故障者が多く、練習もバラバラ…名門・早大を立て直した「花田式」 影響を受けた指導者「衝撃的だったのは…」

第101回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)が1月2、3日に行われる。「THE ANSWER」は令和を迎えた正月の風物詩を戦う各校の指導者に注目。今大会、面白い存在になりそうなのが早稲田大学だ。前回の箱根駅伝は7位でシード権を獲得し、今シーズン、出雲駅伝は6位、全日本大学駅伝は5位と地力を高めてきている。その早稲田大を指揮するのが、花田勝彦監督である。2022年に監督に就任し、チームの立て直しを計ってきた「花田式」ともいえる強化育成は、どういうものなのだろうか。(全4回の第1回、聞き手=佐藤 俊)

前回の100回大会で3年連続シード権を獲得した早大、地力を高めている背景に花田勝彦監督の強化育成の手腕があった【写真:産経新聞社】

 第101回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)が1月2、3日に行われる。「THE ANSWER」は令和を迎えた正月の風物詩を戦う各校の指導者に注目。今大会、面白い存在になりそうなのが早稲田大学だ。前回の箱根駅伝は7位でシード権を獲得し、今シーズン、出雲駅伝は6位、全日本大学駅伝は5位と地力を高めてきている。その早稲田大を指揮するのが、花田勝彦監督である。2022年に監督に就任し、チームの立て直しを計ってきた「花田式」ともいえる強化育成は、どういうものなのだろうか。(全4回の第1回、聞き手=佐藤 俊)

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――花田監督が早稲田大の監督に就任したのは、2022年6月です。その当時、早稲田大は、どういう状況だったのでしょうか。

「私が監督になる前の4月に相楽君(豊・前監督)が監督職から事務職に戻り、平日の練習は指導者が不在だったんです。選手たちは、また優勝を狙えるようなチームに戻さないといけないと思い、かなりハードな練習をしていました。そのため、故障者が続出して、チーム内で走れる選手が10名もいなかった。チームの雰囲気が非常に暗かったですし、練習もバラバラで、チーム状況はかなり悪かったです」

――花田監督がチームの練習に行くことで学生たちに何か変化が見られたのでしょうか。

「練習を見学して終わった後に、『練習、どうしたらいいですか』と聞きにきてくれた選手がいたんです。たぶん、練習も含めて、どうしたらいいのかわからなかったんでしょうね。彼らから感じたのは、指導に飢えているなということでした。でも、全員の状態をよく理解できていなかったので、個々に合う指導ができるわけでもなかった。だから、学生には『分からないことがあったら聞いてほしい』と伝えました。指導者は辞書のようなもので、私には経験と知識があるので、聞いてくれたことに対しては自分なりの考えを伝えることができると思ったからです」

――具体的には、どこから手を入れていったのですか。

「チームの力がどれくらいなのか分からなかったですし、普段の練習や補強も含めて、みんなそれぞれいろんなことをしていたので、すべて一度ストップしました。上武大時代にやっていたすごくベーシックな練習をしてもらい、どのくらいできるのかを把握するところから始めました。早稲田大の選手は、スピード練習はこなせるんですが、アップダウンを含めた距離走とか、上武大の選手が普通にやれていた30キロ走では遅れる選手がけっこういたんです。そこから引き続き基礎的な練習を継続しつつ、足りないところを補う感じで進めていきました」


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練習で選手に声をかける花田監督、早大の指導者として「文武両道」を心がけているという【写真:中戸川知世】

 1年目の夏合宿は、故障者を出さないことを念頭に入れ、強度の高いポイント練習でも極力、厚底シューズの使用は控えるなど、脚筋力アップと基礎的な体力作りに専念した。箱根駅伝の予選会を4位通過し、本戦は6位でシード権を獲得した。

――ベースを築くために、かなり厳しく指導したのでしょうか。

「いえいえ、厳しくはないですね。なぜそうした練習をするのか、選手たちにも説明して、理解してもらったうえで行うようにしていました。私が学生の頃は、ポイント練習がちゃんと走れないと、瀬古さんには怒られるというよりは、『あーダメだな。結果が出なくてかわいそうに……俺は痛くもかゆくもないけど、困るのはお前自身だよ』とよく言われました。今の学生たちに対してそんなことは言ったりしませんが、周りができているのに、自分ができないとメンバー争いで後れを取ることは学生たちも良く理解してるように感じます」

――1年目、どういう点がシード権獲得という結果に繋がったと考えていますか。

「ベース作りを重視していたので、その軸からブレずに、故障者を出さないように取り組んだのが良かったかなと思います。井川(龍人)とか27分台で走れる選手がいる一方、中間層が弱かったので、その層の厚くしつつ、個のベースを上げることが出来たからだと思います」

――1年目は、花田監督の思惑通りに進んだということでしょうか。

「選手層が薄かったので大変な面はありました(苦笑)。長距離は、一朝一夕には速くならないですからね。ただ、一般(入試)で入って来た選手がすごく成長して、強くなってきました。2年前は箱根のオーダーを組むのには、この区間が弱いなというところがあったんです。でも、今は彼らが頑張ってくれたことでベース作りが進み、チーム全体の底上げにもつながりました。選考のレベルも上がってきているので、これまで必ず走れた選手もうかうかしているとメンバーから弾き飛ばされるような状況になってきています」

 怪我さえしなければ能力が高い選手がいるので、走れるようになる。先を追わず、地に足をつけた指導が最終的には実を結んだことになる。

――花田監督が指導する上で軸にしているのは、どんなことでしょうか。

「競技力とともに人間力を育成することが大きなテーマとしてあります。早稲田大は、文武両道をモットーとしているので、ただ走るのが速ければいいのではなく、学業もしっかりこなす。引退後の人生の方が長いわけですから社会に貢献する人間を育成していかないといけない。競技者としての成長はもちろん、社会に出ても魅力ある人間を育てていくことを考えて指導しています」

