『都市の少子社会』の「縁、運、根」

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(前回:『社会学的創造力』の「縁、運、根」

「少子化は神が示した摂理」か?

連載8回目『高齢社会とあなた』(1998)で紹介した森永卓郎『<非婚>のすすめ』は講談社現代新書であった。1995年の国勢調査では、年少人口数(子どもの数)は2003万人(16.0%)であり、高齢者数が1828万人(14.6%)であったせいか、出版界だけではなく新聞各紙でもまだ少子化への危惧はなかった。

そのなかでも藤原正彦の少子化は「孫の世代に理想国家を贈るため」(「未知しるべ」『朝日新聞』1998年11月7日)、および猿谷要の「少子化は神が示した節理」(「世相ひとひねり」『日本経済新聞』1998年11月17日)は異色の作であった。それからほぼ30年が経過した今日、このような的外れな言説はさすがに消失したが、その後のお二人はどのような感想をお持ちであろうか注1)

少子化が及ぼすデメリットも示す

しかしこのようなエッセイが大新聞に掲載されるのでは、少子化が及ぼすデメリットが国民に周知されないまま、日本社会が二世代後の60年後には破局を迎えるのではないかという危惧を私は持ち始めていた。

9回目の『社会学的創造力』(2000)でも第10章「子育て共同参画社会」で少しは触れたが、やはり「少子化」に正面から取り組んだ専門書を出す必要性を感じるようになった。

将来世代国際財団主催の研究会と共著刊行

たまたま2000年9月に財団主催の共同研究会「中間集団が開く公共性」の発題者に指名され、京都のホテルの会議室で「少子高齢化と支え合う福祉社会」を1時間発表して、それを素材にした討論会を1時間行った。その前後は長谷川公一東北大学教授と今田高俊東京工業大学教授が同じように発題者となられ、議論が行われた。

この3名の発表原稿に手を入れ、合わせて関係者として塩原勉大阪大学教授、佐藤慶幸早稲田大学教授、鳥越晧之筑波大学教授などの執筆により、『中間集団が開く公共性』が2002年4月に刊行された。

東京大学出版会からの出版

もともとこの研究会の成果は「公共哲学」(全10巻)として東京大学出版会から刊行中であり、私たちが執筆した本は7巻目であった。そしてその全10巻の担当責任者が竹中出版局長であった。

そこでお世話になった竹中氏に、『都市の少子社会』の完全原稿を書き上げた2002年の秋に出版のご相談をしたところ、東大出版会では本格的な「少子化」の本はないので、「原稿を送ってください」という返事をいただいた。その後、内容と形式について数回のやり取りをして、正式に出版が決まった。

これはうれしかったが、反面で緊張した。何しろ当時は、東大出版会の本は東大出身の教授たちがほぼ執筆していたからである。しかしせっかくの機会なので、実証的で理論志向が強い「少子社会」論をまとめようと決意して、改稿を2003年3月末まで行った。

高田保馬の社会学的史観

ここでいう理論的な人口論とは、まずは高田保馬の社会学的史観(人口史観)を活用した「少子化する高齢社会」研究を指している。この理論への着眼は早く、連載第4回目の『都市高齢社会と地域福祉』(1993)の時から使ってきた。

1972年(明治5年)の日本には約3400万人の国民がいたが、ヨーロッパに追いつくべく近代化路線を歩む富国強兵策の結果、日本で初めて国勢調査が行われた1920年(大正9年)には5596万人まで増加し、1925年には5974万人に達していた。

社会学的史観=第三史観=人口史観

この年に刊行された『階級及第三史観』(改造社)で、高田は人口増加を与件とした日本社会の社会変動を体系化しようとした。それは、社会を構成する人口の量と質が、社会変動の中心としての階級の変動をもたらすという独自の史観であった。

先行するヘーゲルの精神史観やウェーバーの宗教(エートス)史観を第一史観、マルクスによる経済重視の唯物史観を第二史観と呼んで、それらとは区別して、人口が社会変動の筆頭要因であるとしたのが第三史観である。すなわち、社会学的史観=第三史観=人口史観はとりわけマルクスの唯物史観の批判の産物なのであった。

5つの史観

なお、私なりの社会学における史観には、これらに加えて、高度な情報機器の普及と莫大な情報量が伴った情報化を変動因とした情報史観、環境破壊や再生など環境重視を軸とした環境史観を想定してきた(図1)。これらについては、いずれ該当する書籍の際に詳述する予定である注2)

図1 社会学における5つの史観 (出典)金子、2013:51.

