昭和天皇も揺れていた? ポツダム宣言受諾 「聖断」前の迷い

1987年4月29日、誕生日を参賀するために皇居を訪れた国民に手を振って応える昭和天皇=木村滋撮影

 戦争を続けるか、降伏か――。

 太平洋戦争下の1945年8月14日、昭和天皇の2回目の「聖断」によって、大日本帝国はポツダム宣言の受諾を決めた。

 当時の生々しい肉声を伝える1次資料『昭和天皇独白録』からは、この決断に至るまで天皇の気持ちも揺れていたことがうかがえる。

 1回目の「聖断」があった8月10日から15日正午の「玉音放送」まで。緊迫の日々を振り返る。

 関連記事 その時、昭和天皇は動いた 御前会議で反対派諭す 戦争終結急ぎ どうして戦争できるか了解出来ない」 昭和天皇下した「聖断」 交渉振り返るのもつらい 81年前に昭和天皇を袖にした大国

戦争継続を主張する軍幹部を抑え

 大日本帝国の敗北が決定的となっていた45年8月10日。深夜に開かれた「御前会議」における昭和天皇の決断によって、連合国への降伏を意味するポツダム宣言の受諾が決まった。

 第1回「聖断」だ。帝国首脳は、国体すなわち「天皇が国家統治の大権をもつ大日本帝国の体制」の「護持」を受諾の条件とした。

 ところが、連合国からの確約が得られなかったことから、首脳の意見は割れた。もともと受諾に反対していた阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は連合国への再照会を主張した。

 すでに米軍によって原爆が2発、広島と長崎に投下されている。通常爆撃も続いていた。「国体護持を保証するのか?」などと連合国に再度問い合わせ、回答を待っていたら、被害はさらに広がる。

 1回目の「聖断」の前に<このまゝでは日本民族は亡(ほろ)びて終(しま)ふ、私は赤子(せきし)を保護する事が出来ない>と危機感を抱いていた天皇としては、「早く戦争を終わらせないと」という、焦燥感があっただろう。

 14日午前11時過ぎ、「御前会議」が始まった。議論はまたもや分かれたが、天皇はなお戦争継続を主張する軍幹部を抑えて、ポツダム宣言受諾が決まった。2回目の「聖断」だ。

『独白録』の2回目「聖断」記述は…

 この場面を『昭和天皇実録』が詳細に伝えている。宮内庁が編さんし、2014年9月に公開された。それによれば天皇は以下の旨を…

1日あたり約35円!月額1,078円(税込)で読み放題

関連記事: