プレッシャーだった偉大な父 工藤遥加が工藤公康さんに教えられたこと

◇国内女子◇アクサレディスゴルフトーナメント in MIYAZAKI 最終日(30日)◇UMKCC (宮崎)◇6538yd(パー72)◇曇り(3629人)

「工藤公康の娘」という看板は、いつも重くて仕方がない。現役時代、プロ野球・西武などで通算224勝を挙げた大投手。引退後はソフトバンクを7年間で5度の日本一に導いた。選手としても監督としても超一流。工藤遥加にとって、同じプロアスリートとしての自分が「雲の上の人」の長女であることは「めっちゃ、プレッシャーだ」と正直に明かす。

西武が3年連続で日本一に輝いた1992年の11月に工藤家の第2子として誕生(第1子は長男で俳優の工藤阿須加さん)。幼い頃からスポーツに親しみ、競技ゴルフに打ち込んだのは高校入学後だった。恵まれた体格を生かした豪快なショットを武器に、2011年に初挑戦したプロテストで合格。同年の「LPGA新人戦 加賀電子カップ」で優勝した。

父が現役を離れたのもその年のこと。工藤はプロゴルフに明るい将来を夢に描いていたようでいて、内心戸惑っていたという。「当時はプロテストに合格することが目標で、自分にどんなことができるかとは全く思っていなかった。自分の実力よりも、(高く)注目されてしまっていた」。本当の自分はまだ良い選手ではない――。そう言い出せるはずもなかった。

そもそも工藤はプロゴルファーを目指した少女時代、父から多大な援助を受けたわけではなかったという。「プロになりたいと思うなら、本当にゴルフが好きならば、高校の時から自分でアルバイトでもしてプロになればいい」(公康さん)。金銭面のサポートはなく、熱心に応援してくれたのは祖母だったという。

ファン商売のプロの世界に飛び込んでからは、いよいよ肉親の名前が付いて回った。「私が父の顔に泥を塗っている。うまくないことを『超、自覚していた』ので申し訳ない気持ちだった」。だが、愛娘のことを父がそんな風に思うはずがない。2021年シーズンを最後に、監督を退任した後、母の雅子さんは公康さんに「これから何がしたいか書き出して」と紙を渡したという。いくつかあった願いのひとつに「遥加を勝たせたい」とあった。その紙を数年ぶりに母に見せられたのが、実に先週のこと。「親の愛って素晴らしい」と奮い立った。

父は今、よきアドバイザーでもある。「お前はいつも調子が悪い時にオレに話を聞きに来る。良い時こそ、自分のことを紙に書き出して調子を持続させなさい」と最近アドバイスを受けたばかり。待望のレギュラーツアー初勝利には、父から言われた、フルショットから各番手の飛距離を落とす練習も効いた。

レジェンド左腕は白星やタイトル、優勝の数だけでなく、実働29年と長く現役生活を過ごした選手としてもプロ野球史に残る。引退は48歳。工藤は「自分は50歳まではレギュラーツアーで頑張りたいなっていうのは思っています」と言った。「それぐらいまではできる体力をちゃんと付けて頑張りたい」。その時もきっと、家族は支えになってくれる。(宮崎市/桂川洋一)

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