〈山口組分裂抗争終結〉「体調が悪かろうが這ってでも来い」直参組長への“異例の招集状” 司忍組長を悩ます「七代目体制」
この1ヶ月ほど、山口組分裂抗争は水面下で情報が錯綜していた。 「きっかけは3月に稲川会が、日本全国の暴力団組織に幹部を派遣し、山口組分裂抗争終結の同意を得るために奔走していたことがわかったこと。全国の暴力団組織の同意を取り付け、六代目側の了承を得た上で、稲川会が主導して神戸山口組と交渉するという筋書きだったと見られる。 いくつの組織から賛同が得られたか具体的な数はわからないが、一定数の賛同は得られたと見られている。3月13日には六代目山口組ナンバー2の高山清司若頭と稲川会の内堀和也会長が話し合いの場を持っている」(実話誌記者) 4月に入り、動きは加速する。4月4日に高山若頭は再び、内堀会長と会談をもつが、その場には住吉会トップの小川修司会長も同席していたことがわかっている。その3日後の4月7日。六代目山口組は大きく動く。 「高山若頭と竹内照明・若頭補佐が稲川会の会館を訪れ、再び内堀会長、小川会長と会談を行ないました。さらに、その裏で六代目山口組ナンバー3の森尾卯太男本部長らが兵庫県警本部を訪れ、『宣誓書』を渡しました。抗争相手の神戸山口組、池田組、絆會らとの抗争を終結することにしたといい、一般市民へ迷惑をかけたことのお詫びが書かれていたと見られている」(同前) これまでに多数の犠牲者を出した山口組分裂抗争。抗争相手の神戸山口組らの動向は不明だが、今後、六代目山口組としては4月7日で終結したというスタンスを貫くようだ。
六代目山口組の一方的な「抗争終結宣言」と同時に直参組長らに緊急招集がかかる。 「翌日に愛知県豊橋市の傘下組織事務所で緊急会合が開かれるというものでした。山口組は全国に組織があるため、『関東』『中部』『大阪北』など地域をブロックに区切り、ブロックごとに会議を開き、伝達事項を共有します。全直参組長が一同に集まるなんて年末年始の行事くらいです。 おまけに暴力団関係者の間で回った文面には“直参組長は体調が悪かろうが這ってでも来るように”といった内容が書かれていたため、抗争終結の通達だけではなく、“七代目体制などの発表があるのではないか”という憶測も広まりました」(前出・実話誌記者) 会場となった傘下組織事務所前には早朝からメディアと警察が駆けつけ、物々しい空気に包まれていた。警察は兵庫県警、警視庁など全国から30名以上の捜査員が集まっていた。随時、シャッターが開き、高級車が入るが、乗員が降りる際にはシャッターを下ろし、姿が見えないようにするなど厳戒体制が見受けられる。 緊急会合が終了したのは13時過ぎ。シャッターが開き、敷地内のガレージに多数の直参組長が顔を見せた。高山若頭を筆頭に厳しい顔つきの組長も多かったが、なかには笑顔を見せる組長も確認できた。 「司忍組長の姿は確認できず、高山若頭、森尾本部長、青山千尋舎弟頭、若頭補佐8人の執行部11人主導で会合は進められたと見られている。会合自体は20分ほどで終わり、抗争終結に至った理由などの説明はなかった。高山若頭は『六代目山口組は前進あるのみ』と大きな声で発破をかけたそうです」(同前) 直参組長や関係者の間で噂されていた新人事についての発表はなかった。 「これまで司組長は分裂抗争終結まで引退しない意向を示していたと言われています。その分裂抗争に対して、六代目側は“終結した”という結論を出したわけなので、今後は新体制への関心が否が応でも高まります。 暴力団のルールに則れば七代目は高山若頭になる。高齢で健康上の理由も囁かれているので先行きは不透明ですが、それ以上に注目が集まるのが、“七代目体制の若頭”です。こちらも竹内若頭補佐が有力と見られていますが、竹内若頭補佐は司組長、高山若頭と同じ弘道会出身です。 何代も弘道会出身者が重宝されるとなると組織内に不満を持つ者が現れるかもしれない。実際、神戸山口組側は分裂当初、弘道会中心の体制への批判を公言していました。再分裂だけは山口組も避けたいはず。それだけに司組長の決断に注目が集まります」(同前)