは、既存の抗生物質が効かない恐れがあることだ。

 現在の薬は、通常の細菌の分子構造に合わせて作られているため、キラリティーが逆の細菌には作用しないと考えられている。

 このような細菌が現れた場合、感染しても発見が遅れ、治療法もなく、深刻な健康被害をもたらす恐れがある。

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 鏡像生命体が自然界に流出した場合、その影響は人間にとどまらない。

 通常、細菌にはバクテリオファージ(細菌を攻撃するウイルス)や他の微生物など、天敵が存在する。これらの働きによって、細菌の増殖は一定に保たれている。

 しかし、鏡像細菌は分子構造が通常と左右反対のため、こうした天敵が機能しない可能性が高い。つまり、鏡像細菌が自然界に流出すると無敵の存在となり、他の微生物と競争して勝ってしまう。

 その結果、生態系のバランスが崩れ、重要な植物や動物に影響を与えるかもしれない。

 特に、その生物がいなくなると、生態系全体が大きく崩れてしまうような、重要な役割を持つ「キーストーン種」が被害を受ければ、環境全体が大きく変わってしまう可能性もある。

 現時点では、完全な鏡像生命体はまだ作られていない。

 だが、すでにいくつかの研究機関では鏡像のタンパク質や酵素の合成に成功しており、最初の鏡像細菌の誕生に向けた動きが現実味を帯びてきている。

 専門家の間では、今後10年以内に最初の鏡像細菌が誕生する可能性があるとされている。これは生命をゼロから再設計するような、合成生物学の中でも極めて大きな挑戦である。

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 2025年6月、フランス・パリで科学者や倫理学者、政策関係者ら約100名が集まり、鏡像生命体に関する国際会議が開かれた。今後もイギリスのマンチェスターやシンガポールで議論が続けられる予定だ。

 会議で示された報告書では、研究者の自主的な管理だけでは不十分であり、鏡像生命体の開発には法的な規制が必要だと強く訴えている。

 仮に鏡像細菌が自然界に放たれ、制御不能な状態に陥った場合、元に戻す手段は極めて限られている。

 鏡像細菌を駆除するために、「ミラーファージ(mirror phage)」と呼ばれる鏡像型のウイルスを人工的に合成するという案もある。

 これは、細菌を攻撃するウイルス、バクテリオファージを鏡像構造にしたもので、通常のウイルスでは感染できない鏡像細菌に対抗するためのものだ。

 ただし、それで完全に封じ込められる保証はなく、制御は非常に難しいとされている。

この研究は『Technical Report on Mirror Bacteria: Feasibility and Risks』(2025年7月7日付)に掲載された。

References: Technical Report on Mirror Bacteria: Feasibility and Risks / Scientists Fear “Mirror Life” Synthetically Produced in the Lab Could Create a Dangerous New Form of Biology

本記事は、海外の記事を参考にし、日本の読者向けに独自の考察を加えて再構成しています。

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