トランプは関税で「アメリカのスターリン」の夢を見るか?
今月に入ってから、まじめな政治経済のニュースはトランプの「相互関税」で持ち切りだ。相互もなにも、一方的に米国の側が関税を増額し、文句あんなら相互にしてみろやゴラァと言ってるだけだから、無茶苦茶である。
輸入品に課税しても、その分は販売時の価格に転嫁されるから、結局は米国内の消費者が負担する。そもそもインフレだから廉価な海外産に頼っていたところに、「関税値上げ」が加われば生活苦はより悪化し、遠からず経済界を中心に、トランプ支持の基盤が崩れると予想する向きは多い。
半分は、ぼくもそう思う。しかしもう半分の疑いが、拭いきれない。
実はトランプ自身、今回の政策で米国民の暮らしが苦しくなることを、公に認めている。4/6の報道にはこうある。
ドナルド・トランプ米大統領は5日、ほぼすべての貿易相手国に対する一律10%の追加関税を発動したのを受け、国民に忍耐を求める一方、歴史的な投資と繁栄をもたらすと約束した。
トランプ氏は自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」に、……「これは経済革命であり、われわれは勝利する」とし、「耐え抜け。簡単ではないが、最終的な結果は歴史的なものになる」と付け加えた。
強調は引用者
「俺はお前らに苦しい思いをさせる」と明言した上で、これは革命なんだから使命感でついてこいと強要する。歴史家の眼で見た時、実はそうした強権統治のあり方は、そんなに珍しくない。
まだ歴史学者をしていた2013年の秋に、ぼくはこう書いたことがある。
フルシチョフの頃からすでに、共産主義の理想は「生活水準の向上」としてプロパガンダされていたため、〔ソ連の〕人々が冷戦末期に西側の豊かな消費社会を目にしたとき、そちらへの脱走を転向と感じる理由はなかったのである。
しかしその資本主義もまた、社会主義の崩壊と同時に「すべての人」を豊かにするという夢を失った。ソ連解体後、ロシアで市場経済の導入が強行された際に語られた「いまを耐えれば未来が手に入る」という新自由主義のスローガンは、皮肉にもスターリン独裁が最悪に達した時期のそれと、同じものだった。
記事の2頁めより
そうなのである。統治者の政策で生活が苦しくなっても、「やがて報われるから、その苦しさには意味があるんだ」と強弁されて、かつそれを国民が信じてしまえば、意外にその体制は保ってしまうものなのだ。
いまだと朝鮮半島の北半分に、そうした国がある。さすがにアメリカ国内には、強制収容所ができたりはしていないけど、かつてWW2の際に日系人の収容に用いた法律を復活させて、中南米の地獄の刑務所に不平分子は叩き込むぞと脅したりはしている。すごい話である。
スターリンの思想は、よく一国社会主義と呼ばれる。ライバルのトロツキーが世界革命を唱え、グローバルに展開しないかぎり共産主義は持続しえないと主張したのを退けて、ソ連のみでの自立経済に徹したものだ。
これに倣うと、関税政策に見るトランプの発想は一国資本主義なのかもしれない。グローバルな市場競争の下で、各国が(比較優位に応じた)最適生産の道を選ぶことで、初めて資本主義はペイするというのが近日までの常識だったけど、「それは嫌だ!」というわけだ。
思えばトランプ以前の米国共和党で猛威を振るった、ネオコンも元はトロツキストだった。スターリン以降の「ソ連憎し」のあまりに、もう American Way of Life こそが共産主義並みの人類の真理だとみなすことにして、そのやり方で地球のすべてを覆い尽くそうとする人びとだ。
実は民主党のリベラリズムとも、こうした「アメリカの正義は人類の正義」思考は相性がいい。なので、それはロシアとの対立を辞さずにウクライナを欧米化しよう、といったプロジェクトも支えてきたのだけど、ご存じのとおり、トランプはそちらも容赦なく打ち切ろうとしている。
トランプがやっているのは、いわば資本主義国における「トロツキーの粛清」なのだろうか? それはスターリンと同じく、いかに暴力的でも結構な長さで、意外にも続いてしまうのだろうか?
こう言うと色んな人が怒るけど、だいぶ前から日本の意志次第でアメリカや、まして世界をどうこうできる力はとっくにないのだ。だったら一歩退いた眼で、トランプの暴走が単なる一時的な「バグ」なのか、それとも時代の転換点かを考えてみるのも、歴史家の仕事のような気がする。
(ヘッダーは第1次政権下、2018年1月のWashington Monthly より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。