16歳で妊娠、元夫は生活費も入れず失踪、中受で息子はストレスによる抜け毛に…京都・祇園の“元ママ”が厳しい子育ての裏側で改造車にお金を注ぎ込んだ“意外な理由”
ド派手な改造車たちが所狭しと並ぶ、ドレスアップカーのコンテスト。そのなかに、何年にもわたってトロフィーを獲得しつづける日産・プレジデントがある。
【画像】高校時代にパラパラ活動を開始、次第に夜の世界に足を踏み入れ…ゆり姫さんの当時の写真を見る
会場でも圧巻の存在感を放つその車のオーナーは、妖艶なオーラをまとった凜々しい女性。昨年まで京都の花街でクラブを経営していた「ゆり姫」さんだ。
15歳で夜の世界へ飛び込み、17歳で母となり、シングルマザーとして2人の子どもを育てながら、祇園でオーナーママにまで登り詰めたという彼女。その知られざる半生は、激動と波乱に満ちたものだった……。
ゆり姫さん
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知り合ったギャルたちと一緒にクラブハウスでイベントを起こす高校時代
――京都の祇園でクラブを経営されてきたゆり姫さんですが、ご出身も京都なのですか?
ゆり姫さん(以下、ゆり姫) はい、生まれも育ちも京都市内ですよ。
――京都市内というと、地域によるランク付け、いわゆる京都カーストがつい思い浮かびます。
ゆり姫 やっぱり小さい頃から、親や周りの大人たちが「あそこは行ったらアカン」みたいに話すのを聞いていますからね。ただ、実家は比較的悪くない立地だったこともあり、私自身がそれで嫌な思いをすることはなかったですよ。
――京都でも恵まれた環境で育ったのですね。ご両親はどのような方だったのでしょう?
ゆり姫 父は現場仕事で、母はセールス関係をしている人でした。私は母が19歳の時の子どもですが、全然、普通の家庭だったと思いますよ。特別厳しくもないし、色々旅行に連れて行ってもらった記憶もあります。
ただ共働きでしたから、毎日遅くまで保育園に預けられ、それが寂しかった覚えもありますね。
――幼い頃はどんなお子さんでしたか?
ゆり姫 昔から活発なタイプでしたね。ちゃんとしたダンスや舞踊じゃないですけど、小さい頃から音楽に合わせて身体を動かすのが好きで。そのせいか、高校に入ってからパラパラにハマるようになりました。
――パラパラ、懐かしいですね! 学校で流行っていたとか?
ゆり姫 いえ、外部のサークルですね。高校にはあまり馴染めなくて、入学して割と早い段階から、外で遊びまわるようになって。パラパラのサークルに入り、知り合ったギャルたちと一緒にクラブハウスでイベントを起こしたりもしていました。
怖いもの知らずのイケイケギャルが…
――だいぶ派手な遊び方ですね……。そこからすると、学校生活は退屈だったのでは。
ゆり姫 そうなんですよ。高校に入るまでは真面目に勉強して、第1志望の高校に入ったんですけど。生徒はほとんどが男の子で、しかも大人しい感じの子が多くて。自分だけ「不良や」みたいな扱いをされていましたね。
――高校に入ったばかりの男子からしたら、そう見えてしまうかもしれませんね。遊ぶためのお金は、アルバイトで稼いでいたんですか?
ゆり姫 パラパラを始めたのと同じ時期に、祇園のクラブで働きはじめました。15歳の頃ですね。
――えっ? 高校生で働けるんですか?
ゆり姫 当時は割とユルユルで、身分証の確認とかもなかったですから(笑)。
――それにしても、かなりイレギュラーな……。そもそもなぜクラブで働こうと?
ゆり姫 ネットの地域別掲示板のようなところで知り合った、年上のお姉さんからの紹介でした。「人おらんしやってみひん?」みたいな感じで。最初は時給のよさに惹かれたんですよね。
――何か欲しいものがあった?
ゆり姫 というより、ギャルをやるのはお金がかかりますから。オシャレもしたかったし、イベントを起こすにもお金が必要やし。
――とはいえ、夜の世界に対する恐怖心もあったのでは?
