91歳で亡くなるまで半世紀以上、文通を続けたアメリカのペンフレンドから死後に届いたサプライズ…「Dewa atode(では、あとで)」で締めくくられていた最後の手紙

1975年頃に初めて対面し、大阪城前で記念撮影する岡本さん(左)とヤングさん(岡本さん提供)

 高知県四万十市の岡本伸二さん(76)は20歳の頃、米国の男性と英語で文通を始めた。2人の友情は、2023年に友が91歳で亡くなるまで半世紀以上続いた。その後、岡本さんの元に驚くようなプレゼントが届いた。(高知支局 中西千尋)

 岡本さんは子どもの頃、映画「007」シリーズなどの洋画にはまった。海外には行ったことがなく、高校卒業後、地元の信用金庫で働き始めた頃、映画雑誌のペンフレンド募集欄をきっかけに、カタログ通販会社勤務のカリフォルニア州のジョセフ・ヤングさんに手紙を送った。

 辞書や英文手紙の書き方に関する本を手に洋画が好きなことを伝えるなどした。ヤングさんは覚えたてのカタカナを織り交ぜ、日本の車や日本製のテレビを購入したことを伝えてきた。クリスマスカードが届くと、海外文化を体験しているようで胸が躍った。

 1975年頃、2人は大阪で顔を合わせた。英語はほぼわからないままだったが、18歳上のヤングさんはいつもほほ笑んでいた。大阪城や宝塚歌劇団の公演に興奮した様子だったことを覚えている。翌年香港でも会った。

 以降も、互いの誕生日、クリスマスには欠かさず手紙やプレゼントを送り合った。岡本さんはヤングさんが好きなテディベアなどを贈り、ヤングさんからはハリウッド女優の英語の伝記などが届いた。岡本さんは「英語で読むのも、書くのも 拙(つたな) いから、たぶん互いに6割くらいしか内容を理解できていなかった」とはにかむ。

 東日本大震災が発生した2011年の夏に受け取ったバースデーカードには「地震や津波、原子力発電所の問題で、日本の方々が耐え忍んでいる苦難に思いをはせています」という気遣いの言葉が添えられていた。

 近年は母親の介護や友人に先立たれる悲しみを報告する機会が増えた。ヤングさんは20年頃、がんを患い長年闘病していることを伝えてきた。元気づけたい一心で思いをしたためると、「カリフォルニアを案内できなかったのが心残り。交通費は出すから、会いに来てくれたらうれしい」と誘いを受けたが、介護があって実現しなかった。

 23年6月に届いた手紙には、長年の励ましへの感謝と「日本であなたに会えた思い出は私の宝物」との言葉があり、お決まりの日本語でこう締めくくられていた。「Dewa atode(では、あとで)」

 これが最後の便りだった。同年11月に亡くなったとヤングさんの友人から知らされた。「会いに行っておけば良かった」。悲報にふさぎ込んでいたとき、予想外の手紙が届いた。

 手紙は米国の法律事務所からで、ヤングさんの財産目録の数少ない遺産相続人の一人として、岡本さんの名前が記されていた。

 国籍も、年齢も、言葉も、文化も違うが、文通は50年超続いた。ヤングさんの手紙にはかつて「長年の友情こそが、私にとっての最大の贈り物」と記されていた。岡本さんは友情が半世紀続いた理由を「手紙からいつも彼のやさしさが伝わってきた。心でつながっていた」と振り返る。

半世紀にわたるやりとりを振り返る岡本さん(高知県四万十市で)

 10月に約320通に上る手紙を読み返した岡本さんは「高齢のため渡航への不安もあるが、今度こそ米国を訪れ、ヤングさんがどんな人だったか彼の友人に聞き、墓参りに行きたい」と意欲を示す。ヤングさんが残した遺産は5000ドル(約80万円)。米国への交通費として届いたと受け止めており、いつか墓前で手紙の続きを読み上げるつもりだ。

 SNS全盛の時代。岡本さんは手紙の魅力を「ぬくもりがあり、恥ずかしがりでも自分の思いを伝えることができる」と語った。

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