年収300万円から年間配当804万円へ!就職氷河期を越えてたどり着いた増配株投資:増配株投資家・Rickyさんインタビュー前編

1976年、東京都生まれ。20歳で証券口座を開設し、短期トレードから投資を開始。就職氷河期に社会人となり、激務による胃潰瘍、台湾での日本語教師生活、帰国後のリーマンショック、通訳・翻訳のフリーランス、ホテル勤務などを経験する。台湾滞在中に割安株投資へ目を向け、会社員時代には多忙な勤務環境を背景に、長期保有を前提とした増配株投資へ移行。年収300万円台の会社員生活を送りながら、保有株の増配、配当金の再投資、給料からの追加投資を続け、年間配当804万円を達成した。現在はFIREを実現し、増配株を中心とした「配当を育てる投資」を発信している。 X:Ricky投資研究所 著書:『年収300万円から年配当804万円をもらう「激・増配株」投資入門』/2026年4月3日発売/Ricky(著)/KADOKAWA/2,090円(税込)

トウシル:本日はよろしくお願いいたします! Rickyさんは「年収300万円から配当804万円」を実現された個人投資家として知られています。夢のある数字ですが、投資を始めたのはかなり早かったそうですね。

Rickyさん:大学生の頃、20歳になってすぐ証券口座を作りました。そこから数えると、投資歴は約30年になりますね。

トウシル:30年! まさに大ベテランですね。そもそも、なぜ大学生の頃に株式投資を始めようと思ったのでしょうか。

Rickyさん:投資に興味を持った原点は、小学生の頃のお年玉です。お年玉を銀行に預けていたら、定期預金の利息がすごく付いたんですね。子どもながらに「働かなくてもお金がお金を連れてきてくれる世界があるんだ!」と衝撃を受けました。

 それで、不労所得のようなものに目覚めた感覚がありました。20歳になって証券口座を開いたのは、自分の中では自然な流れだったと思います。

トウシル:小学生で利息に感動するとは、筋金入りですね(笑)。最初から配当株投資だったのですか?

Rickyさん:いえ、最初は完全に短期トレードでした。当時は、高配当株を長期で持つという発想も今ほど一般的ではなく、「株は安く買って高く売るもの」という認識を強く持っていました。私自身にも少しギャンブラー気質がありましたし、テクニカル分析の本を買いあさって読んでいました。今のような配当重視のスタイルになったのは、かなり後です。

トウシル:成果はいかがでしたか?

Rickyさん:すごく苦手だったわけではありませんが、思うようには増えませんでしたね。当時はネット証券もまだ一般的ではなく、証券会社の担当者と相談しながら注文する時代です。売買のたびに手数料もかかりますから、時間をかけている割に資産が増えない。そんなもどかしさはありましたね。

トウシル:大学卒業時には、すでに400万円ほどの資金があったそうですね。大学生で400万円はかなり大きな金額です! どうやってためられたのでしょうか?

Rickyさん:小中高時代のお年玉貯金と、大学4年間のアルバイトでためたお金が大半です。投資資金を作りたくて、学業の傍ら、かなりアルバイトをしていました。ただ、この頃の投資の成績はほぼトントンで、投資で大きく利益を得るというところには到達できていません。

トウシル:コツコツとためて、投資に回していたのですね…。慎重で堅実なお人柄がよく分かります。その後、1998年に社会人になられます。就職氷河期の真っただ中ですが、最初の会社員生活はいかがでしたか?

Rickyさん:本当に厳しい時代でした。入るのも大変でしたが、入ってからはさらに大変でしたね。

 新卒で入社したのは、当時急成長していた小売企業です。投資家目線でもその企業を高く評価していて、「このビジネスは伸びる」と信じて入社したのですが、働く場所としてはかなり過酷でした。勤務時間は長く、休みも少ない。朝から深夜まで働いて、帰ったら寝るだけの生活が続き、最後は胃潰瘍になって退職せざるを得なくなりました。

トウシル:かなり過酷な社会人生活のスタートだったのですね…。

Rickyさん:投資先として魅力的な会社と、勤務先として働きやすい会社は、目線を分けないといけない。それを身をもって学びました。一方で資産を見ると、学生時代の400万円が退職する頃には600万円ほどに増えていました。投資で増えたというより、この増益分はほぼ貯金によるものです。皮肉な話ですが、忙しすぎてお金を使う暇が全くなかったんです(笑)。

トウシル:退職後はどのように過ごされたのでしょうか?

Rickyさん:何社か転々としましたが、転職先としては統一感がなく、キャリアを構築できたとは言い難い状況です。学生時代から台湾に興味があり、後々起業する際のモデルケースにもなりそうだと思って小さな貿易商社に入社したこともありましたが、なんと、1年もたたないうちに会社がなくなってしまって…。

 人生、ハードモードだと思っていましたが、周りの同世代を見ても、似たような境遇の人は多かったので、自分だけがつらい目に遭っている、とは思いませんでした。今振り返ると「そういう時代」だったのだと思います。

台湾で見つけた居場所。日本語教師から割安株投資へ

トウシル:その後はどうされたのでしょうか。また別の企業に転職を?

Rickyさん:2000年を過ぎた頃、少し人生の休暇を取ろうと思って台湾へ長期旅行に出かけました。学生時代に国際交流サークルでいろいろな国を巡った中でも、台湾は一番居心地が良かったんです。

 現地の人は本当に優しくて、自分にも他人にも、良い意味で甘い。日本での激務で張り詰めていた気持ちが、少しずつほぐれていくような感覚がありました。

トウシル:そのまま台湾で働くようになったのですか?

Rickyさん:そうなんです。「居心地のいい台湾で働きたいな」と思い、思い付きで現地の日本語学習塾の面接を受けたところ「ちょうど人が足りないからいいよ」と講師として簡単に採用されました(笑)。朝と夜に授業をして、昼は自由時間。現地の物価に対して時給も良く、かなり恵まれた環境でした。

 その後、ビジネスパートナーから出資を受け、ゼロから新しい日本語塾を立ち上げることにもなりました。学生時代にぼんやり抱いていた起業の夢が、小さな形でかなった時期です。そして、その塾の生徒としてやってきたのが、現在の妻でした。

トウシル:仕事も家族も、台湾で大きく動き出したのですね! 台湾時代も投資は続けていたのでしょうか?

Rickyさん:ちょうどネット証券やインターネット環境が普及し始めた時期だったのと、授業の合間の昼休みが、日本の株式市場が動いている時間と重なっていたので、日本にいた頃よりも活発に投資に取り組んでいました。職場のパソコンから市場を見られるようになったのは大きかったですね。

 いろいろな投資情報をネットで調べるうちに、大学生の頃に学んでいたテクニカル分析とは全く違う割安株、いわゆるバリュー株の考え方に出会いました。短期でハラハラするより、企業価値に対して割安な株をじっくり持つ方が、自分には合っているのではないかと感じ始めたのもこの頃です。

 方針をきっぱりと転換したわけではありませんが、この時期から徐々に割安株の配分を増やしていきました。少しずつですが配当金が出る株を買い増していき、2003年ごろには年間14万円ほどの配当金が入るようになっています。

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