私はタガレンジャー、6歳娘の志 馬鹿にされても駆けた家族の14年

 宮城県多賀城市を拠点に、東日本大震災の被災地で活動を続ける父娘のご当地ヒーロー「タガレンジャー」。

多賀城跡あやめまつりのステージに立つタガレンジャー=2014年、マネジャー提供

 被災した特撮好きな女の子がヒーローに勇気をもらい、自らもヒーローとなったのは震災翌年のこと。そこから、タガレンジャーのメンバー「多賀城あやめ」として活動を続けてきた。

 そんな娘を、父はタガレンジャーのメンバー「ブルータガジョー」となり、母はマネジャーとして支えた。活動はもうすぐ14年。今年の3月11日も、家族そろって追悼行事に参加する。

能登半島地震の被災地支援の募金活動をするタガレンジャー=2024年、マネジャー提供

 2011年3月11日、当時5歳だった多賀城あやめは多賀城市の自宅にいた。激しい揺れの後、母に抱えられ車に飛び込んだ。津波が川を遡上(そじょう)し、自宅近くでも浸水した地域があった。

 高台のコンビニの駐車場で、両親と共に車中泊で一夜を過ごした。夜中に鳴り響くサイレンの音が怖くて泣いていたことを今でも覚えている。

 半年後、被災地応援のイベントで多賀城市でヒーローショーがあった。仮面ライダーやスーパー戦隊が大好きだった娘は、目の前のヒーローに釘付けになった。「大切な人を亡くした人や、家を失った人に元気を与えるヒーローがかっこよかった」

 そして、帰宅するなり、父に頼んだ。

 「私もヒーローになって、悲しんでいる人を笑顔にしたい。ピンクのヒーローの服を作って!」

 父は驚きつつも、段ボールでコスチュームを作ってみた。

 だが、「これは嫌。ちゃんとしたの作って」。

 ホームセンターで材料を調達し、再度手作り。服、ヘルメット、ブーツ、マントも全てピンク色で、ハート形のベルトも付けた。「こんなの初めて作ったけれど、段ボールよりはかっこよくなったかな」と父が振り返るコスチュームを、娘は喜んで身につけた。「憧れのヒーローになれた。ここからだ」と感じた。

 とはいえ、まだ6歳の娘1人だけで活動するのは危ない。余った材料を使って、父もヒーローになった。娘は多賀城市の市花がアヤメであることにちなんで「多賀城あやめ」、父は海の色をイメージし「ブルータガジョー」と名乗ってタガレンジャーを結成。そして母はマネジャーとなった。

仮面ライダー像の前でポーズを決める、デビューから間もない頃のタガレンジャー=2012年、宮城県石巻市、マネジャー提供

 余談だが、この記事を書いているのも、タガレンジャーのことは全く知らずに別の目的でイベントを取材していたら、マネジャーの母から「タガレンジャー知っていますか?」と声をかけられたのがきっかけだ。

 本題に戻り、12年3月11日の復興イベントでデビュー。そこから、ブルータガジョーとマネジャーは宮城、岩手、福島の津波被災地を中心に様々な催しに営業をかけた。ボランティアなので、ギャラは受け取らない。ブルータガジョーはコスチューム姿のまま営業先にあいさつをするため、いつのまにかしゃべるヒーローとなった。多賀城あやめもしゃべるため、声をかけた人に正体がばれたこともある。

 復興イベント、地域の夏祭り、クリスマス会……。これまでに出演した催しは1千回を超える。敵を倒すような派手なショーはせず、握手などで被災者らと交流する。毎週末のように、家族そろって様々な催しに手弁当で出かけた。

子どもと握手する多賀城あやめ=2013年10月、宮城県石巻市、マネジャー提供

 小学生の頃、「多賀城あやめ」の正体を知るクラスメートから心無い言葉をかけられたこともある。

 「何でこんなことしてるの?」

 「馬鹿じゃないの?」…

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