量子シミュレーターで探る磁気の臨界輸送現象
粒子の集団である「多粒子系」の振る舞いを理論面から追究している関野 裕太 特別研究員。レーザーでつくる極微の格子(光格子)に原子を1個1個閉じ込め、その中で磁気の流れを捉える新たなモデルを考案しました。そして、そのモデルの理論計算から、不思議な磁気の輸送現象を見いだしました。
関野 裕太(セキノ・ユウタ)
数理創造研究センター 数理展開部門 量子数理科学チーム 特別研究員
電子スピンの振る舞いを人工結晶で検証する
関野 特別研究員は、新たなシミュレーションモデルの着想に至った経緯から話を始めた。「この着想には二つの前提があります。磁性の源である『電子のスピン』の重要性と、多数の冷却原子を対向するレーザー光の干渉で形成された光格子に閉じ込めた、いわば人工の結晶システムの存在です。人工の結晶システムにおいてスピンがどう振る舞うかを理論的に検証するためのものです」
結晶中の電子には電荷とスピンという二つの性質がある。もともと電子工学の分野では、電荷、つまり電流のコントロールに着目した研究が主流で、その成果はさまざまに応用され、ネット社会の基盤を形づくるまでになった。しかし、電子が物質中を移動するため抵抗による発熱など、エネルギーロスの大きさが問題になっている。この点、磁性はあるが電流を通さない磁性絶縁体では、電子自体は移動せずに隣の電子に自分のスピンの向きを波のように伝えることができるので、エネルギーロスが非常に小さい。そこで現在、世界中でスピンを有効活用した工学応用を目指すスピントロニクスの研究が精力的に進められている。
また、この四半世紀、レーザーで冷却した多数の原子(原子気体)を対象として、粒子の量子力学的な振る舞いを調べる研究が理論と実験の両面で進んでいる。このような冷却原子気体のシステムは「量子シミュレーター」とも呼ばれ、最近ではこれに光格子を加えた人工結晶システムの研究も盛んになっている(図1)。この人工結晶には通常の固体の結晶で見られるような欠陥がなく、レーザーで詳細に原子状態のコントロールや観測ができるので、量子現象を詳細に捉えることができる。さらに、光格子でトラップされた原子を電子に見立てて、電子の量子力学的な振る舞いを調べる研究も行われている。
図1 量子シミュレーターに光格子を加えた人工結晶システム
レーザーを干渉させてつくった光格子に原子を1個1個閉じ込める。
関野 特別研究員が今回の理論研究で利用したのも、この「冷却原子を結晶中の電子に見立てる」方法だ。「電子のスピンの値は二つですが、原子のスピンは構成要素である電子・陽子・中性子の複合的なもの。そこからレーザーの当て方や磁場のかけ方によりスピンの二つの状態だけを取り出します。また、各原子は光格子でトラップされて動かないので、電子自体が動かない磁性絶縁体のモデルとして扱うことができます」
磁性絶縁体を極細の流路でつなぐ
こうして固体結晶中の電子を模擬したモデルはできた。では、次にどのような条件を設定すれば、電子スピンの振る舞いをきちんと把握できるのか?それを考えたときに、関野 特別研究員の頭に浮かんだのは、二つの磁性絶縁体を、レーザーを使った極細の流路でつなぐというモデル(磁気的量子ポイントコンタクト)だ(図2)。
図2 磁気的量子ポイントコンタクトの模式図
左右の原子気体のスピン(赤と青の矢印)が磁性絶縁体を模しており、水色の磁気的量子ポイントコンタクトによってつながっている。この量子ポイントコンタクトを通じて、左右の原子気体系は磁気と熱の交換を行うことが可能である。
「この量子シミュレーターでは、磁気の状態が次々と隣の原子に伝わっていく『磁気の波(マグノン)』と熱だけが伝わるので、それらの動きを理論的に追うことができます」。このモデルに、量子力学に基づく計算を適用したところ、磁気抵抗などの計算結果はすぐに出た。しかし、「それが物理的に何を意味するのか、どんな重要なことが隠れているのかを、今回は考えさせられました」と関野 特別研究員は振り返る。ここで前提となる重要なポイントは、磁気の波であるマグノンは量子力学では準粒子と見なされ、「ボース粒子」だということだ。
磁気の抵抗が無限に小さくなり、磁気の緩和時間が著しく長くなる
粒子にはフェルミ粒子とボース粒子の2種類がある。電子も陽子も中性子も、パウリの排他律というルールに従うフェルミ粒子だ。一方、光子や質量数が偶数の原子核(例えば陽子2個中性子2個からなるヘリウム4の原子核)はこのルールに従わないボース粒子である。ごく簡単に言えば、ボース粒子の大きな特徴は多数の粒子が同時に特定の一つの状態をとることができることで、極低温の状態で全ての粒子が一つの状態になることを「ボース・アインシュタイン凝縮」と呼ぶ。「理論計算の結果から、ボース・アインシュタイン凝縮を起こす直前のところで、磁気抵抗がものすごく小さくなる、凝縮に近づけば近づくほど限りなくゼロに近くなることが分かりました」。逆に言えば、これは磁気伝導度が無限に大きくなることを意味する(図3)。
図3 ボース・アインシュタイン凝縮を起こす直前の磁気抵抗
理論計算でもう一つ明らかになったことがある。磁気的量子ポイントコンタクトを挟んで左右の磁性絶縁体の間に磁気と熱の流れが生じるが、やがては左右の状態が同じになって平衡に達し、磁気も熱も流れなくなる。熱い物と冷たい物を接触させると、やがては同じ温度になるのと同じだ。これを緩和というが、緩和にかかる時間が磁気と熱とでは、大幅に異なったのだ。通常は熱の差(温度差)と磁気の差(磁化差)は互いに影響を及ぼし合いながら緩和するので、両者の緩和時間は同程度になる。しかしながら、スピンに働く外部からの磁場(有効磁場)が小さい場合、磁化差の緩和はゆっくりで、温度差の緩和は早いという計算結果となった(図4(a))。さらにスピンの有効磁場が小さくマグノンの量子性が強くなる領域、いうなればボース・アインシュタイン凝縮の直前領域では、緩和時間が非常に長くなることが判明した(図4(b))。
図4 マグノンの持続的な磁気の流れ
「水が氷になるように、物質のある安定した状態(相)が別の安定状態にガラッと変わることを相転移といいます。その直前のところで臨界現象という面白い現象がいろいろと見つかっています。ボース・アインシュタイン凝縮も相転移なので、今回の発見もそうした面白い現象の一つと言えますね」
相転移の向こう側には?
現在、次世代磁気メモリ開発において磁気の流れの持続が大きな課題となっている。ゆっくりした磁気緩和を生み出す機構は、その突破口になることが期待される。また、磁気抵抗が無限に小さくなる現象は、ボース・アインシュタイン凝縮の向こう側へと私たちの想像をかき立てる。固体物質の研究で示唆されてきたような、磁気抵抗ゼロの磁気超流動のようなものが光格子系でも存在するのだろうか。ぜひとも相転移の向こう側をのぞいてみたいものだ。
(取材・構成:由利 伸子/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
関連リンク
- 2024年10月21日プレスリリース「極低温の原子気体で作る持続的な磁気の流れを発見」
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