『経済学批判』における「人間」の位置づけ

高田が批判したマルクスは、『資本論』に先立つ『経済学批判』(1859=1934)の「序言」で「人間」を次のように位置づけている。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している」(同上:13)。

さらに、「物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定する」(同上:13)とした。

「経済決定論」の排除

このような人間と社会の理解に対して、高田は、下部構造としての経済が上部構造の政治、制度、文化、人間の精神をすべて規定するというマルクス主義の公式モデルを「経済決定論」として排除した。逆に、図2のように「土台」を入れ替え、上部構造に政治、法律、制度、精神とともに経済までも含めた。そして土台としての「社会の量質的組立」は人口の量と質であり、その上に社会関係が位置づけられた。

図2 高田保馬の人口史観 (出典)金子、2003:36.

これは、マルクス批判を根底にもつ「人口史観」として体系化されたが、現代の「少子化する高齢社会」における「人口減少時代」にも有効な理論と考えられる。

「人間の社会的存在」への規定力は経済だけではない

なぜなら社会学的にみれば、「人間の社会的存在」は経済だけに規定されるわけではないからである。

たとえば西洋史でも十字軍に象徴される宗教戦争そして日本史の一向一揆など宗教の力が、「人間の社会的存在」を脅かした例は多い。

また現在でも、定年退職後の生きがいや健康づくりを志向する「精神」によって、その高齢者の活動内容が左右される事例も多々あるからである。そこでは所得や資産ではなく、「精神」の働きが優位を占めている。同時に政治への関心が強ければ、政治理念への同調の方が経済よりも個人を動かすであろう。

高田理論社会学

高田理論は、企業・組織間の「勢力」が経済構造に強く影響するとみる「勢力経済学」と人口増加(ならびに減少)が、社会を変動させるという「人口史観」を大きな特徴とする。後者は図2で示したように、上部構造とされた政治、法律、経済、思想、文化などを変化させる原動力として人口を位置付ける考え方である。

たとえば、人口が増加すれば、たくさんの職種や職場を必要とし、食糧やエネルギー源を国内外に求めざるをえない。それを支援促進するための法律を政治は用意するし、貧困が広がれば、生活保護の認定条件を見直し、国民への一時金の支給など福祉サービスの拡大が実行されることもある。また失業対策のための各種職業支援が強化されたりする。人口史観とは人口を軸として社会現象を解釈する歴史観である。

不遇な人口史観

ただ長らくこの人口史観は不遇であった。なぜなら、高田がこの史観を提出した時代は20世紀前半の日本資本主義の勃興時期であり、それ以降の50年間は経済が社会を変動させた時代であったからである。

すなわちその期間は、商品を作り出す企業生産力の強弱がすべての社会現象の根源にあり、経済が政治、法律、思想、文化などを突き動かすとする「唯物史観」が十分な説明力をもっていた。

河上肇などマルクス主義者との理論闘争

学問的に見るとこの時代に高田は、河上肇を筆頭とするマルクス主義の信者との理論闘争を抱えて、他方では近代経済学の先端を走る位置にいた。

社会学から経済学への転進であるが、そのためにこの人口史観は社会学での後継者を得なかったため、日本社会分析にも威力を持ち得なかった。

人口史観が脚光を浴びたのは逝去後

皮肉なことに1972年に高田が亡くなる寸前、日本の高齢化率は7.1%を突破して、1970年が日本の高齢社会元年になった。これによって初めて人口史観の基盤が日本社会にも現われ、高田社会学の人口史観は少子化と長寿化という日本社会の内圧を解明する重要な理論装置となったと私は考える。

人口増減が政治、法律、経済、思想、文化の分野を変える

たとえば、高齢者が増大したので、2000年4月から介護保険制度が動き出した。少子化が進み、年金制度が揺らぎ、社会保障財源論議が開始され、年金制度の見直しも始まった。また、福祉産業への就業人口は着実に増えてきた。その時期はホームヘルパー資格取得への国民的意欲は高揚した。これらは人口が政治、法律、経済、思想、文化の諸分野を変えつつあることの証明であった。

また現在では、毎年100万人~130万人を超えていた出生数が68.6万人になったので、子ども向けの市場は縮小せざるを得なくなった。それに関連する企業倒産も徐々に増えている(写真)。ただし、少なくなった子どもの医療費は全額国が肩代わりをしているし、すべての高校の授業料でさえも国が負担することになった。

写真 少子化による自己破産企業 (出典)金子、2000:252.

