大谷翔平の"気遣い"で芽生えた意識「ビビらなくていい」 苦労の4年間も…投げ合いが実現した元同僚の万感
4月28日(日本時間29日)に、ドジャースタジアムで行われたドジャースとマーリンズの一戦は、マーリンズのジャンソン・ジャンク投手にとって忘れられない登板となった。先発投手として投げ合ったのは大谷翔平投手。マウンドの土を通じてのコミュニケーションを、こう愉快そうに振り返る。
「投げ合えてよかったよ。ただ、マウンドで僕の足が着くところを掘り返してたのは別としてね。毎イニング、その部分を自分でならさなければならなかったんだ。でも、楽しかった」
かつて、エンゼルスで2人はチームメートだった。ただ長い期間ではない。当時のジャンクはMLBの世界で言う「一杯のコーヒー(Cup of Coffee)」の典型だった。メジャーでのプレーは、コーヒーをたった一杯を飲めるくらいのはかない、夢の時間。マイナーリーグと何度も行き来し、入団から1週間で戦力外にされたこともある。30歳の右腕が苦難の日々から表舞台に戻ってこられたのは、大谷が示してくれた人生の指針があるからだというのだ。
ジャンクは2017年のドラフト22巡目でヤンキースと契約。ただメジャー昇格を果たすことなく、2021年のトレード期限にエンゼルスへトレードされた。移籍後は9月の登録枠拡大でメジャー初昇格し、4試合に先発投手として起用された。翌2022年のキャンプでは40人枠入りしたものの、先発枠の争いに敗れ再びマイナーへ。その後は3度にわたって昇格し、谷間の先発を務めた。7月27日(同28日)のロイヤルズ戦では、5回を4安打無失点で初勝利。この時、今も心に刻む思い出ができた。
「その時メジャーに少しの間しかいられなかったんだけれど、そんな僕にも彼(大谷)が声をかけてくれて、『グッジョブ』とかいろいろ言ってくれたんだ。驕りのない彼らしさを感じたね。おかげで、気持ちが落ち着いたよ」
大谷のこの行動が、ジャンクの意識まで変えたという。「大リーグの面々に囲まれても、ビビらなくていいんだって思えるようになったからね。いい瞬間だったと思ってる」。それから4年、マーリンズの先発ローテーションの一員として迎えた大谷との初対決だった。ちょっぴり残念だったのは、打者・大谷と対戦できなかったこと。中5日で先発した大谷は疲労を考慮し、指名打者には入らなかったからだ。ジャンクは幻の投打対決を残念がる。
「うん。スタメンに名前がなくて少し驚いた。ドジャースの起用プランがどうなっているかはわからないけれど、今後の歴史的な(偉業達成の)ことを考えると打撃もするのかと思っていたからね」
エンゼルスを去り苦難…1週間でクビになったユニホームを大切にする意味
言葉を交わしたわけではない。ただ大谷が、自身に視線を送ってくれたのはわかった。そしてマウンドの掘れ具合を通じて、存在を身近に感じることができた。打者としての大谷は「非常に質が高いので、完璧な投球をしたとしても彼に打たれることがある。一番大事なのは彼を迷わせ、特定の球種を待たせないようにすることだと思います」と見ていた。その準備も生きたのか、強打のドジャース打線を相手に6回を投げ、3安打無失点で勝利投手に。チームを2-1という僅差の勝利に導き、大谷に投げ勝ったのだ。そして敬意も忘れない。
「投手としては、打者である彼と対戦できたら、なおのことよかっただろうなと思うよね。良い勝負になっていたと思う。ショウヘイが打席に入っていたら、何というのかな……。より慎重にならなければならなかったね。彼はいいピッチングをしていたと思う。最後の方に球数が増えてしまったのは気に入らなかっただろうけど。でも、登板すれば6回1失点、9奪三振という内容を引き出すし、そうすればチームが勝つ可能性が一気に高まるよね」
実は、エンゼルスを去ってからのジャンクは苦しい日々を過ごしていた。2022年のオフにハンター・レンフローとのトレードでブルワーズに移ったものの、大リーグでの登板は2試合だけ。2024年は3Aで開幕を迎え、メジャーと5回行き来した末に7月末には放出された。アストロズを経て移ったアスレチックスでの唯一の登板(9月4日、マリナーズ戦)では、1死も取れずに6安打7失点で大炎上。翌日に事実上の戦力外(DFA)を通告された。この屈辱の日のユニホームを、今も大切にしているのだという。なぜか。
「苦しかった時、そこから何を学んだかを思い出すためにね。そういった経験ができたのは本当にありがたかった。その時に、投手として自分は大きく変わったと思う。毎回登板するたびにその気持ちを持って臨もうと思っているんだ」
昨季はマーリンズのキャンプ招待選手からスタートし、先発ローテーションの一角をつかんで6勝。何が変わったのか問えば「一番大きかったのは、安定感を持ったこと」とキッパリ口にする。メジャーとマイナーを行ったり来たりしていた当時は、競争ともいえないほどの数少ない登板機会で結果を残せず、すっかり自信を失っていた。今なら負のスパイラルに陥った理由がわかる。
「何度か機会を与えられても、良い結果を出せずじまいだったことがあった。メンタル面で、あれこれやらなければと思いすぎていて、毎回、完璧なピッチングをしなければいけないと思っていたんだ。そんなどん底で苦しんでいた時に、数々の失敗から自分自身のことをしっかりと学ぶことができた。『なぜそんなに、自分自身にプレッシャーをかけなければいけないんだ? 自分は良い投手だという事はわかっている』というように考えると、気持ちが楽になり始めたんだ」
敵は、自分の心の中にいた。「とにかく、自分らしくいようと思うようになった。降格させられたらどうしようとか考えずに、自信を持って投げれば良いと思えるようになった。こうして物事をポジティブに捉えられるようになってからは、いろいろなことがうまく運ぶようになったんだ」。自分にできることだけを、しっかりコントロールするようになった。
辛抱強く、時間を与えてくれたマーリンズには感謝しかない。「自分に助走期間を許してくれた。おかげで成功と失敗を繰り返しながら、しっかり学ぶことができたんだ。これが一番大きかったと思う。どん底に落ちたときに、何か自分の役に立つものを見つけられるとは思えないけれども、それが人生というものなんだ」。30歳という節目で、メジャーに根を張りつつある。
初勝利のあの日、大谷がくれた自信が根底にある。どれほど偉大な選手だろうと、同じ人間。戦う前から怖れる必要はないのだ。
「ショウヘイは彼の持ち味を出し、僕も同じマウンドで投げているのだから、同じなんだよ。少しでも、相手のことをビビるような思いが出たら、もうそこで負け。だからぼくができる最大のことは、マウンドに上がって自分らしく、自分の最高のパフォーマンスを出すだけなんだ。ストライクゾーンをアグレッシブに攻めて、打者に挑戦していく」。自信に満ちた表情で、こう口にする。
「いい話を聞かせてくれて、ありがとう」と右手を差し出すと、ジャンクは力強く握り返してくれた。何気ない一言が、他人に影響を与えることがある。大谷はメジャーの世界で、周囲の選手にも大きな学びを与えている。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)