昭和天皇も揺れていた? ポツダム宣言受諾 「聖断」前の迷い
戦争を続けるか、降伏か――。
太平洋戦争下の1945年8月14日、昭和天皇の2回目の「聖断」によって、大日本帝国はポツダム宣言の受諾を決めた。
当時の生々しい肉声を伝える1次資料『昭和天皇独白録』からは、この決断に至るまで天皇の気持ちも揺れていたことがうかがえる。
1回目の「聖断」があった8月10日から15日正午の「玉音放送」まで。緊迫の日々を振り返る。
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戦争継続を主張する軍幹部を抑え
大日本帝国の敗北が決定的となっていた45年8月10日。深夜に開かれた「御前会議」における昭和天皇の決断によって、連合国への降伏を意味するポツダム宣言の受諾が決まった。
第1回「聖断」だ。帝国首脳は、国体すなわち「天皇が国家統治の大権をもつ大日本帝国の体制」の「護持」を受諾の条件とした。
ところが、連合国からの確約が得られなかったことから、首脳の意見は割れた。もともと受諾に反対していた阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は連合国への再照会を主張した。
すでに米軍によって原爆が2発、広島と長崎に投下されている。通常爆撃も続いていた。「国体護持を保証するのか?」などと連合国に再度問い合わせ、回答を待っていたら、被害はさらに広がる。
1回目の「聖断」の前に<このまゝでは日本民族は亡(ほろ)びて終(しま)ふ、私は赤子(せきし)を保護する事が出来ない>と危機感を抱いていた天皇としては、「早く戦争を終わらせないと」という、焦燥感があっただろう。
14日午前11時過ぎ、「御前会議」が始まった。議論はまたもや分かれたが、天皇はなお戦争継続を主張する軍幹部を抑えて、ポツダム宣言受諾が決まった。2回目の「聖断」だ。
『独白録』の2回目「聖断」記述は…
この場面を『昭和天皇実録』が詳細に伝えている。宮内庁が編さんし、2014年9月に公開された。それによれば天皇は以下の旨を…
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