まさに日本の自動車産業を育てた功労者! コマツ700トンプレス機が62年ぶりにトヨタへ里帰り!!
/ コラム
トヨタの前身、豊田自動織機製作所自動車部の試作工場に設置され、その後ブラジルに移設されていたコマツ700トンプレス機がトヨタ本社工場に帰ってきた。これからも現役を続けていくという。プレス機に込められた先人たちの想いとは!?※本稿は2025年6月のものです文:ベストカー編集部/写真:トヨタ ほか
初出:『ベストカー』2025年7月26日号
【画像ギャラリー】章男会長もニッコリ!! ブラジルから帰国した「トヨタのはじまり」を知るプレス機が日本で現役継続!!(12枚)豊田章男会長が実際にスイッチを入れ、コマツ700トンプレス機を稼働させた
2025年5月27日、トヨタ自動車本社工場において「創業期700トンプレス機を囲む会」が開かれた。コマツ700トンプレス機は、1934年トヨタの前身となる豊田自動織機製作所自動車部が、本格的に自動車製造に踏み出すために小松製作所に発注したものだ。
豊田喜一郎はその際、「シャシーの製作は大型のプレスさへあれば何んでもありません。外國から出來合を買へば何んでもないが 日本で果してプレスが出來るかどうかが問題。小松製作所で思ひ切つて作つて見ませう と云ふので作らせて見ました」と語っている。
1934年と言えば、1929年にアメリカで起こった世界恐慌の影響で日本経済は打撃を受け、自動車づくりは日本ではムリと言われた時代だった。そのことを誰よりもわかったうえで、豊田喜一郎は小松製作所にプレス機を発注したのだ。
1937年、トヨタ自動車工業が設立され、翌1938年に挙母工場(現在の本社工場)が建設された。700トンプレス機はここに移設され、最初の量産乗用車AA型やランクルのルーツとなるBJ型ジープの生産など1959年までに50万台の生産に貢献した。
ちなみにプレス機の当時の値段は約20万円、最初の量産乗用車AA型が1台3350円だったから、いかに高価だったかがわかる。
1962年にはトヨタ初の海外生産工場となるブラジルのサンベルナルド工場へと移設され、多くの自動車の生産に携わった。その結果ブラジルの日系社会に活気が生まれ、経済的な貢献も大きかった。
今回ブラジルから本社工場に里帰りすることになったが、当時の図面を確認し、ほぼ同じ場所に設置されることになった。
1966年入社の河合満(通称おやじ)は、700トンプレス機の話を先輩から聞いており、「700トンプレス機はトヨタを見続けてきた生き証人、これを機会に『継承と進化』の想いを新たにしたい」と語った。
1934年、刈谷の豊田自動織機製作所の自動車試作工場に設置されて以来、トヨタを見続けてきたコマツ700トンプレス機
700トンプレス機を前に豊田章男会長はこんな感想を述べた。
「このプレス機を前にすると、豊田喜一郎はじめ、創業メンバーは単にクルマを作るだけでなく、日本に自動車産業を育てていくんだという強い覚悟と決断があったのだと改めて感じることができました。
そして、このプレス機がいったい何台のクルマ、いくつの部品を作ってきたのか、そしていったい何人の方たちが関わってきたのか……本物から語りかけられているようなオーラを感じ取っています」。
豊田章男会長は2000年代初頭にブラジルのサンベルナルド工場で稼働していた700トンプレス機を見ている。当時は最新のプレス機もあって、最新と最古が一緒に稼働していたことが印象的だったと語っている。
生産拠点の集約化によって2022年サンベルナルド工場の閉鎖が決まった。当時、中南米本部長だったダイハツの井上雅宏社長は、歴史的なプレス機とわかり、豊田章男社長(当時)に相談したところ、「動態保存」の4文字が返ってきたという。
この話を聞いた河合おやじが「魂のこもったプレス機を本社工場で動かそう」と考えた。
周囲から「相当お金がかかります」と反対する声もあったが、「お金の問題じゃない!」と、里帰り計画が進んでいくことになった。
本社工場に移設された700トンプレス機は燃料電池モジュールのフレームの製作に使われる予定だという。なんと現役継続だ。
これには「オブジェではだめ、仕事をする仲間として残したい」という豊田章男会長の強い意向が働いている。
今回の囲む会の締めくくりに豊田章男会長はこう呼びかけた。
「クルマというものもわからない、トヨタも知られていない、何もないあの当時の先人たちの覚悟に迫ってほしいと思います。先人たちには根性と夢と情熱があったと思います。
今よりもいい世の中にできるんだ! 自動車産業はその力になれるんだ! という想いがあったのだと思います。(我々が学ぶべきは)今日よりも明日、絶対にいいものが作れるという気持ちをもって最後までやり続けることなんだと思います。満足してしまったら終わりです。
河合おやじから(今回のプロジェクトが)お金がかかるという話がありましたが、あまりに現実的じゃありませんか! お金がかかってもやらなければならないことを、未来を切り拓く人たちにはやってほしいと思います」。
700トンプレス機の再稼働は、先人たちのチャレンジや苦労に想いを馳せ、未来にものづくりを伝承することでもある。