【続報】「グエー」が呼んだ寄付、がん研究センターで過去最多に◆「奏琉の人生は意味があった」と父親感謝:時事ドットコム

 2025年10月、がんで闘病していた男性が22歳の短い生涯を閉じました。男性が「グエー死んだンゴ」というインターネットのスラング(俗語)を、死後に表示されるようSNSへ遺していったことが大きな反響を呼び、がんの研究機関などに寄付が相次ぎました。

 あれからまもなく1年。国立研究開発法人国立がん研究センターに取材してみると、2025年度には約2万7000件、11億円以上の寄付があったそうです。件数、金額ともに過去最多となり、SNSでの広がりが寄付増加の一因だったとみられています。(時事ドットコム取材班キャップ 渡辺恒平

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死後に現れた投稿、ネットに広がった共感

 ここで改めてこの出来事を振り返りたい。北海道津別町出身だった中山奏琉(かなる)さんは、「類上皮肉腫」というがんの一種を患い、2025年10月12日に22歳で亡くなった。中山さんがやっていた「なかやま」というX(旧ツイッター)のアカウントには、友人が「静かに息を引き取りました」と書き込んだが、14日になって「グエー死んだンゴ」という投稿が現れた。

 この言葉は、強いショックを受けるような状況を茶化すニュアンスの、ネットの掲示板で流行ったスラングだ。中山さんが死の直前、予約投稿したとみられる。この投稿はネットユーザーの心を揺さぶり、共感した人たちが「香典」と称した寄付を国立がん研究センターなどに多く寄せた。

過去最多の寄付額となったがん研究センター

 こうしたムーブメントは、どれほどの広がりを見せたのだろうか。国立がん研究センターに取材すると、2025年度には2万7940件の寄付があり、金額は計約11億7600万円に上ったことが分かった。20年度に「国立がん研究センター基金」が設立されて以来、件数、金額ともに過去最多だという。

 センターは「要因の一つとして、SNSを通じて当センターの活動を知っていただく機会が増え、多くの方からご支援をいただけたことが挙げられる」と指摘。ただ「年度実績はさまざまなご支援の積み重ねによるもので、特定の要因のみで説明することは難しい」とも述べた。

 寄付をした人たちに向けて、「心より感謝申し上げる。いただいたご支援を大切に活用し、医療や研究の発展に努める」とコメント。寄付は公的研究費や企業からの支援では取り組みの難しい研究や治療開発、患者の療養環境の向上などに活用するという。

がん研究会も件数1.75倍

 寄付の流れは、公益財団法人がん研究会にも及んだ。同会のアニュアルレポートによると、2025年度の寄付金収入は7億1282万円余り。法人から685件、個人から5807件が集まった。個人寄付は「2番目に多かった20年度(3310件)の約1.75倍で直近10年間の最多件数」(同会)。金額は10年間で6番目だったが、高額の寄付があった年もあり、件数の多さには必ずしも比例しないためとみられる。

 寄付の理由欄に書かれた内容から、同会は約2800件が中山さんの投稿に関連した寄付だったと考えている。アニュアルレポートにも特別なコラムを掲載し、中山さんの投稿が、寄付のムーブメントにつながったと報告した。

 多くの寄付に、がん研究会は「まさに未曽有の経験であり、大変驚いているとともに、期待の大きさに身が引き締まる思い」と回答。寄付金は「がん克服」の実現に向けて使うといい、25年度は患者への負担が少ない手術を可能とする内視鏡システムの更新などに充てたという。

父親「奏琉の人生は意味のあるものだった」

 記者は寄付額などについて、奏琉さんの父・和彦さんに取材して内容を説明した。「寄付金額を聞いて、妻と大変驚いている」とメールで回答した和彦さん。「奏琉は短い人生でしたが、ギュッと詰まった意味のあるものだったのだと思います」と記した。

 香典代わりとして、多くの人が寄付をしたり献血やヘアドネーションをしたりと、がんや難病の人のために行動を起こしてくれたと語り、「こういった活動が数年後には、がんで苦しむ人の治療につながっていくことでしょう。苦しむ患者さんがいなくなれば、奏琉も喜んでくれるのではないかと思います。本当にありがとうございました」と感謝を述べた。「たまにで良いので、北海道の田舎で生まれ育った、短い人生でしたが最後までしっかり生き抜いた若者がいたことを、思い出してもらえれば」とも語った。

 奏琉さんが亡くなって、もうすぐ1年。「あっという間でした」。最初は苦しんでいた姿などを思い出して涙を流したという和彦さんだが、「最近は、友達と笑い合っているときや、小さい時のいたずらをしているときの、楽しい思い出で笑えるようになってきた」と話した。

 入院中から奏琉さんや和彦さんらを気にかけてくれた友人らの存在があったと語り、「本当に助けられ、救われた。感謝しかありません」と締めくくった。

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