【日本版スペースシャトル「HOPE」はなぜ宇宙へ飛べなかったのか】有人宇宙船に挑んだ知られざる開発史(スペースチャンネル)

1981年、アメリカのスペースシャトルが初めて打ち上げられました。それから2011年までの30年間で、スペースシャトルは合計135回の飛行ミッションを実施し、宇宙開発の象徴的な存在となりました。

しかし、有人宇宙船の開発に挑んでいたのはアメリカだけではありません。ソビエト連邦では「ブラン」、フランスでは「エルメス」、アメリカでは次世代スペースシャトル構想「ベンチャースター」など、各国でさまざまな再使用型宇宙船の計画が進められていました。そして実は、日本にも“日本版スペースシャトル”と呼べる計画がありました。それが「HOPE」です。

HOPEは、1990年代初めからJAXAの前身である宇宙開発事業団(NASDA)と航空宇宙技術研究所(NAL)が研究開発を進めていた、再利用可能な宇宙船でした。ロケットで宇宙へ打ち上げられ、地球へ帰還する際には飛行機のように滑空して着陸する――そんな未来の宇宙輸送システムを目指した計画だったのです。

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「りゅうせい」が切り開いた再突入技術への第一歩

軌道再突入実験機(OREX)「りゅうせい」©JAXA

HOPEの実現に向けて、まず行われたのが軌道再突入実験「りゅうせい」、正式名称OREXでした。

りゅうせいの目的は、宇宙から大気圏へ再突入する際の技術データを得ることです。再突入時には、機体の表面が猛烈な空力加熱を受けます。そのため、実験機の前面にはHOPEで使われる予定だったカーボン・カーボン材やセラミックタイルなどの耐熱材料が使われました。

1994年、りゅうせいはH-IIロケット試験1号機で打ち上げられ、地球を一周した後に大気圏へ再突入しました。実験機はデータの送信に成功し、日本初の大気圏再突入実験として大きな成果を残しました。この成功によって、日本は再使用型宇宙船に欠かせない「宇宙から安全に帰ってくる技術」へ、大きな一歩を踏み出したのです。

HYFLEXとALFLEXで磨かれた飛行と自動着陸の技術

HYFLEX機の公開©JAXA/三菱重工業

りゅうせいの次に行われたのが、極超音速飛行実験「HYFLEX」です。HYFLEXは、極超音速の領域で機体がどのように飛ぶのかを調べるための実験でした。機体表面には、りゅうせいと同じくカーボン・カーボン材などが使われ、温度センサーや圧力センサーによって、空力加熱や表面圧力のデータが集められました。

HYFLEXは1996年にJ-1ロケットで打ち上げられ、高度約110キロで分離された後、滑空飛行を行いました。重要なデータの取得には成功したものの、海面に着水した機体は発見されず、回収することはできませんでした。

ALFLEXフェーズI第1回(ウーメラ飛行場)©JAXA

さらに同じ1996年には、小型自動着陸実験「ALFLEX」も行われました。これは、HOPEに必要な自動着陸技術を確立するための実験です。HOPEの形をした小型実験機をヘリコプターで上空まで運び、そこから切り離して、自律的に滑走路へ着陸させるというものでした。

ALFLEXはオーストラリアのウーメラ飛行場で実施され、約1か月の間に13回の飛行実験を行い、すべて成功しました。日本の再使用型宇宙船開発は、着実に一歩ずつ前へ進んでいたのです。

HOPE-Xに高まる期待と、計画を揺るがした時代の変化

宇宙往還技術試験機(HOPE-X)想像図©JAXA

1990年代後半になると、HOPEの前段階となる実験機「HOPE-X」の開発が始まりました。ただし、当時の日本はバブル崩壊後の不景気の真っただ中にありました。そのため、いきなり実用機のHOPEを作るのではなく、比較的開発費を抑えられる実験機としてHOPE-Xを製作する方針が取られました。

HOPE-Xは全長15.2メートル、打ち上げ時の重量は約14トン。HOPEから実験に不要な部分を省いて軽量化した機体でした。実験終了後には、機体を改修して必要な機材を搭載することで、将来的にHOPEとして運用する構想もありました。

国際宇宙ステーションに接近するHTV初号機©NASA

一方で、このころ国際宇宙ステーション、ISSの建設が現実味を帯びてきます。日本でも1997年から、ISSへの物資補給機「HTV」、後の「こうのとり」の研究が始まりました。その結果、HOPEの必要性に疑問を投げかける声も出始めます。

それでも2000年には、太平洋のキリバス・クリスマス島に土地を借り、帰還用滑走路や追跡施設を備えた宇宙センターを建設する構想も進みました。HOPE実現への期待は、まだ消えていなかったのです。

凍結された夢と、未来へ残された「希望」

H-IIロケットと筑波宇宙センターの展示機©Masamic

一見、順調に見えたHOPEの開発でしたが、1998年以降、日本の宇宙開発には暗雲が立ち込めます。H-IIロケットの打ち上げ失敗が続き、宇宙開発事業団は組織改革と計画の見直しを迫られました。

2000年8月には、H-IIロケットの打ち上げ停止、新型H-IIAロケットへの集中、小型J-Iロケット計画の凍結などが発表されます。そして、HOPE-Xの製作も凍結されてしまいました。

HOPEで計画された機体サイズとほぼ同等の大きさで製作されたHOPE-X強度試験用供試体(JAXA調布航空宇宙センター展示品、2018年撮影)©テレストレラッソ

日本版スペースシャトル「HOPE」は、残念ながら実現には至りませんでした。背景には、予算の制約、技術的な難しさ、ロケット開発の見直し、そしてISS補給機HTVのような別の優先プロジェクトの登場が挙げられます。

それでも、りゅうせいから始まった一連の実験は、日本の宇宙機開発に多くの技術と経験を残しました。HOPEは宇宙へ飛ぶことはできませんでしたが、その名前の通り、日本の宇宙開発に「希望」を残した計画だったと言えるでしょう。

もし将来、日本の研究開発予算が拡充され、再使用型宇宙船の技術がさらに進めば、いつの日か日本の宇宙飛行士が国産の宇宙船に乗って地球と宇宙を行き来する時代が来るかもしれません。

皆さんは、日本も限られた予算の中で有人宇宙船の開発に乗り出すべきだと思いますか?それとも、無人の探査機で科学的成果を求めるべきと思いますか?ぜひコメントお待ちしています。

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