科学研究、AI応用が広がる…日本に活路はあるのか|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社
ARIMオープンデータの例。シリコン(Si)深堀加工ピラー構造
科学研究にAI(人工知能)技術を応用する動きが広がっている。実験条件をAI技術で絞り込んだり、複雑な法則をデータから抽出したりする場面でブレークスルーが起きたためだ。AI技術に置き換えられ、役目を終えるとされる研究分野もある。日本はAI分野で後塵(こうじん)を拝し、人も予算も足りないと指摘されつつもAIを研究に使うためのデータ環境は整備してきた。ロボットや生産技術とAI駆動型研究をつないで巻き返しを図る。(小寺貴之)
日本、データ基盤に活路
「画像認識や自然言語処理で起きたことが科学研究でも起きる。深層学習(ディープラーニング)を前提に研究コンセプトを組み替える必要がある」―。理化学研究所革新知能統合研究センターの上田修功副センター長はこう強調する。
画像認識や自然言語処理では深層学習以外の研究が難しくなった。従来の研究アプローチでは深層学習に性能面で勝てないためだ。研究者たちは深層学習を前提に研究を組み立てるようになっている。同じことが科学シミュレーションや実験データ解析などの幅広い科学研究に広がりつつある。
そしてAIは研究を進める上で欠かせないツールになった。論文発行数が増え過ぎて人手では読み切れないことが背景にある。米ジョージア工科大学のラッセル・ディーン・デュプイ教授は「AIツールを整備して、研究者の最先端研究へのキャッチアップを助けることは大学にとって必須条件」と説明する。
だが日本のAI分野は研究人口と研究予算が米国よりも2ケタ小さい。理研の上田副センター長は「個人戦の基礎研究では戦えても、応用や社会実装などの一定の規模が必要な研究が厳しい」と指摘する。日本は実用研究とAI活用の両面で構造的な課題を抱えている。
日本に活路はあるのか。文部科学省はデータ駆動型研究を掲げてAIを使うための研究環境を整えてきた。例えばマテリアル先端リサーチインフラ(ARIM)事業では全国の電子顕微鏡や質量分析計などの計測機器860台から生データを集めている。2年間のデータ秘匿期間が終わると国内研究者が利用可能になる。今秋から約1000データセットが提供される。毎年5000データセットずつ増える予定だ。
データ基盤事業を運営する物質・材料研究機構の松波成行マテリアル先端リサーチインフラセンターハブ代表は「論文に載るデータは研究者が論証に使うデータに限られる。生データを使うと、成功と失敗を含めすべてのデータをAIに学習させられる」と説明する。当然、性能は向上する。
米国では大型予算を獲得した特定の研究チームがデータ基盤を整えてきたが、日本では全国の大学などが協力してデータを整えている。長く続く仕組みになる。そのため日本の研究者はデータ面では世界と戦えるようになるかもしれない。
自動化で生産性向上 研究者不足に対応それでも研究者が足りない問題がある。そこでロボットを駆使するラボラトリーオートメーション(研究自動化)が注目されている。研究者1人当たりの研究生産性を向上させる試みだ。
東京大学の長藤圭介教授は燃料電池の触媒層形成の最適化にAIと自動化技術を導入した。堀場製作所などと触媒懸濁液の塗布乾燥工程を自動化し、温度や加熱時間などをAIで最適化する。目標は作業時間や試行回数を10分の1に削減することだ。研究効率は10倍向上する。長藤教授は「自動化で塗布条件を一定に保った上で熱風炉の条件を調整できる。質の高いデータが得られる」と語る。
触媒には白金を用いるため、触媒懸濁液は1リットルで約50万円する。試行回数を減らせると研究開発コストを抑えられる。材料メーカーは顧客のシステムに自社の材料を適用する研究開発型のサービス産業に変化してきている。研究自動化で開発速度とコストを低減できる意義は大きい。
重要なのは研究自動化に生産技術を組み込む点だ。装置に熱風炉を採用したのは、研究室と工場の乾燥原理をそろえるためだった。研究室ではオーブンの方が使いやすい。だがオーブンと熱風炉では風の有無で、溶媒の蒸発速度や触媒層多孔質構造の形成過程が変わってしまう。長藤教授は「研究室と工場で同じ原理を使えば手戻りを減らせる。従来、生産技術者の経験やノウハウで解決してきた問題をAIで解けるようになる」と説明する。
人手より安定、細胞調製
研究自動化のシステムで、そのまま生産してしまう取り組みもある。産業技術総合研究所発ベンチャーのロボティック・バイオロジー・インスティテュート(RBI、東京都江東区)は、双腕ヒト型ロボットで細胞培養やゲノム解析などの実験作業を自動化した。培養条件をAIで探索し、iPS細胞(人工多能性幹細胞)などから網膜色素上皮細胞シートやナチュラルキラー(NK)細胞を高効率に作ることに成功している。
網膜色素上皮細胞シートは加齢黄斑変性などの網膜疾患、NK細胞はがん治療などに用いられる。細胞自体が高付加価値製品になり、生産速度よりも品質が重視される。特にNK細胞治療薬の世界市場は2032年までに83億ドル(約1兆2000億円)になるとの予測もある。ヒト多能性幹細胞(hPSC)からNK細胞へ安定して分化させることが難しかったが、RBIらは300万個のhPSCから40億個のNK細胞を作り、収量を50―100倍向上させた。産総研の夏目徹首席研究員兼RBI取締役は「細胞の分化が安定しない原因は人間の手技のバラつきにある。ロボットなら極低速分注などの人間にはできない動作ができ、バラつきもない。培養効率が飛躍した」と語る。
再生医療では個々の患者に合わせた治療用細胞を調製することが理想だ。生産量よりも個別の作り分けが重視され、ロボットによる細胞調製はビジネスとしても競争力がある。現在は細胞シートなどの単純な生体組織が中心だが、夏目首席研究員は「腎臓や肝臓などの複雑な組織もロボットなら作り込める。今は人間が作っているから安定しない」と強調。研究機関と連携して基礎研究から治療用細胞の生産まで一貫支援する体制を整える。
AIとロボット、生産技術を結びつけ、基礎研究から社会実装への最短コースを走る挑戦は複数の切り口で進んでいる。AIで科学研究は大きく変わり、廃れる研究分野も出てくる。だが産学連携の組み方次第でチャンスに変えられる。
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