イーロン・マスクが次に欲しいのは、ネットの「最後の砦」ウィキペディア

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Text by COURRiER Japon

イーロン・マスクはかねてより、世界中の人々が利用しているウェブの百科事典「ウィキペディア」を敵視してきた。

インド紙「タイム・オブ・インディア」によれば、彼は2023年10月、「ウィキペディアの名称を『ディキペディア(Dickipedia)』(男性器を指す俗語のDickにかけている)に変更したら10億ドル提供する」と語っている。

2024年12月末にも、彼はXで「ウォキペディア(Wokepedia)」(「社会問題に対して関心があること」を指すスラングの「Woke」とかけている。「意識高い系」のように使われることもある)に寄付をしないようフォロワーに呼びかけた。仏紙「ル・モンド」によると、それはウィキペディアの「左傾化に抗議するため」だ。

ちなみに、ウォキペディアという名称は「米国の極右アカウントが使いはじめたもの」だ。彼らによれば、ウィキペディアは、マスクや共和党が嫌う多様性と包括性の推進に年間5000万ドル費やしているのだという。だが実際には、「この金額は主にサイトの開発や弁護士の給与、サイバーセキュリティ対策に充てられている」とル・モンドは報じる。 そして2025年1月21日、マスクは再び「均衡が戻るまでウィキペディアへの寄付をやめよう!」とXに投稿した。きっかけは、英語版ウィキペディアに掲載されている「イーロン・マスク」のページに追記されたことにある。 ドナルド・トランプ大統領の就任式でマスクがスピーチしたことを受け、彼のページには「マスクは右腕を力強く斜め上に伸ばし、手のひらを下に向け、指を合わせた。彼は群衆に向かってこのジェスチャーを繰り返した」と書き加えられた。そしてこのジェスチャーは 「ナチス式の敬礼と比較された」が、本人はその背景に「何の意図もないと否定した」と続いている。 ウィキペディアは「マスクがナチス式の敬礼をした」と非難しておらず、ただ事実を書いただけだ。だが本人は、この記載は主流メディアによる「プロパガンダの延長だ」と怒りを露にした。 米誌「アトランティック」は「イーロン・マスクは手に入らないものを欲しがっている──それはWikipedia」と題した記事を掲載している。同誌によれば、ウィキペディアにはたしかに課題があるものの、その「公開性と透明性を守るために敷かれたルールによって、驚くほど信頼できるプラットフォームとなっている」とし、次のように続ける。
「検索エンジンやSNSでは、質の低い情報や政治的に偏った情報があふれている。一方、このサイトの最も注目すべき点のひとつは、利益を追求するアルゴリズムによる混乱から、比較的うまく距離を置いていることだ。 むしろ、非営利団体が運営し、ボランティアによって維持されているこのサイトは、思想に縛られた閉ざされた場ではなく、分断が進むインターネットの世界における避難所のような存在になっている」 一方、ウィキペディアは政治的にどの程度偏っているかは「長らく調査の対象となってきた」とアトランティックは指摘している。 たとえば、ウィキメディア財団(ウィキペディアを運営する非営利団体)がおこなった2020年の調査により、ページの執筆者のおよそ87%が男性で、半数以上がヨーロッパに住んでいることがわかった。財団はこうしたギャップを特定して埋めていくことに重点を置いているところだ。 また、ハーバード・ビジネス・スクールの研究者らが2016年、米国の政治に関するウィキペディアの記事を7万件以上調査した。彼らはサイトが「やや民主党の『見解』に偏っている」と結論づけ、たとえば公民権に関する項目は民主党寄り、移民に関する記事は共和党寄りだと指摘している。
たしかにウィキペディアは完璧ではない。だがそれにしても、マスクはなぜ、2億人ものフォロワーがいるXで、繰り返しウィキペディアを非難するのだろうか。彼がこれほど同サイトを敵視するのはなぜか。 アトランティックはまず、イーロン・マスクという人間が私たちの生活に強く影響していることに注目している。彼はXを買収して「自分専用のメガホンに変え、極右の政治的見解」を拡散してきた。また、衛星インターネットサービスのスターリンクを通じて、文字通り「人々によるウェブへのアクセスを管理」している。 私たちのネット生活はある意味、いつの間にかマスクの支配下にあると言えるかもしれない。そんな彼がどうしてもコントロールできないものの一つこそが、ウィキペディアだ。アトランティックは次のように分析している。 「インターネットにおける多くの場とは異なり、ウィキペディアは事実が重視される場であることに変わりはない。絶えずページを書いたり修正したりしている人々が、特定の人間のイデオロギー的見解に屈することのない個人のボランティアであることは、公共の利益に適うように思われる。 このサイトの構造は、情報がどのように拡散されるかを管理することに関心のある人にとって、厄介なものだ。その点を考慮すると、ウィキペディアに対する反対キャンペーンは、反『Woke』な現在のテック界で流行している見解の極致として理解するのが正しいだろう。
マスクたちが熱心に擁護している『言論の自由』は、その言論が彼らの気に入る限りにおいてのみ重要だ。ウィキペディアが実践しようとしている多様性を促す試み、より多くの言論を生み出そうとする試みは、『検閲』と解釈されている。彼らは、ウィキペディアが試みている『複数の事実を表現』することよりも、単一の真実、つまり自分たちの思う真実にのみ関心があるのだ」

米国のジャーナリストであるアレクシス・マドリガルは、ウィキペディアは「共通の事実を守る最後の砦だ」と表現した。政治にも食い込んでいる一人の起業家に、この砦が万が一にも支配されたら、それは恐ろしいことなのかもしれない。

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