国際法における国家「承認」:台湾とウクライナ東部

軍事・安全保障

国際法において国家の「承認(recognition)」に関する事項は、国際法秩序の根幹を形成する規則であると言える。そのことに疑いの余地はない。しかし、だからこそ、非常に複雑かつ繊細だ。

このことを痛感する二つの事柄がある。台湾とウクライナ東部だ。台湾は、高市首相の「台湾有事」発言以降の喧騒で、あらためて注目の対象となっている。ウクライナ東部は、トランプ大統領の「28項目和平計画」が具体的な交渉の議題になっている経緯があって、あらためて議論の対象になっている。

ただ、いずれの場合も、政治イデオロギー的対立構図の中で、国際法の理解は埋没している印象はある。台湾をめぐっては、高市首相擁護派と批判派の争いが激しい。ウクライナ東部の扱いをめぐっては、「ウクライナ応援団」の国際政治学者の方々らによるSNSなどを通じた「28項目潰し」と言ってもよいような政治運動キャンペーンが進行中だ。

中国と台湾の関係は、あたかも中央政府と分離独立運動の関係に見えないことはない。そこで多くの人々が、台湾は独立を求めているが、それを国際社会が認めていない、と誤解しがちである。だが実際には、台湾の中華民国政府は、まだ一度も中国大陸からの分離としての「独立宣言」を行っていない。むしろ意図的に回避している。中国を刺激し過ぎないためだ。

2025年5月1日頼清徳・総統と会談した高市氏 高市氏Xより(編集部)

だがそれにもかかわらず、台湾政府は、自らが一つの国家を代表しているとみなしている。その国家は、理論上は大陸部分の中国も包含しているはずの中華民国だ。この国家は、1912年に孫文が樹立した北京を首都とする国家を継承しているとされる。初代大総統の袁世凱の死後は、混乱をへて、蒋介石の国民党が、この国家を代表するようになった。第二次世界大戦をへて連合国の一員として戦勝国の一角を占める地位を得て、ポツダム宣言に基づいて日本が放棄した台湾島も、その統治下に置いた。しかし1949年の共産革命で、国民党政府は大陸を追われて台湾に逃げて、あらたに台湾省台北市を事実上の首都とした。

日本やアメリカは、共産革命の事実を度外視し、この中華民国を中国の正統な国家であるとみなし続けたが、1971年にアメリカ(キッシンジャー秘密外交/ニクソン・ショック)がソ連を牽制する目的で中国に接近すると、国連での代表権も北京の中華人民共和国政府に移った。日本は、その流れの中で、1972年に中華人民共和国を、中国を代表する唯一の国家として承認し、中華民国の国家承認を取り消した。

このように「一つの中国」の原則を維持し続けながら、諸国が承認対象の国家を中華民国から中華人民共和国へと取り換えたのが、中国と台湾の関係の歴史である。したがって台湾は、まだ一度も、大陸から切り離されて存在する独立した政治体であることを公式に承認されたことがない。現在、まだ中華民国を国家承認し続けている国が、バチカン公国を含めると12カ国あるが(中南米のカトリック諸国や太平洋島嶼国の一部)、これらの諸国は逆に、中華人民共和国を承認していない。

たとえばパレスチナ問題をめぐっては、パレスチナ自治区がイスラエルに占領されているにもかかわらず、「二国家解決」が国際社会の総意になっている。イスラエルを国家承認していて、パレスチナを国家承認していない日本なども、「二国家解決」は支持する、としている。

これとは全く逆に、中国問題をめぐっては、台湾が事実上の独立国であるにもかかわらず、「一つの中国」が国際社会の総意になっている。どちらの国家を承認するかにかかわらず、「一つの中国」については、例外のない国際社会の総意があるのである。

なぜこのような違いがあるのかと言えば、事情が違うから、である。国際社会の総意は、事情が異なる事例に、強引に画一的なやり方をあてはめようとしても、うまくいかないなだけでなく、かえって混乱が広がる、というものである。

この状態で、中国の台湾侵攻に対抗するための「集団的自衛権」の発動を宣言することができるのだろうか。

それについて考えるためには、まず国際法上の国家の承認には、「宣言的効果説(Declarative theory of statehood)」と「創設的効果説(Constitutive theory of statehood)」の二つの理論があることを知らなければならない。

前者は、他国の国家承認は、事実としての国家の存在を「宣言」して認めるものに過ぎない、という理論である。国家は事実として成立し、承認は法的形式をそろえるものにすぎない、という考え方である。