――人間力を育成する上で、どういうところを重視にしていますか。

「当たり前のことを当たり前にやる、ということですね。例えば、人に会ったら挨拶をする、ゴミが落ちていたら拾う。困っている人がいたら助けてあげる。もちろん自分の普段の生活の中でも脱いだ靴をきちんと揃える、洗濯した服はきちんとたたむとか。私は高校生の時はそういうのができなくて、早稲田大に来て、教えてもらってできるようになりましたが、そういう小さなところから積み重ねていくことが大事かなと思っています」

――早稲田大学には「早稲田人」という言葉がありますね。

「陸上の世界でいえば世界で活躍できる人ということになります。ただ、競技者としてだけではなく、卒業して社会人になった時、『早稲田を卒業した人はしっかりしているね』と言われるような学生を育てたい。上武大の時は、学生が社会人になった時、『駅伝をやっているせいか、しっかりしているな』と言われるような人間になってもらいたいという思いで指導をしていました。結局、人間として成長しないと競技でも伸びていかないので、そこは常に大事にしているところです」

――早稲田大は、体育系の部活は上下関係が厳しく、人間形成の場としては学びが多いと聞きます。

「昔ながらの伝統を引き継いでいるところはありますが、上下関係が厳しいというよりは、目上の人に対して礼節を重んじるという感じでしょうか。練習前にはきちんと整列して、挨拶してから練習が始まりますが、例えば練習中に用事があってコーチたちが先に帰る際も、その場にいる選手たちは姿勢を正して見送りの挨拶をしてくれます。自分たちも学生の頃、先輩がいらした時にはきちんと挨拶をしていました。今もそうした伝統がつづいていることに感動しましたし、そうした気遣いができることは社会に出てからもすごく大切なことなので、これからも学生たちには続けるように指導していきたいと思います」


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自身も五輪代表まで上り詰めた花田監督にとって影響を受けた指導者とは【写真:中戸川知世】

 監督の指導は、自らの経験が軸になるが、それに加えて、恩師や陸上の指導者、異業種の監督の指導論、また書物やネットから必要な情報を取捨選択して、自分の指導に取り込んでいくことで醸成されていく。花田監督はオリンピアンの薫陶を受けたという。

――監督になられる際、影響を受けた指導者はいらっしゃいますか。

「やはり恩師の瀬古(利彦)さんですね。高校時代は、指導者がいない環境だったので、大学に入ってゼロからいろんなことを教わりました。衝撃的だったのは、大学に入って最初に教わったのが歩き方だったんです。ちゃんと歩けない選手は速く走れないと言われて、入学前に呼ばれて参加したエスビー食品の合宿では、最初の1週間、毎朝、瀬古さんと一緒に合宿地の西表島で日の出前から1時間近く歩きました。そうした基礎的なトレーニングから、実践的なマラソン練習のノウハウ、また競技に対する考え方や取り組み姿勢も学生時代からヱスビー食品に進んで実業団選手と続けている間にすべて教えてもらいました」

――瀬古さんの練習は、ハードでタフだったと聞いています。

「マラソン練習で60km走をやったこともありました(笑)。でも、スピード練習もかなりやっていたんです。走り込みとスピードのバランスが難しくて、自分もうまくそれを消化できないことが多かったですね。そういう時は、自分でアレンジしてやってみたり、ときには瀬古さんと言い合いになったりもありました。私は怪我も多かったので、とにかく瀬古さんにとっては手がかかる選手だったと思います。そういう意味では、今、私が選手を指導する上で、自分よりも手がかかる選手にはまだ出会っていないので、反面教師ではないですが、自分の経験から学んで伝えられることはまだたくさんあるように感じています」

――瀬古さん以外の指導者や本などから影響を受けたことはありますか。

「上武大監督時代に、青学大、駒澤大、早稲田大とか、規模が大きく強い大学に対して正攻法でぶつかっても勝てないじゃないですか。その時、どう戦うべきか、いろいろ考えていたのですが、ある人に『鵯越え(ひよどりごえ)』の話を聞いたのです。源義経が一の谷の戦いで見せた奇襲戦法です。実力差がある場合、正攻法でぶつかってもなかなか勝てないので、作戦を考えて戦うことも大事だよっていうのを知り合いの人に言われて。上武大の時は、他大学がやらないような奇襲作戦を考え、実践していました」

(第2回へ続く)

■花田 勝彦 / Katsuhiko Hanada

 1971年6月12日、京都市生まれ。彦根東高(滋賀)を経て、早大で第69回(1993年)箱根駅伝4区区間賞を獲得し、同大会の総合優勝に貢献。エスビー食品に進み、1994年日本選手権5000m優勝。1997年アテネ世界陸上マラソン代表、1996年アトランタ五輪1万m代表、2000年アテネ五輪5000m、1万m代表など国際舞台でも活躍した。2004年に引退後は指導者に転身し、同年に誕生した上武大駅伝部で監督就任。2008年に箱根駅伝初出場に導くと、退任まで8年連続本戦出場を果たした。2016年にGMOインターネットグループ監督に就任し、駅伝参入初年度の2020年ニューイヤー駅伝で5位入賞。2022年6月に早大駅伝監督に就任し、今季が3シーズン目。2024年11月に著書「学んで伝える ランナーとして指導者として僕が大切にしてきたメソッド」(徳間書店)を上梓。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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