ゆり姫 いえ、当時は本当に、怖いもの知らずだったので。同じ世界にずっとこもっているよりは、つねに外に出て、自分の世界を広げたいという気持ちの方が強かったんだと思います。
大会目前でまさかの妊娠発覚
――クラブで働きつつ、パラパラのイベントを開催。高校には通っていたんですか?
ゆり姫 2年生からはほとんど……。それでも、部活だけはちゃんとやっていたんですよ。小3から卓球をやっていて、高1の終わりに京都で1位になって。
――なんと。すごい実力者じゃないですか。
ゆり姫 本当、卓球が大好きなんですよ。これだけは誰にも負けたくないって、ずっと打ち込んできて……。でも、「次は近畿大会や!」というタイミングで、妊娠が発覚したんです。
――おぉ、それはなんとも……。お相手の方は?
ゆり姫 パラパラで出会った当時の彼氏ですね。でもちょうど、お互いに「結婚しようね」と話している頃だったので、産むこと自体に迷いはなかったんですよ。妊娠して、すぐに籍も入れて。
――本人たちの覚悟は決まっていたと。しかし、ご両親は?
ゆり姫 そりゃもう、猛反対ですよ。それこそ勘当される勢いで。でも、当時の自分は結婚して授かった子を産むことしか考えられなかったですね。
――やはり娘の将来を考えれば、反対もしますよね。
ゆり姫 実際に生まれてからは可愛がってくれて、たくさん協力もしてくれました。でも、お金の面では一切お世話にならなかったですね。
――妊娠されて、高校の方はどうなったのですか?
ゆり姫 大会には出たかったので、顧問に「子どもできたけど、出るからね」と伝えたのですが……。「絶対ダメ」と譲ってくれず、そのまま休学することになりました。
――休学ということは、お子さんを産んでから復学された?
ゆり姫 そうなんです。17歳と若かったからなのか、身体はピンピンしていましたし。部活もすぐ再開して、今度は念願だった全国大会にも行けたんですよ。
――出産してすぐ、全国に……。それはちょっと、とんでもないエネルギーですね。
ゆり姫 やっぱり、自分のなかで全国に行けなかったのがどうしても心残りだったので。卓球にかぎらず、一度決めた目標は達成しないと気が済まないんですよね。
「何かあったときのために、高校までは出ておこう」
――すでにクラブのお仕事もあるなかで、高校を辞める選択肢はなかったのですか?
ゆり姫 卓球のこともあるし、妊娠して考えが変わったのもありますね。何かあったときのために、高校までは出ておこうと。
――高校に通いながらの子育てで、苦労することもあったかと思います。
ゆり姫 そうですね……。ただ、高校を出るまでは仕事をお休みして、登校中は両親に娘を見てもらっていたので。それよりも、娘を幼稚園に入れてからの方が精神的にはキツかったですね。
――保育園ではなく、幼稚園に。
ゆり姫 私自身が寂しい思いをしたのもありますし、幼稚園はしっかり学校教育をしてもらえる。自分が高卒になったので、子どもには最初から教育の機会を与えて、しっかり大学まで出てほしかったんですよね。
――かなり早い段階から、お子さんの将来を見据えていたと。幼稚園に入って、辛かった経験というのは?
ゆり姫 実は20歳の頃に下の子を産むあたりから、当時の夫が家に帰って来なくなり、生活費も入れなくなって。そのまま離婚して、シングルになったんです。
父親と一緒にいる子どもを見かけるたび…
――育児を支え合うはずのパートナーが、責任を放棄してしまった。
ゆり姫 そうなると、やっぱり幼稚園に子どもを通わせている家庭って、両親とも揃っているのが普通じゃないですか。園の行事でも、周りはお父さんのいる家庭ばかりで。
ショッピングモールや公園でも、父親と一緒にいる子どもを見かけるたび、自分の子に対して「両親揃ってなくて、悲しい思いをしてるんやろな」と申し訳なくて。正直、周りの家族が羨ましいという思いもありました。
――子育て中は、周りとの違いがとくに引っかかりますよね。実際に、お子さんから父親の存在について言及されることは?
