現代の錬金術、大型ハドロン衝突型加速器で鉛が金に変化

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 中世の錬金術師たちは普通の金属を金に変えることを夢見て、伝説の物質「賢者の石」のレシピを血眼になって探していた。これらの試みが実際に金を生み出すことはなかったが、結果として現代化学の基礎が築かれたことは間違いない。

 欧州合同原子核研究機関(CERN)の科学者チームが、世界最大の粒子加速器「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」で、鉛の原子から“金”を生み出した。

 ただしできたのはごくわずか。しかもできた金の原子核はとても不安定で、すぐに別の粒子に変化してしまったが、それでも科学者たちはこれを「現代の錬金術」と呼ぶにふさわしい成果だとしている。

 灰色にくすんだ鉛とまばゆいほどに煌めく金、両者の見た目はまるで違うが、元素の周期表では意外にも近くに並んでいる。

 鉛の原子番号は82、金の原子番号は79で、両者の根本的な違いは原子核を構成する「陽子」の数が、たった3つだけ違うだけなのだ。

 つまり理屈のうえでは、鉛からほんの3つだけ陽子を取り除けば金になる。

 中世の錬金術師たちは、それをどうにか実現しようと、あの手この手を試し、ことごとく失敗してきた。

 それもそのはず、そのためには「賢者の石」どころではなく、ビッグバン直後の宇宙にも等しい膨大なエネルギーが必要になるのだ。

 陽子は電荷を帯びているため、電場によって引き寄せられたり、弾かれたりする。つまり、原子核を強力な電場にさらせば、陽子を引き抜くことができる。

 だが、ここで大きな障害となるのが、原子核を結びつける「強い力(強い核力)」だ。この力に打ち勝つ電場は、雷を発生させる電場のじつに百万倍もの強力なものでなければならない。

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 現代の錬金術師たちは、そのために欧州原子核研究機構(CERN)が誇る「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」を利用した。

 これで鉛の原子核を光速近くにまで加速させ、互いに衝突させる。

 このとき鉛の原子核同士が正面衝突すれば、強い核力が働いて、核は完全に崩壊してしまう。だが、かする程度の接触ならば、「電磁力」のみが作用する。

 こうして発生した強力な電場は鉛原子核を振動させ、陽子を放出させる。都合よく陽子が3つ飛び出せば、鉛は金に生まれ変わるのだ。

この画像を大きなサイズで見る大型ハドロン衝突型加速器(LHC) Credit: CERN

 衝突によって生成された金を直接観測することはできない。

 ゼロ度カロリメーターと呼ばれる特殊な検出器を用いて、鉛の原子核から剥ぎ取られた陽子を数え、間接的にその存在を推測する。

 とはいえ、もともとの実験の目的は金を作ることではなかった。世界各国の物理学者たちが参加した「ALICE実験」では電磁解離という現象の解明が目的だった。

 だがその過程で、鉛の原子核が陽子を3つ失い、“金”が生まれていたことがわかったのだ。まさに、21世紀の錬金術的な偶然と言えるだろう。

 そして「ALICE実験」のデータからは、鉛原子核のビームを衝突させている間、毎秒約8万9000個の金原子核が生成されるだろうと推測された。

 また金だけでなく、鉛より陽子が1つ少ないタリウムや、2つ少ない水銀などの元素も生成された。

 鉛から金を作り出すという古来からの人類の夢を実現した現代の錬金術師たちは、うなるような大金を手に入れ、今頃贅沢三昧をしていることだろう……と思いきや、そうは問屋が卸さないようだ。

 なにしろ、今回のALICE実験で生成されたとされる金の量は、合計で29兆分の1gにすぎない。極々微量な量でしかないのだ。

 つまり、金の指輪どころか、安定した金の原子一つすら残らないレベルだ。しかも、この実験で作られた“金の原子核”は非常に不安定で、たった1マイクロ秒(100万分の1秒)ほどで他の粒子に変化してしまう。

 しかも物理学者にとって、この金は厄介ごとのタネでもあるという。

 なぜなら陽子を失った鉛原子核は、それまで加速器内を循環していた美しい軌道からコースアウトしてしまうからだ。

 それはほんのマイクロ秒のうちに真空容器の壁にクラッシュし、次第にビームの強度を低下させる。

 つまりせっかくの金は、使い物にならないくらい少ない上に、トラブルを発生させる恐れもある。

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 もちろん、CERNの科学者たちは錬金術師になってお金儲けをしようなんて考えていない。

 本当の目的は、こうした重イオン衝突を通じて、ビッグバンの直後に存在したとされる「クォーク・グルーオン・プラズマ」を再現し、その性質を調べることにある。

 クォーク・グルーオン・プラズマとは、物質をつくる最小の粒「クォーク」と、それらを結びつける「グルーオン」がバラバラに飛び回っている状態のことだ。

 ふだんはクォーク同士が強く結びつき、原子核の中に閉じ込められているが、宇宙が生まれた直後の超高温状態では、この束縛が解け、自由に動き回っていたと考えられている。その姿を再現するのがLHCの目的のひとつである。

 ちなみにCERNでは、すでにLHCの後継機「Future Circular Collider(FCC)」の実現可能性調査も完了している。

 これが稼働するのは2070年ごろとされており、今よりもさらに高エネルギーな実験が可能になる。

 金を作るためではなく、宇宙の謎を解き明かすための錬金術、それこそが、現科学の最前線なのだ。

 この研究は『Physical Review C』(2025年5月7日付)に掲載された。

References: Physicists at the Large Hadron Collider turned lead into gold—by accident / Physicists at the Large Hadron Collider turned lead into gold – by accident

本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。

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