94歳の父、99歳の母。同居半年、揺れる彼女の心〈349〉
〈住人プロフィール〉60歳(女性・自営業)賃貸団地・2LDK・田園都市線・用賀駅・世田谷区
入居8か月・築年数1年・父(94歳)、母(99歳)との3人暮らし
多摩川べりのひとり暮らしから、半年前、両親が住む都内の団地で同居を始めた。99歳の認知症の母を介護する、94歳の父の言動が心配になってきたからだ。 「もういつ死んでもいい」「長く生きていたくない」……etc.
「仕事を引退後、男性向けの料理教室に通い、クラシックレコードや洋書、洋画鑑賞が趣味のかくしゃくとしていた父が、うらぶれたことを言いだした。3、4年前から認知症の症状が出始めた母の世話が、負担になっていたんだと思います。実家の団地が再建され、そこに戻るタイミングで、私が“同居しようと思う”と言った時、心底ホッとした顔になった。家族のために、我慢に我慢を重ねていたんでしょうね」
彼女はひとり娘で、会社勤めは激務だった。母は物忘れが進み、少し前に会った人のことも覚えておらず、料理もまったくできなくなった。 それまで、仕事で平日は介護に行けないかわりに、毎週末実家に寄り、食料の買い出しをして3人で昼食を食べ、日帰りをしていた。
母は、元来楽天的で明るい。今も、簡単な日常会話は成立する。ただ5分前のことを覚えていない。ぼーっとしていることも増えた。言わないと水も飲まず、水筒の水も入れ替えない。父の、母に対する物言いが厳しくなることも気になっていた。
「私は大田区でひとり暮らしをしていて、一時期猫を6匹飼っていたんですが猫から学んだことがあって。当初は2匹だったんですが、それだと向き合うしかないから、どうしてもぶつかっちゃう。3匹になると、1匹が休めるんですよね。順番に息抜きができて、楽になる。人間も同じ。トライアングルがいいんじゃないかなって」 ちょうど自分の定年と、借りていたひとり暮らしの家の立ち退き、両親の住み替えのタイミングが重なった。 彼女は、建て替わる前のこの団地で生まれ育ち、20代の終わりまで同居した。昨年、新しくなった団地に、もともと住んでいた両親が、優先的に入居できた。
「働いていたら、とても同居は無理でしたね。決断できる好機がそろっていました」
猫を飼えるという団地のルールにも助けられた。安くはない団地の家賃は、父母の年金でまかなうことに。 彼女は器好きで、陶芸をたしなむ。自分で焼いたものや買い集めた種々の作家の焼き物、家具、台所道具一式は、友人に預かってもらうことにして、2LDKの住み慣れた地に舞い戻る。
だが、半年経た今もまだ、老親の暮らしてきたリズムに慣れない。なにより、母の変容ぶりが胸に堪(こた)えた。 「若い頃からアメリカ人の秘書をやっていて、お菓子作りや料理が上手で、台所は彼女の聖域。食卓には毎日柄の違うペーパーナプキンのコーディネートを欠かさず、93、4歳までケーキやスノーボウルを焼いて人に配り、社交的で友だちの多かったあの母が……と、つい思ってしまうのです。母のことを誇りに思ってきたので」
幼い頃、母の上司のアメリカ人に招かれたホームパーティーで、母が英語で渡り合っているのを見て、誇らしく感じた。 女学校時代から英語が好きで、戦時中に英語の教科書が憲兵に見つかって殴られたという話も、子どもながらに「なんてスーパーな人だろう」と思った。
料理、縫い物、編み物となんでもできて、パッチワークは教室を開くほどの腕前である。
「しかたのないことですが、今の母は、おかずを見ると真っ先にいちばん大きなのを取る。入れ歯に詰まった大きな食べ物を、平気で洗面所に流す。排水が流れないので、そのたび私が掃除をします。口から出たものを片付けながら悲しくなるんですよね。人間の本能がどんどん出てくる。けっしてそういう人ではなかっただけに、受け入れるのが難しく。それも母なのだとあきらめ、一歩引き受けることが優しさなのだと、わかってはいるのですが……」
ときには「何回言ったらわかるの!」と声を荒らげたり、無視したりすることも。「そういうとき、必ず父が母に優しくするんですよね。思わず自己嫌悪に陥ります。逆に、父が声を荒らげたときは、私が優しくする。つまり、父か私か、どちらかがいつも我慢している形に。両親はとてもまじめに、一生懸命生きてきた人たち。94歳と99歳で、ここまで生きていてくれてありがとうという気持ちは大きいです。ただ、……ゴールがどこなのかわからない」
朗らかに語っていた彼女が、だんだん言葉少なになっていく。
台所は、両親の道具をそのまま使い、出しゃばらないようにした。ここはあくまで両親の住まいだからだ。 朝から晩まで顔を合わせているのは息が詰まるので、昼間は自室かコワーキングスペースで仕事をしている。そのため昼食だけは別々で、両親は好きな菓子パンなど簡単なもので済ませている。
夕食のご飯と味噌汁作りは、父の担当である。 味噌汁の具は決まって市販のつみれ団子と小松菜、ホウレン草。だしは、本来つまみでかじるようなごま付きの小魚だ。「毎日同じじゃ芸がないなぁ」と言いながら、変える気はない。
朝食は彼女が用意する。ホットミルク、インスタントコーヒー、レタス・ハム・トマトサンドが定番だ。