森嶋通夫の活用

先見の明とはいえ、この史観の提出は80年早かった。高田の「遠視力」には脱帽するが、これはむしろ21世紀の少子高齢化の時代に最も有効な社会学理論としての宝庫になるといえるであろう注3)

その証拠に高田高弟の森嶋通夫が「人口史観」を活用して、21世紀半ばの日本の「没落」を予見した。

日本の没落を予言

森嶋は高田の『階級及第三史観』を「高田の著作の中でも特筆されるに価するものだ」(1999:15)と評価して、20世紀末に『なぜ日本は没落するか』を書くにいたった。

「将来の社会を予測する場合,まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的,質的に変化するかを考え,予想時点での人口を土台としてどのような上部構造-私の考えでは経済も上部構造の一つである-が構築できるかを考えるべきである」(同上:12).「人口の量的,質的構成が決定されるならば,そのような人口でどのような経済を営み得るかを考えることが出来る.土台の質が悪ければ,経済の効率も悪く,日本が没落するであろうことは言うまでもない」(同上:14)。

「50年ごとの人口半減の法則」

表1は、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)がこの時期に発表したによる将来人口予想であるが、2050年に9000万人を割り込み、2100年に4500万人まで落ち込む「50年ごとの人口半減の法則」が窺える内容になっている。これは社人研が合計特殊出生率(TFR)を1.34と仮定して、男性の平均寿命が77.10歳、女性のそれが83.99歳とした予測値であった。

表1 国立社会保障・人口問題研究所による将来人口予想 (出典)金子、2003:11.

しかし周知のように、2023年のTFRは1.20であり、政府発表よる2024年のTFRは6月に1.15と発表された。

森嶋が危惧した以上のスピードで、日本社会が縮減を開始していることは自明であり、21世紀の中期にこの予言が外れることを願っているが、ここでは先に進もう。

「社会的ジレンマ」の理論も取り込んだ。

第二の「実証的で理論志向が強い研究」とは、社会的ジレンマ論の応用であった。

社会的ジレンマとは、「人々が個人的合理性を追求する結果、社会的には非合理的な状態に陥ってしまうメカニズム」(海野、2021:38)である。そこには合理的行動の捉え方から慣行と制度のかかわり方などの研究へと拡散するテーマがたくさんある。ウェーバーのいう「目的合理的行為」、「価値合理的行為」、「感情的行為」、「伝統的行為」に分けることも可能である(ウェーバー、1922=1972:39)。

社会的ジレンマとは、個々人が「合理的」に行為を積み上げても、社会全体では「非合理性」が蓄積して、その影響が個々人に非合理な形で還流するメカニズムといえる。これを本書で「少子化」の原因と対策に応用したのである。

個人の合理性が社会の非合理性をもたらすメカニズム

たとえば2002年の『朝日新聞』投稿記事「自分の夢を追う、自分の価値観を大事にする、ライフスタイルを大切にする、こんな世の中に子供を産めるのか」(6月13日)などに典型的なように、個人の合理性優先の言論がもてはやされた時代では、「自分の夢を追って80歳になった単身者」の介護や看護などは、本人も含めて誰も考えなかった。

しかしそれから20年後に気がつくと、次世代次々世代が減少して、連載第8回で示したように、25年目を迎えた介護保険制度はすでに危機的状況になっている。

社会にとっては合理的でも個人には非合理的な結果も生じる

逆もまた成立して、社会にとっては合理的でも個人には非合理的な結果もあり得る。

たとえば、納税が支障なく進むことは国税庁という行政機関にとっては合理的ではある。しかし、国民にそのためのe-taxを強要すれば、パソコンを保有しない個人や使えない個人にとっては非合理的な結果しか生み出さず、ひいては納税自体が遅れてしまう国民が増えてしまう。結果的に、行政の租税収入がいつまでも確定しなくなるという不合理性が発生する。

フリーライダーを生み出しやすい

事例研究として、海野が行った水利慣行の分析を通し得た結果である「慣行>制度」であれば、合理的にフリーライダーを生み出しやすいが、反対に社会的ジレンマの解決の一つはフリーライダーの防止だから、制度化ができるならば、極力それを目指した方(「慣行<制度」)が合理的と見なされる(海野、2021:155-175)。

制度よりも慣行が強いということは、「価値合理的」に設計された制度よりも、ウェーバーのいう「伝統的行為」が村民全体に普遍化されているためだと解釈できる。しかし合理化は慣行よりも制度を重視するから、フリーライダーを防止しやすいという特徴をもっている。

雪国の「スパイクタイヤ問題」解決に貢献

社会的ジレンマの解決に成功した「スパイクタイヤ問題」では、道路を削らず、雪道の制動に優れた「スタッドレスタイヤ」という有力な選択肢が提供されたことにより、道路環境が守れた稀有な事例になっている。