ゆり姫 それはなかったですね。子どもなりに、気を遣ってくれていたのか……。ただ私自身も、娘が小学校に上がる頃には全然気にならなくなっていました。小学校になると周りの親と顔を合わせることも減りますし、そもそもシングルの家庭も珍しくないですからね。
中学受験、親子でボロボロになりながら…
――最初に妊娠された当時から、お子さんの将来について考えていたとのことですが、それは第2子のときも同じでしたか?
ゆり姫 ええ、とくに下の子は男の子なので、一生自分でお金を稼いで、家族も養っていかなきゃいけない。そう思って、最初は小学校を受験させたんです。それは面接で落とされてしまったんですけど、中学でまた受験して。
――小学校から! 相当な気合いの入れようです。
ゆり姫 やっぱり、元夫がしょうもない男だったので。「あんなひどい男になってほしくない」と、いいところに勤めてもらえるよう、今できることは全部やってあげようと必死でした。
――ただ中学受験は、親も子どももメンタルを削られるとよく言いますよね。
ゆり姫 ほんとに。ものすっごいお金もかかりましたし、なかなか言っても勉強してくれないし……。子どもに理解してもらって、モチベーションを保ってもらうのが大変でしたね。
――息子さん本人としては、あまり乗り気ではなかったんでしょうか?
ゆり姫 やっぱり、周りの友達はまだ遊びまわっていますから。そのなかで、小学5年生から毎日お弁当を持って、夜の10時まで塾に通って。「どうして自分だけ」というのはあったと思います。それで一時期、抜け毛が酷かったときもありました。
――ストレスで、髪の毛が?
ゆり姫 もう、バァーって抜けちゃって。見ていて辛かったですけど、とにかく「もう少しだよ、頑張って」と声をかけつづけることしかできなかったですね。それでもどうにか受験まで漕ぎつけてくれて、志望していた中高一貫校に合格できたんです。
――受験でしんどい思いをしたぶん、中高一貫校なら自分の関心に没頭できそうですね。
ゆり姫 ええ、入ってからは本人も楽しそうに過ごしてくれていて。中学からバスケを始めて、この春から高校生になるんです。
不登校だった娘からの「ある一言」
――息子さんには、ご自身が望む形の教育を与えられているようです。上の娘さんの方はどうですか?
ゆり姫 娘はかなり大人しい性格で、私とは真逆なんですよね。なので、どう言えばわかってもらえるのか迷うことも多くて……。悩んでいる娘に「こうしたらええやん!」と言っても、「私はママみたいに強くないから!」と返されてしまったり。
――親子でも、やはり性格面ですれ違うことはありますよね。
ゆり姫 実は娘が高校に入って、しばらく不登校になっていたんです。毎日「学校行きたくない」と泣いて……。私は「高校は出ておいた方がいいよ」と助言するくらいしかできず、そこでももどかしい時期が続きました。
――下のお子さんの中学受験を終えて、また難しい時期があった。
ゆり姫 結局どうにか、学校の先生たちのサポートもあり、卒業までたどり着けて。大学にも合格して、この春から通うことになります。
――あぁ、それはよかった。焦りや不安が続いただけに、安堵も大きかったと思います。
ゆり姫 この前の卒業式では、娘から「卒業できてよかった、ありがとう」と言ってもらえて。色々あったぶん、私としてもホッとしましたね。
◆◆◆
生きていくために夜の街で闘い、子どもの未来のためにすべてを捧げる日々。しかし彼女は、そんな張り詰めた生活のなか、母親としてではなく「自分が自分として輝ける場所」を思いがけない形で見つけることになる。それが「車のカスタム」の世界だった。
〈「スーパーでは特売品ばっか狙っています」祇園のクラブでママとして働き続け、高級車プレジデントのカスタムにお金を費やした女性の“まさかの現在地”とは〉へ続く
(鹿間 羊市)