猛毒のシアン化水素が生命誕生の鍵を握っていた。凍った毒からDNAの材料が生まれるプロセス
毒として名高いシアン化水素が、実は地球上の生命誕生に不可欠な役割を果たしていた可能性が浮上した。
スウェーデンのチャルマース工科大学らが発表した最新の研究によると、凍結したシアン化水素は高い反応性を持ち、生命の構成要素となる物質を生み出すことが発見された。
この発見は、地球における生命の起源の謎に迫る重要な手がかりとなるだけでなく、同様の環境を持つ他の惑星での生命探査にも、大きなヒントを与えてくれるだろう。
この研究成果は『ACS Central Science』誌(2026年1月14日付)に掲載された。
スパイ映画などで、誰かを隠密かつ迅速に始末したいときに選ばれる薬品といえばシアン化物だ。
シアン化物とは特定の毒薬の名前ではなく、炭素と窒素が結びついた「シアン基」を持つ化合物の総称である。
「青酸カリ(シアン化カリウム)」も、このグループに含まれる一種だ。これらの物質は、体内で細胞が酸素を利用するのを阻害するため、摂取した相手は数分以内に細胞レベルで窒息し、死に至る。
しかし、一連の新しい研究によって、そのグループの一種である「シアン化水素(HCN)」には、生命を与えるという驚くべき機能も備わっている可能性が示された。
2025年のサウスダコタ州立大学の研究チームによる発表では、シアン化水素が私たちの体内において、細胞代謝や神経伝達、免疫反応といった複数の機能で重要な役割を果たしていることが判明した。
もちろん、体内に存在する量は致死量には程遠い。「薬も過ぎれば毒となる(量は毒を作る)」という古い格言の通りだ。
さらに、私たちの体は「ロダネーゼ」と呼ばれる酵素によって常に制御されている。この酵素は体内のシアン化水素を無毒な塩類に変換し、体外へ排出する働きを持っているのだ。
この画像を大きなサイズで見るサウスダコタ州立大学の研究実験。哺乳類の細胞が生み出したシアン化物を可視化したもの。右側の容器はシアン化物濃度が高いため、青く発光しているのがわかる。左側は濃度が低いサンプルだ。この技術により、私たちの細胞が日常的にシアン化物を生成していることが確認された。Image credit: The Logue Labシアン化水素は、より広い視点、すなわち地質学的な意味での現代においても有益な化学物質である可能性がある。
今回、スウェーデン・チャルマース工科大学が発表した新しい研究は、この死をもたらす化学物質こそが、地球上のあらゆる生命の形成に必要不可欠だったのではないかと提起している。
チャルマース工科大学の研究共著者であるマルティン・ラーム氏は、プレスリリースで次のように述べている。
生命がどのように始まったのか、その正確なところは永遠にわからないかもしれない。だが、その材料の一部がどのように形作られたかを理解することは、手の届く範囲にある。
シアン化水素はこの化学的複雑さの一つの源である可能性が高く、我々はそれが寒冷な場所で驚くほど速く反応し得ることを示した
ラーム氏と彼のチームは、凍結したシアン化水素の結晶の表面が、通常の寒冷環境では起こり得ない化学反応を促進することを発見した。
シアン化水素が水と反応することで、ポリマー(重合体)、アミノ酸、そしてDNAの基礎となる核酸塩基を生成することができるのだ。
これらはまさに、生命を構成するタンパク質や遺伝情報の土台となる物質である。
この画像を大きなサイズで見る顕微鏡で見たシアン化水素の結晶 シアン化水素は凍ると、赤枠で示すような細長い「針状」の結晶となり、まるで蜘蛛の巣のように複雑に絡み合う。この特殊な構造が広い表面積を作り出し、生命誕生に必要な化学反応の舞台となった可能性がある。Image credit: Morgan L. Cable, Tuan Vu, and Robert Hodyss / Courtesy of NASA/JPL-Caltechシアン化水素は宇宙全体の至る所に存在している。太陽系内の衛星や惑星の大気中にも、宇宙空間を疾走する彗星からも、どこにでも見つかる物質だ。
例えば海王星の成層圏には「シアン化物ベルト」が含まれており、土星の衛星タイタンも同様のシアン化水素を含む層を保持している。
さらに、謎の恒星間天体「3I/ATLAS」が一時的に緑色に輝いたのも、このシアン化水素が含まれていたことが原因の一つとされている。
言い換えれば、シアン化水素がどのように生命を促進するかを理解することは、科学者たちが太陽系内外のどこで微生物生命体を探すべきか、より明確な手がかりを得ることにつながるのだ。
今回の研究でチームは、コンピューターモデリングを利用して、凍結状態のシアン化水素を広範囲に調査した。
その結果、シアン化水素を「水素イソシアニド」へと変換する2つの経路を特定した。水素イソシアニドは、シアン化水素の原子配列が変わったもので、さらに反応性が高い物質である。
ラーム氏は論文で次のように記している。
この画像を大きなサイズで見る凍結したシアン化水素の表面で起きる化学反応のイメージ図 左側の規則正しく並んだシアン化水素(HCN)の結晶から、水素原子が移動することで、より反応性の高い「水素イソシアニド(HNC/右側の緑色部分)」へと変身する様子。この反応が、生命の材料を作る第一歩となる。Image credit:© 2026 The Authors. Published by American Chemical Society CC-BY 4.0 .工業用化学物質としての有用性はさておき、その豊富さゆえに、惑星科学や宇宙化学において、そして生命の起源に先立つ化学反応の重要な構成要素として興味深い存在である。
したがって、タイタン上のシアン化水素の氷の構造、分布、特性を解読することは、この世界の化学的および地質学的進化を理解するために不可欠なのだ
生命の基礎におけるシアン化物の役割は、決して新しい話ではない。1950年代に行われた有名な「ミラー・ユーリーの実験」でもその兆候は見られていた。
この実験は、生命誕生以前の原始地球の環境をシミュレートし、そこに電気アーク(雷)を当てることで、古代の落雷が生命に必要な「火花」を与えたかどうかを調査したものだ。
その際、シアン化物が核酸塩基を生成するための重要な中間体であることが発見されている。
それから70年が経過した2022年、NASA宇宙生物学プログラムの支援を受けたスクリプス研究所が発表した研究でも、初期の大気中で二酸化炭素との反応においてシアン化物が利用され、炭素ベースの化合物を形成した可能性が示されている。
シアン化物は確かに猛毒だが、生命に関与しているという特性は、それ以上に印象的なものかもしれない。
References: Sdstate / Pubs.acs.org / Sciencedaily / Astrobiology.nasa.gov
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