「父の記憶力を保つためにも、私はなるべく手を出さず、夕食の用意をお願いするようにしています。おかずは買ってきた総菜中心です。父のカレーは、生姜、にんにく、ミルク入りで本当においしいんですよ。……でもこの間、“もう、3、4年作ってないなあ”と言っていたのです。半年前に作っているんだけど。買い物の帳簿が合わないと言い出したり、この間まで使えていたスマホのかけかたがわからなくなったり。父も自覚があるようです。でも、認めたくないのか、このところ一点をじーっと見つめ、考えこんでいるように見えます」
テレビで認知症が出てくると、父はさりげなく消す。 「認知症になる前にお医者さんにみてもらえば、早めに対処できるんじゃない?」と水を向けても、「俺はまだいい」「年取ってくれば、忘れっぽくなるのも仕方ない」と、返される。
重ねて言うと不機嫌になるので、なかなかその先に話を進められない。
彼女も定年後の次の人生をどう生きるか、落ち着いて考えたいところだが、いまはその環境にない。 週末、父と軽く晩酌をする。彼女は、本当はワインが好きだが、なんだかその余裕がなく、父に付き合って缶ビールになるんですと寂しそうに笑う。
料理の他にも読書や絵を描くなど、いろんなことに興味を持っていた母が、一日中ぼーっとしている。 時々、空を見て雲の形をおもしろがったり、夕方、遠くのビルに明かりが灯(とも)ると、それを喜んだりする。
「でも5分後にまた、“ビルの明かりがついた!”と。それが永遠に繰り返されるので、なんともいえない気持ちになります」
物わかりの良い近親者としてでなく、自分は、子どもでいたいのか。大きなおかずを真っ先に取る、洗面所で出した入れ歯のゴミをごまかすためむりやり流そうとする母が、憎いのか。 毎日、感情が揺れ動く。
「3人の中でいちばん気持ちが定まらず、ぶれているのは私かもしれませんね。この生活の落としどころがわからない。彼らがいなくならないと、私の次の人生は始まらない。でも、そう遠くない先にいなくなってしまうのなら、できるかぎり、いつでも自由に外に出られる今の生活を続けてもらいたいのです」
両親はともに要介護1で、母は週2回のデイサービスは利用できているが、特別養護老人ホームへの入所は難しい。 さらに、自分の手を離れたところで、両親の認知症が進むようなことは望んでいない。
彼女の言葉には、いつも最後に「してもらいたい」がつく。「してあげる」「させてあげたい」という物言いはしない。 「〜〜してあげたい、という感情は私にはあまりないんです。今の生活に関しても、けっして施設に入ることが自主性を失うことにつながるわけではありませんが、それでもまだ、自分でいろんなことを決められる環境にいてもらいたいなという感じです」
だからこそ、日々生まれる不透明な感情を抱えたまま、立ち尽くしている。
自身の持て余している感情について、同様の環境にある同級生からこんな言葉を聞いた。 「憎んだり、嫌悪感をもったりするのは、亡くなった寂しさを和らげるためともいわれるよ」 彼女は大きく救われたと振り返る。同時に、こうも語る。
「そうかもしれないなと思います。だからといって、それを憎んでもよいという免罪符と、とらえることもできないのです」
この夏、毎日食卓を囲むなかで、思いがけず小さななごみの時間を見つけた。 「ある日、知人から土佐文旦(ぶんたん)をひと箱いただきました。農家からの直送便です。両親がおいしいおいしいと喜び、それから毎晩、フルーツタイムの習慣ができました。険悪な感じになっても、一日の最後に、私が皮を剝(む)いてあげたおいしいフルーツを食べると、3人ともほっとなごむんですよね。母に“フルーツあるから起きといてね”と言うと、楽しみにしていますし」
土佐文旦の次は、同じ人から今度は河内晩柑(かわちばんかん)が届いた。贈り主は、彼女が親との同居で苦労していることを知っているという。 晩柑は、熟すほど味がまろやかになり、透き通ったような甘みに。実離れもよく、父母が食べやすいので、追加注文して3カ月楽しんだという。
土佐文旦と河内晩柑のおかげで、いろいろあった一日をなんとか笑顔で終えられた。今の季節は、ぶどうらしい。
この半年でひとつだけわかったのは、「優しい介護はしない」ということだ。 「ふたりにとって私は、いまだに子どもなので。甘えるのも自分の仕事だと思っています。そうだねそうだねと、こちらが上になって赤ちゃんをあやすようなことはしない。それをしたら、母と娘じゃなくなりますから」
母の牙城(がじょう)に、今は父と娘が交代で立つ。 「台所に父とねぇ、といまだに不思議に思います。互いになんとかお皿は並べるけれど、母の味には到底及びません。ミートソーススパ、餃子(ギョーザ)、ひき肉入りマッシュポテトにポテトチップスを砕いてこんがり焼いたもの、キャンベルのコーンスープをアレンジした母流ポタージュ。どれもすごくおいしかったので」
新しくはなったが、生まれ育った団地の台所には、今も母の料理の記憶がふりつもっている。
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