脳の速度制限〜日経サイエンス2025年7月号より

SCOPE & ADVANCE

思考を処理するスピードは驚くほど遅い

頭のなかで様々なことを考え感じているのに,それをリアルタイムで表現して伝えることができないと感じることがままある。起業家のマスク(Elon Musk)はこれを“ 帯域幅問題”と呼び,自身も大いに悩まされていることから,人間の脳をコンピューターに直接つなぐインターフェースの開発を長期目標のひとつに掲げている。話したり書いたりするスピードの遅さに邪魔されることなく,脳とコンピューターを高速接続するアイデアだ。

だがマスクがこれに成功しても,おそらくがっかりするだろう。Neuron 誌に報告された最近の研究によると,人間が記憶想起や決定,想像などの処理をするスピードは決まっていて,毎秒約10 ビットと耐えがたいほど遅い。対照的に,感覚系は毎秒約10 億ビットのスピードで情報を集めているのだが。

この生物学的パラドックスはおそらく,人間の脳が無数の思考を同時に行っているという幻想を生む一因だろう。研究チームはこれを「マスク幻想」と名づけた。論文を共著したカリフォルニア工科大学の神経科学者マイスター(Markus Meister)は「人間の脳の能力は私たちが思っているよりもはるかに低い。決断には信じられないほど時間がかかるし,私たちが使っているどの情報機器よりもばかばかしいほど遅い」という。

マイスターとカリフォルニア工科大学で神経科学を専攻する博士課程の学生チャン(Jieyu Zheng)はこの論文で,人間の脳が一度に1 つのことしかできないことを浮き彫りにした。それもゆっくりとしかできない。マスクが自分の脳をコンピューターに何とかつなげても,電話で話す以上のスピードでコンピューターに伝えることはできないだろうとマイスターはいう。

処理スピードを量的に評価 今回の新研究は,人間が感覚器からの情報のほんの一部を選んで知覚していることを示した過去数十年にわたる心理学研究が基礎になっている。「人間が注意を払えるのはその程度で,それが意識的経験となって記憶に残る」とマイスターはいう。そして,過去の研究は「量的な意味」が完全に抜け落ちていたと付け加える。彼とチャンは,この量的意味の欠落を埋めようと努めた。

まず,心理学や神経科学,技術,ヒューマンパフォーマンスなど様々に異なる分野のデータを照合した。こうして集めた様々な情報を用いて独自の計算を行い,研究間の比較ができるようにした。過去100 年近くにわたる様々な研究をもとに試算した結果,人間の認知機能のスピードは毎秒約5 ~ 20 ビット,大まかな平均で毎秒約10 ビットであることを見いだした。(続く)

続きは現在発売中の2025年7月号誌面でどうぞ。

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