後者は、他国の国家承認を受けて初めて、国家は国家として存立しうる、という理論である。他国から国家として認められていない存在は、国家として存立することができない、という考え方である。

これは学説上争いのある二つの理論と言うこともできるが、実態として、国際社会の運営において使い分けられている二つの国家承認の要件なのだと言うことができる。

「創設的効果説」にそって考えると、日本やアメリカは、中国の台湾侵攻にあたって、集団的自衛権を行使することができない。中国とは別に承認した国家が、台湾に存在していないからだ。中国の台湾侵攻は、中国国内の警察治安行動に近いものとみなされることになる。

他方、「宣言的効果説」にそって考えると、承認の有無にかかわらず、台湾島に事実としての国家が存在していると言えるので(モンテビデオ条約第1条)、それに応じた集団的自衛権の行使は、正当化されうることになる。

アメリカや、台湾政府そのものが採用している「戦略的曖昧性」は、国際法における国家承認の法規範の曖昧さに対応したものでもある。この場合の曖昧さは、「これ以上無理にどちらかに決める形で明確さを求めると、かえって現実との乖離が広がり、問題が大きくなる」、という感覚を総意として、国際社会で広く共有されている「曖昧さ」なのである。その意味では、非常に特殊な性格を持った「曖昧さ」である。単に国際法規範が未発達だったり、議論が不足していたりするので、曖昧なのではない。全く逆に、蓄積された議論と実践の果てに、「国際社会はこのようにしなければ運営できない」、という感覚に基づいて、維持されている「曖昧さ」である。

(その意味では、議論を回避するために設置された2015年平和安全法制における「存立危機事態」が内包する、誰も議論していないがゆえに、ただぼんやりと「曖昧になっている」ようなものとは、性格が異なるとも言える。)

当然と言えば当然だが、巷で見かける高市首相擁護派と反対派の争いには、こうした「曖昧さ」を尊重する姿勢がない。これは単に残念であるだけでなく、危険である。

さて、話をウクライナ東部に移そう。トランプ大統領提案の「28項目」に、ドネツク・ルハンスク・クリミアを、「事実上(de facto)」、アメリカがロシアの領土であることを認める、という文言がある。これをもって世界中のメディアや「ウクライナ応援団」の国際政治学者らが、「ウクライナに領土の割譲を求めるものだ!」と激しく感情的に反発している。

トランプ米大統領とホワイトハウスで会見するゼレンスキー大統領、ウクライナ大統領府公式サイトから 2025年8月18日(編集部)

しかし「事実上」の承認という表現には、「法的(de jure)」な承認は行わない、という含意がある。なおしかも、「28項目」には、ウクライナにも承認を要請する、という項目はない。

「事実上の承認」は、現実にはロシアの占領統治下にあることを認識する、ということである。認識するということは、確かに、その現実の変更を求めない、という意味が含まれる。現状の固定である。

ただしこれは、「宣言的効果説」が想定する事実上の国家性の帰属がロシアであることを認めるにすぎず、いかなる立場をとっても、まだ国際法上は正式にはロシア領にはなっていない法的状態を残存させる、という意味でもある。

「ウクライナ応援団」の方々は、「ウクライナは勝たなければならない」「この戦争は終わらない」主義の立場を取っているので、ウクライナによる領土の完全奪還が果たされるまで、停戦に応じてはいけない、という原理的立場をとる。

これに対して、トランプ大統領のみならず、今やウクライナ政府も、奪還の不可能性あるいは半永久的な戦争に伴う犠牲の大きさを鑑みて、現状固定による停戦を、やむをえない選択肢とみなし始めている。

「ウクライナ応援団」の方々が、そのイデオロギー的立場にしたがった見方で、「領土の割譲を迫る停戦案は論外だ、戦争の継続あるのみだ!」と息巻くのは、今までの経緯を考えると、予想通りの行動ではある。しかし、意図的に実際に起こっていることを捻じ曲げて、停戦妨害の政治運動を進めるのは、感心できない。

「戦争継続あるのみ!」と日本から叫ぶのは自由だが、事情を反映しない言葉を振り回して、多くの方々の理解を混乱させようとするのは、邪道な妨害方法だと言える。事情の正しいない描写を振り回して、学者層までが、感情丸出しのSNSポストを乱発している現状は、日本の知的言論界の先行きまで不安にさせるものだと言わざるを得ない。

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