「奇跡であり警告」、歴史的な塔の崩壊で現代ローマの直面する危機が浮き彫りに

ローマ(CNN) 映像が捉えたのは、地震さながらの光景だった。中世以来、ローマ中心部の一角を占めていた歴史ある塔、トッレ・デイ・コンティは、突如として立ち上る塵(ちり)に包み込まれた。崩れ落ちた煉瓦(れんが)が側面に開いた穴から噴出。内部構造のさらなる崩壊に伴い、窓や開口部からも瓦礫(がれき)や塵が噴き出し、真下の通りに降り注いだ。

「大きな爆発音が響き、セメントや岩、人、あらゆるものが落ちてきた」と、11月3日の朝、近くで働いていた飲食店の接客係はCNNに語った。「皆、塵の中を逃げ始めた」。この事故で、塔の修復工事に従事していた作業員1人が死亡、もう1人が重傷を負い、過失の有無を調べる刑事捜査が始まった。

塔が部分的に崩壊してから2週間が経った今も、かつてのローマ帝国の中心部にあるレストランの屋外パラソルには塔の塵が依然として降り積もっている。レストランはトッレ・デイ・コンティが見下ろす場所に位置する。

トッレ・デイ・コンティが観光名所リストの上位にランクされたことはないが、歴史的には重要な建造物で、その修復工事には巨費が投じられている。塔の崩壊はこの工事中に起きた。9世紀から13世紀にかけて建造されたこの塔は、放置と再建とを繰り返してきた。

多くの観光客は近隣のコロッセオやフォロ・ロマーノ、そして世界有数の壮観な野外博物館であるカピトリヌスの丘にあるその他の名所を見に行く途中で、この塔に遭遇する。ローマ観光局によると、毎年450万人以上がこの地域を訪れるという。

現在調査が進められている塔の崩落の原因としては、工事の足場組み立てにおける人為的ミス、あるいは新たな地下鉄路線の深部掘削による振動などが挙げられる。振動はこの地域で定期的に感じられ、耳にも聞こえるという。

トッレ・デイ・コンティの崩落時に飛散した破片で通行人が負傷しなかったことは「奇跡であり、警告でもある」と、考古学者のトム・ランキン氏は指摘する。同氏は持続可能性に焦点を当てたローマの教育機関、ボッロミーニ研究所の所長を務める。

トッレ・デイ・コンティの修復プロジェクトのコストは700万ユーロ(約12億6000万円)。ランキン氏は古代建造物に関わる多くの保存・修復プロジェクトについて、透明性を高めることが部分的崩壊のような悲劇の回避に寄与すると考えている。

「トッレ・デイ・コンティ崩壊の知らせを聞いて、すぐにインターネットでどんなプロジェクトが行われているのか調べたが何も見つからなかった」と、ランキン氏。「今日我々はあらゆるデータを所持しているにもかかわらず、公共の利益となるプロジェクトの記録が自動的に共有されることはない。これは不合理だと思う」

ローマ市は、主要ウェブサイトで進行中の作業に関する情報を一部公開している。2025年3月に公開されたトッレ・デイ・コンティとその周辺で行われている工事の概要には地図が掲載され、昨年見つかった16世紀に遡(さかのぼ)る男性の遺骨など、いくつかの発見の概要も示されている。ただし、塔の崩落時に内部でどのような工事が行われていたのか、具体的な詳細は明らかにされていない。

3日に起きた崩落後、当局は塔における構造調査と荷重試験を6月に実施し、工事開始の許可を得ていたと発表した。この準備作業には、綿密なアスベスト除去も含まれていた。市当局はまた、塔の下では地下鉄に関連する掘削工事は行われていないとも付け加えた。

都市史家のニコレッタ・ベルナッキオ氏によると、塔の建設に関する記録は13世紀に初めて現れ、教皇インノケンティウス3世がこれに携わったとされている。「非常に高い塔で、おそらくローマ随一の高さを誇っただろう」と、同氏は述べた。

ローマ市当局は先週、文化省およびコロッセオ考古学公園管理局と協力し、トッレ・デイ・コンティとその周辺地域の安全を確保するための100万ユーロ規模の計画を発表した。計画の調整は消防隊が担うとしている。

現在、現場一帯での生活はほぼ正常に戻っている。塔の崩落時に住民が避難した近隣の住宅では窓から洗濯物が再び干され、近くのレストランは営業を再開した。ただ塔の前はフェンスで封鎖されている。

美術史家で評論家のルドビコ・プラテージ氏は、一段と脆弱(ぜいじゃく)になるイタリア国内の歴史的建造物について、国として保存に向けた新たな戦略が必要ではないかと疑問を呈した。また現状を保全するよりも積極的にこれを復元しようとする国内の傾向に言及し、専門家のグループによって復元の妥当性を検証する機会も必要だとの見方を示唆した。

関連記事: