元巨人「先発3本柱」定岡正二さん、28歳で突然の引退…トレード告げられ「好きなジャイアンツで終わろう」

元読売巨人軍投手 定岡正二さん<1>

 プロ野球・読売巨人軍の投手として1970~80年代に活躍した定岡正二さん(68)。突然のトレードを告げられて28歳の若さで引退した後は、タレントとしてお茶の間の人気者になった。「次のステージでも頑張れたのは野球のおかげ」と、今も野球の裾野を広げる活動に情熱を注いでいる。

後楽園球場で使われていたベンチに座る定岡さん。「声を出して仲間を応援していたことを思い出すね」(東京都文京区の野球殿堂博物館で)=須藤菜々子撮影

 74年11月のドラフト会議。現役を退いて監督に就任したばかりの長嶋茂雄さん(88)が率いる巨人に1位で指名された。数日後、自宅に電話がかかってきた。

 「初めまして、長嶋です。一緒に野球をやろう」

ユニホームを着て長島茂雄監督と並ぶ期待のルーキー定岡正二投手

 「ミスタージャイアンツ」と呼ばれる球界を代表するスターから、テレビで見ていたあの甲高い声で誘われ、夢のようだった。「巨人で、ずっとやっていく」と心に誓った。

 鹿児島実高のエースとして出場した夏の甲子園。優勝候補だった東海大相模(神奈川)との激戦を1点差で制した。延長15回を1人で投げきっての勝利。チームをベスト4に導き、 凱旋(がいせん) した鹿児島の駅には数千人が駆けつけるほどの人気で、期待を背負って入団した。

中日戦で力投する定岡さん

 当時の巨人は、73年まで日本シリーズ9連覇を成し遂げる圧倒的な強さを誇った。一軍定着には時間がかかったものの、80年に初勝利を挙げると頭角を現し、スライダーを武器に勝ち星を積み重ねていく。同世代の江川卓さん(69)、西本聖さん(68)とともに「先発3本柱」と呼ばれ、81年の日本一にも貢献した。

 だが、けがなどで思うように投げられないシーズンが続くと、85年のオフ、近鉄へのトレードを告げられた。まだまだ活躍できる自信はあった。それでも「好きなジャイアンツのまま終わろう」と決め、現役を退いた。

 引退後はスポーツキャスターなどを務め、テレビのバラエティーなどにも出演。独特なトークとおちゃめなキャラクターで番組を盛り上げた。巨人のリリーフエースとして活躍した角盈男さん(68)は「ちゃめっけのあるキャラクターが受けたんだと思う。楽しそうにやっている姿を見て、こちらもうれしかった」と話す。

 現在はタレントとして活動しながら、子ども向けの野球教室に力を入れている。野球人口の減少が続く中、自らを育ててくれた野球界の発展に貢献することを誓う。

 1956年、鹿児島市生まれ。プロ野球では高い制球力や変化球を駆使して活躍し、通算成績は51勝42敗3セーブ、防御率3・83。85年に現役を引退後は、タレントとして活動している。表舞台に立つことが多いが、実はシャイで人見知りだという。東京都在住。

関連記事: