6万7800年前に描かれた手の輪郭、洞窟の壁から見つかる インドネシア
スラウェシ島の洞窟に残る初期人類によるものとみられる壁画/Maxime Aubert/Griffith University via CNN Newsource
(CNN) インドネシアの洞窟の壁面に赤い顔料で手の輪郭が描かれたのは、少なくとも6万7800年前のことだった。新たな研究によれば、これは世界最古の岩壁画である可能性がある。
スラウェシ島の洞窟に残る、当該の手の輪郭をはじめとする見事な壁画は、初期の人類によって描かれた公算が大きい。これらの人類は「サフル」として知られる失われた大陸に広がった人々に属するとみられる。サフルは現在のオーストラリア、パプアニューギニア、インドネシアの一部にまたがる形で存在した。
「これらはオーカー(黄土)で描かれている。そこに手を置いた状態で、上から顔料を吹き付けた。彼らがどのような技法を用いたかは分からない。口に顔料を含んで吹き付けたのかもしれないし、何らかの道具を用いたのかもしれない」。オーストラリアのグリフィス大学の考古学者であり地球化学者でもあるマキシム・オーベール氏はそう語る。同氏が上級著者を務めたこの発見に関する研究論文は、21日付の学術誌ネイチャーに掲載された。
壁画の一部から手の輪郭が浮かび上がる様子を示した映像(Griffith University)
手の輪郭の描写には部分的に修正が加えられ、指の細さを特徴付けている。その年代の下限は、当該地域で見つかった他の先史時代の芸術作品数十点よりも古い。これらの遺物は興味深い石灰岩の洞窟に残されている。別の事例では体の一部が人間、一部が動物の姿をした人物がイボイノシシを狩る場面が描かれる。こちらは美術史上最も古い、物語り描写の証拠となっている。
今回の研究では、スラウェシ島南東部の44カ所を調査し、手の輪郭7点を含む11点の岩壁画について確実な年代測定を行った。研究チームが最古となる手の輪郭を発見したのは、ムナ島メタンドゥノ洞窟の中だった。同洞窟にはもっと新しい年代の馬、鹿、豚の絵も描かれていた。それらはおそらく3500~4000年前に描かれたものだと研究は指摘する。こうした壁画は長年観光客を惹(ひ)きつけてきた。
スラウェシ島の岩壁画は、フランスのラスコー洞窟やスペインの洞窟で発見されたネアンデルタール人によるものとされる手の輪郭など、欧州の著名な洞窟壁画よりも古いものになる。
先史時代のピカソたち
手の輪郭を作成した先史時代の人々は、我々と同じ人類の種であるホモ・サピエンスの初期の人々だった公算が非常に大きく、氷河期の東南アジアで暮らしていたと、研究論文は指摘する。当時、海面ははるかに低く、この地域はまったく異なる様相を呈していたという。
オーベール氏は、人々が手の輪郭を作成した後、指を狭めて爪のように見せたと説明した。同氏によればこうした処理は、複雑な芸術的行為の事例と考えられる。
「これは単なる気まぐれな行為ではなかった。計画性と共有された知識、文化的な意味が必要だった」
これらの手の輪郭は、南アフリカの洞窟で発見された7万3000年前の石片に描かれた線画とは本質的に異なる。後者は一部で最古の絵画と称されてきたが、オーベール氏はそれらの線画を抽象的なものとし、意図して何かを描いたわけではなかった可能性を示唆している。
英ダラム大学の旧石器時代考古学教授で先史時代の芸術を研究するポール・ペティット氏は、この手の輪郭について、実際にははるかに古い可能性があり、ホモ・サピエンスによって作成されたと仮定すべきではないと指摘。同地域にはデニソワ人など他のヒト属も生息していた可能性があるとの見方を示した。ペティット氏は今回の研究に関与していない。
ペティット氏はまた電子メールで「細くとがった指を持つ手の輪郭が意図的に加工されたものか、単に指を動かした結果かは確かに不明だが、これを複雑と呼ぶのは手形そのものをかなり拡大解釈している」と述べた。
危険な旅
スラウェシ島に極めて古い洞窟壁画が存在する事実は、考古学者にとって白熱する議論に答えを出す手掛かりにもなっている。その議論とは、初期の人類がサフルと呼ばれる失われた大陸にいつ、どのように到達したかを巡るものだ。
一部の学者は人類が約5万年前にサフルに到着したと考えているが、少なくとも6万5000年前には到達していたとする仮説もある。また、彼らが取ったであろうルートについても議論が分かれている。
スラウェシ島の洞窟壁画の年代は、初期オーストラリア人の祖先がより古い年代からサフルに存在していた可能性を示唆する。これら初期人類はスラウェシを経由する北方のルートを取ったと考えられる。
研究によればこのような旅は危険を伴うもので、人類史でも最初期の計画的かつ長距離に及ぶ海上横断が必要だったとみられる。ルートはおそらく、ボルネオ(当時はスンダと呼ばれる大陸の一部)からスラウェシ島やその他の島々を経て、サフルに到達するものだったと考えられる。
一方で、人々が南のルートを利用した可能性を示唆する専門家もいる。その場合はジャワ島、バリ島、小スンダ列島を経由して北西オーストラリアへ渡る形になる。
オーベール氏によれば、これらの南北のルートについて、現在まで一方を明確に裏付ける考古学的証拠はほとんど存在しなかったという。
「氷河期には海面は低かったが、人々は依然として島の間を船で移動する必要があり、スラウェシ島はおそらく重要な中継地点だった」「現地で見つかった岩壁画の量と年代からは、この場所が辺境の地ではなく、文化の中心地だったことがうかがえる。そこでは初期人類が居住し、移動し、数万年にわたり芸術を通じて思想を表現していた」(オーベール氏)