歌会始の愛子さま「古典文法でこのような使い方は…」 友と夢の和歌は「会はむ」か「会える」か 表現にかけた粘り強さ

「歌会始の儀」に臨む愛子さま=2025年1月22日、皇居 この記事の写真をすべて見る

 新年恒例の「歌会始の儀」が1月22日、皇居の宮殿「松の間」で開かれ、天皇、皇后両陛下と長女の愛子さま皇族方が出席された。今年の題は「夢」で、国内外から1万6000首余りの和歌が寄せられた。天皇家の歌の御用掛である永田和宏さん(77)は、愛子さまはひとつひとつの表現に妥協せず、ご自身で調べながら和歌を完成させた、と明かした。

【写真】愛子さまフリルドレスは、雅子さまのローブモンタントを受け継がれ…

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 宮殿「松の間」に、独特の節回しで和歌を詠みあげる声が響く。「講師(こうじ)」が和歌を詠みあげると、続いて「発声(はっせい)」役が節をつけて同じ和歌の上の句を、下の句からは「講頌(こうしょう)」役の声が加わる。

 まずは、一般の人から選ばれた予選歌、そして和歌を選ぶ選者と、和歌を詠む召人(めしうど)、そして皇族方、皇后さまの御歌(みうた)が続き、最後に天皇陛下の御製が披講される。

 愛子さまは成年を迎えてから歌会始に和歌を寄せていたものの、学業を優先して儀式への出席は控えてきたため、今年が初めての出席となった。  

愛子さま「会はむ」か「会える」か

 我が友とふたたび会はむその日まで 追ひかけてゆくそれぞれの夢  

 昨年春に、大学卒業と就職という節目を迎えた愛子さま。卒業式で晴れ姿の友人を目にし、また同じ大学には通わなかったが夢に向かって進む友人たちと将来や夢に思いを馳せて励まし合った初々しい気持ちが込められている。  

「歌会始の儀」の選者であり、天皇家の歌の御用掛である永田和宏さんは、愛子さまとはメールで和歌についてやり取りを続けている。

「私は『こうなさった方が』といった、ご指導はしません。皆さまがお読みになった和歌に、すこしだけヒントを提案するだけです」

 大学で古典文学を学んだ愛子さまは、一語、一語の表現についても妥協せず、永田さんと熱心にやり取りを続けた。

 こんなエピソードがある。


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「歌会始の儀」で朗詠を聞く皇后さま=2025年1月22日、皇居

 愛子さまが寄せた和歌の上の句に、「ふたたび会はむその日まで」という表現がある。当初、愛子さまは「会えるその日まで」という表現をお使いだった。

「そこだけは口語ですがよいでしょうか、とお伝えしました」

 愛子さまにとって思い入れのある言葉だったようで、変更には躊躇されていたという。しかし、ご自分で書物などを調べ、永田さんにこう連絡をしてきた。

「やはり、古典文法ではこのような使い方はありませんでした。なので、『会はむ』としたいと思います」

 納得がいくまでご自身で調べ、納得がいくまでご相談役とやり取りを続ける。

「ご自身でも納得のいくまでお調べになる学びへの熱心さは、ご両親譲りかもしれませんね」

 そう言って、永田さんはほほ笑んだ。  

皇后さまの和歌の「リアリティ」

 皇后雅子さまは、昨年6月の英国公式訪問で、母校のオックスフォード大学を34年ぶりに訪れた感慨を御歌に詠み込まれた。

 三十年(みそとせ)へて君と訪(と)ひたる英国の学び舎(や)に思ふかの日々の夢  

「オックスフォードにはそれぞれ別々に留学したけれど、34年を経た再訪では、陛下とご一緒に母校を目にすることができた。その感動が素直に伝わるお歌です」(永田さん)

 雅子さまは、東宮時代から愛子さまや陛下との時間など、ご家族について詠まれることが多かった。

 永田さんは、「皇后」の立ち位置ではなく、母として、妻として、そして個人として詠まれる和歌だからこそ人間味のある優しい視点がある、と話す。

 雅子さまも、歌会始のためにいくつかの和歌を詠んでいる。公務先でご覧になった場面なのか、伝統工芸にたずさわる職人が自分の孫にその仕事を見せる様子を詠み込んだ和歌も候補になったという。

「皇后さまは、ご自身の目でご覧になった対象を和歌に詠み込まれる。だからこそ、皇后さまの和歌はリアリティをもって聴く人の心に響くのでしょう」  


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愛子さま
2025/01/25/ 09:00
天皇、皇后両陛下、皇族方が出席して行われた「歌会始の儀」=2025年1月22日、皇居

 歌会始の最後に披講されたのは、天皇陛下の御製。地方の訪問先で触れ合った子供たちが、将来の夢を生き生きと話す姿に嬉しさを感じ、和歌に詠み込まれた。

旅先に出会ひし子らは語りたる目見(まみ)輝かせ未来の夢を  

 永田さんによると、「目見(まみ)」は、視線を含めて目とその動作を表す言葉だという。

「陛下は旅先で触れ合う人びとや光景を詠まれることが多い。こうしたものは『天皇』として国や人びとへの祝福を込めたハレのお歌です」

 永田さんは、陛下から和歌についてご相談を受けた際に、「旅先」ではなく、「被災地」や具体的な地名に変えては、とご提案をした。

 ところが陛下は、

「被災地では時間がなく、子どもたちと触れ合う機会がなかった」

 そう、正面から真面目にお答えになったという。

「このくらいはいいか、という妥協がなく、何ごとにも誠実であられる」

 と、永田さんは穏やかな表情で振り返った。

(AERA dot.編集部・永井貴子)

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