雪道を守るという「目的合理的行為」が「スタッドレスタイヤ」を作り出し、それが雪国の住民全体に共有されて、数年で車粉をまき散らす「スパイクタイヤ」の駆逐という価値合理性と整合する結果を生み出した。

「個人と社会」は単純な関係ではない

もともと「個人と社会」は単純な関係だけに止まるのではない。たとえば未婚で暮らすのは大人の男女個人だが、未婚の原因は社会の側にもある。

事例を挙げれば、会社が倒産して本人が失業して収入がない、非正規雇用で収入が低い、労働環境として長時間の勤務が多い、転勤が多い、サービス残業が多い、企業の業績が悪く、低賃金であるなどは、個人だけの責任でも会社だけの責任でもない。

個人生活史と全体社会の歴史

このように、人間と社会、個人生活史と全体社会の歴史、自己と世界などの二項対立間における相互浸透を把握しようとするのがミルズのいう社会学的想像力であり、実証精神の土台ともなる。それは、社会的ジレンマを発生させながら、生活史の諸問題と歴史の諸問題を相互浸透させる。

小家族化と単身化

さて、本書で何を実証的に論じたかに移ろう。

社会全体の動向としては、その30年間では、日本全国でも札幌市でも平均世帯人員の減少が顕著に認められて、小家族化が一貫して進んでいた(表2)。同じく三世代同居率も低下して、2000年から現在までの札幌市では2%程度で推移するようになった。日本全体でも政令指定都市札幌市でも、それだけ家族力が低下してきたことになる。

表2 平均世帯人と三世代同居率 (出典)金子、2003:25.

政令指定都市における合計特殊出生率

表3は当時の政令指定都市における合計特殊出生率(TFR)である。

日本全体でいえば、1995年が1.42で、2000年が1.36になったが、大都市の代表である政令指定都市と東京都区部でははるかに数値が下がっている。なかでも東京都区部と札幌市は著しく低い。そして今でもこの傾向は変わっていない。

表3 政令指定都市・東京都区部の合計特殊出生率 (出典)金子、2003:26.

大都市は「少子化」の社会的実験室なのである。タイトルを『都市の少子社会』としたのも、大都市の少子化現象が日本全体を10年以上先取りしていたから、大都市での少子化原因と対策を研究すれば、その結果は日本社会全体にもそのまま応用できると考えたからである。

本書では大都市を社会的実験室と見なして、そこでの傾向を把握して、原因を分析し、対策を考えて、社会的に提言するという姿勢を堅持した。

少子化の支援策

当時の政府による支援策は「少子化」全般ではなく、あくまでも「保育・育児」に特化した印象が強かった。表4で示したように、保育所の整備や児童手当や学童保育などには可能なかぎり予算措置が講じられていて、それは現在の6兆円規模に膨れ上がった年間予算でも変わっていない。

表4 保育・育児の支援策 (出典)金子、2003:20

しかし、2025年5月段階でも「年少人口数」(子どもの数)は44年連続減少を更新したし、その全人口に占める比率は11.1%にまで低下して、こちらは実に51年間連続して減少を記録した。

「子育て者支援」だけに偏重した40年間

その理由は、40年間の「少子化対策」の対象者が「子育て者支援」だけに偏重していて、「保育・育児支援」だけだったからである。

44年間の子ども数連続減少の背景に未婚率の増加があり、社会全体の「結婚からの逃走」(flight from marriage)が普遍化した事実への配慮が、政財界、マスコミ界、学界でも乏しかったことがあげられる。

婚外子率が2%台の日本では、結婚しなければ子どもが生まれない。日本では非婚が増えて、未婚率が上がれば、誕生する子どもが少なくなる。

少子化は社会変動

少子化は社会変動なのだから、「少子化対策」とはその変動する社会にどのように立ち向かうか、あるいは適応するか、誕生する子ども人口を減らさないようにするには、何をどうするかという政策こそが最優先課題であった。

ところが40年間は「保育・育児支援」に特化した歴史であったことで、次世代次々世代からケアマネージャー、介護福祉士、ホームヘルパーなどが得られず、諸制度をうまく利用しての「おひとりさまの老後」も危うくなってきた。

家族機能の衰弱

しかし、国民に「家庭の役割」を尋ねると、当時でも複数回答ながら①家族の団らん、②休息、やすらぎの場、③家族の絆を強める場、④親子が共に成長する場、などが上位に集まっていた(図3)。

図3 家族の役割(複数回答) (出典)内閣府大臣官房広報室(2002)

(注)金子、2003:92.

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