高市首相は「一国の指導者」なのか? 中国の“呼び捨て”への反論が思わぬ論争に…弁護士が指摘する違和感

閣議に臨む高市早苗首相=2026年10月6日、首相官邸(写真提供:共同通信社)

中国外務省の報道官が記者会見で、高市早苗首相を肩書なしで「高市早苗」と呼んだことに、日本政府が反論した。

外務省が投稿した「日本政府の見解」

外務省は10月7日、公式Xで「一国の指導者に対してしかるべき敬意を払うことは国際儀礼上当然」とする見解を投稿した。ところが、この反論が思わぬ方向に波紋を呼んでいる。問題視されたのは、中国側の「呼び捨て」ではなく、日本政府が首相を「一国の指導者」と表現したことだった。SNSでは「権威主義的な響きがある」「『首脳』で十分ではないか」など、違和感を示す声が相次いだ。そもそも、日本の首相は「一国の指導者」なのだろうか。国民主権を定める日本国憲法との関係で、この表現に問題はないのか。

憲法問題にくわしい猪野亨弁護士に聞いた。


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──そもそも、日本の総理大臣は「指導者」なのでしょうか。この表現にはどのような問題があると考えますか。日本政府が、中国側による高市首相の「呼び捨て」に対して、首相を「一国の指導者」と表現したことには、とても違和感があります。もちろん、他国の首相を呼び捨てにすることが適切だとは思いません。公式な会見での発言なのですから、最低限の礼節があってしかるべきです。しかし、それと日本政府が「一国の指導者」という表現を用いたことは、別の問題です。「指導者」という言葉には、国民を指導し、国を率いるという意味合いが感じられます。もちろん政治的なリーダーシップを発揮する人物という意味で用いられることもあります。ただ、今回の「一国の指導者」という表現については、単にそうした意味だけで使われたとは思えません。「指導」という言葉が持つ意味合いについては、日本国憲法が採用する国民主権の原理との関係から考える必要があります。日本国憲法のもとでは、主権は国民にあります。国会議員は国民の選挙によって選ばれ、内閣総理大臣は国会の議決によって指名されます。つまり、首相は国民を「指導」する立場にあるわけではありません。一方、中国の憲法では、前文に中国共産党の指導のもとで歩むという政治体制の原理が示されています。中国共産党は、自らを人民解放の主体と位置づけ、その指導体制を正当化してきました。国家主席は全国人民代表大会で選出されますが、中国共産党の指導的地位は憲法上も明示されています。

日本と中国では、こうした政治体制の基本原理が異なることを踏まえる必要があります。

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