AIが進化しても人間の学びが不要にならない理由

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黒坂岳央です。

昨今、AIの進化がすさまじい。日々、研究者やAI開発者が次々と有効な使い方を発表し、食らいついていくのもなかなか大変だと感じる。2025年はAIエージェントの年と言われている。現時点でBrowser Useが登場し、自分の代わりに自動で求人や応募、旅行サイトを検索するなど自動的に動作する様子を見せて驚かさせている。

筆者にとっての2024年という年はAIの進化がすごすぎて仕事や日常生活がひっくり返る一年という印象だが、2022年11月に本格的に広まるようになってから一貫して感じるのは「今後も利用する側の人間のレベルアップは求められる」ということである。

AIは学習の必要性をなくすどころか、その真逆になっているだろうという主張をしたい。

metamorworks/iStock

AIを主役ではなく、サポーターとして使う

筆者は周囲の人間にデモを見せながら積極的にAIの有用性を吹聴し、「早めに使いこなせる様になったほうがいい」と伝えている。しかし、返ってくる回答は「最初はおおっ!って思ったけど、今はもう使ってない」とか「外国語の翻訳にしか使ってない」というものが多い。

しかし、彼らから仕事などで様々な相談を受けるたびに「まさしく、今こちらにしている相談をAIにすればよいのに」と感じる(尚、自分を頼って相談してくれること自体は大変歓迎している)。

自分は仕事の相談だけでなく、自分の置かれた状況を入力した上で客観的判断をしてもらったり、記事やSNS投稿、動画で分からないことや腑に落ちない点をその都度質問をして解決してきた。

「人間の深い悩みがAIに理解してもらえるのか?」と思われるかもしれないが、OpenAI o1のIQは120程度とされており、仮にそう定義すると一般人より遥かに賢いということになる。実際、的確に質問すれば本当にピンポイントで回答が返ってくる。

「それでもIQは間違える可能性がある」と言われることがあるが、それは人間も同じことだ。有用な活用法としては、たとえば専門家のセカンドオピニオンだ。医師や税理士、弁護士の見解を検証するのに非常に役に立つだろう(もちろんハルシネーションの可能性を排除するべきではないし、最終判断には使うべきではない)。

AIは主役ではなく、優秀なサポーターである。サポーターの力を活かすにはその本来の役割を理解し、的確に指示を出す必要がある。これは会社経営にも似ていて、優秀な従業員の実力を引き出し、自社につなぎとめるにはまず経営層が優秀であることが必要なのと同じだ。

AIを絶賛する人、AIに冷めている人

AIを絶賛する人、冷めている人に分かれる理由は結局、利用者が上手に引き出せる力の有無であり、AIのモデルが優秀かどうかではないのだ。

たとえばモデルが向上するたびに「質問力」というより「状況説明能力 」が重要性を帯びるように変化した感じている。従来のモデルは検索エンジンの代わりのような動作だった。

しかし、最新のモデルはこちらの状況を説明すれば、「どうすればいいか?」という答えそのものを複数投げてくれる賢さがある。下手に自分で「こういう答えを出して」と選択肢を1つに絞ってしまうより、AIに選択肢を提示させるやり方も使える。そうなると、相手に考えさせる客観的状況説明やデータをたくさん投げる力が必要になる。

これは人間相手でも同じで、言語能力を高めなければ「色々と話をするが何をいいたいのか分からない」となってしまえば、的確な回答を出せない。また、そもそもの課題を正確に認識する力がなければ、AIに相談する土台に立つことも出来ないのだ。

そうなると結局、必要なのはAIの性能以上に使用者のレベルなのである。課題が見えていない、言語化する力がない、メタ認知能力がないのでは、AIが優秀でもAIに投げることができないためだ。

AIを絶賛する人の中には「モデルが新しくなるたびに絶賛する人が博士号取得者や研究者レベルになっているのは、AIの実力を引き出すハードルが上がっているから」と見る人もいる。結局、AIを生かすも殺すも人間の実力次第ということであり、今後も勉強の必要性はさらに高まった。日々、知恵を磨かなければ、AIを使いこなす知恵者に仕事を総取りされてしまう可能性がある。結局、我々人間は一生勉強し続けるしかないのだ。

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