「密室会談命じたか」NHK稲葉会長の元島民謝罪 面談時の牽制功奏す 軍艦島映像(下)
NHKの稲葉延雄会長は26日、長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を扱ったNHK番組「緑なき島」を巡り、元島民に謝罪した。坑内とされる映像は韓国メディアに悪用され、戦時徴用に関する虚偽情報が拡散した契機とされ、元島民は令和2年11月以降、訂正と謝罪を求めていた。日銀出身の稲葉氏は5年1月の就任以降、機会をうかがっていたといい、今年2月に謝罪する考えを表明した。ただ、NHKの事務方は録画・録画や現場取材の禁止を突き付けるなど公開に後ろ向きな姿勢を示し続けた。
「端島は一島一家だった」
「長い戦いだった。4年4カ月かかった。多くの同志が他界した。われわれは去り行く世代だが、老体にむち打ち、次世代の日本人に禍根を残さないよう、あきらめず追及してきた」
26日、東京都内のホテルの会議室。元島民を代表して中村陽一氏は稲葉氏らNHK職員を前にこう語った。
端島は平成27年7月、世界文化遺産に登録された前後で韓国メディアなどによって、戦時中に朝鮮半島出身者が過酷な徴用を体験した現場として「生きて帰れない地獄島」「強制労働の島」「虐待の島」などと呼称されようになった。
元島民には「端島は『一島一家』で家族同様の島民がある日、加害者のように扱われた」(中村氏)との問題意識が共有されている。
実際、端島炭坑で朝鮮半島出身の作業員が非人道的な待遇で労働を強いられたという当時の写真や映像は確認されていない。
「緑なき島」の坑内映像について自民党の山田宏参院議員が国会審議で取り上げた資料苦肉の策か、韓国メディアは終戦10年後の昭和30年に製作・放送された「緑なき島」の坑内映像を繰り返し使用するようになった。
ただ、ふんどし姿の作業員がつるはしを振るうなどの坑内映像は、石炭採掘の近代化を先導した端島炭坑の実態とかけ離れた原始的な内容だった。
稲葉氏を前に、端島炭坑を運営した三菱石炭鉱業高島鉱業所の田中実夫元副所長もマイクを持ち、坑内映像は技術的、法令上の観点から「絶対にあり得ない」と説明した。
稲葉氏「命の次に尊厳と名誉が大事」
田中氏の発言の後は、稲葉氏が元島民に思いを述べる段取りだった。
中村氏は再びマイクを握ると、後方に控えるNHK職員をけん制するようにこう語った。
「稲葉会長の思いを聞く場が設けられたが、ぜひオープンな形で開いていただきたい。会話の録音、録画もさせていただく。密室の会談設定は、稲葉会長が命じられたのか。外に知られてはいけないこともお話になるのか」
発言に至った背景は、元島民らがホテル内で待機した控室にNHKの担当者が訪れ、稲葉氏の発言の途中で記者は退出し、録画・録音した記録は外部に漏らしてはいけないといった条件を念押したためだという。
NHKの稲葉延雄会長(右端)ただ、稲葉氏は「私のせいだ。個人的な事情も申し上げたいと思い、オープンでない方がいいと思った。皆さんが納得できないなら、オープンで差支えない」と述べ、一部クローズの条件を持ちかけたのは自身だと強調した。
稲葉氏の父親は職人だったといい、父親について「自分の作品に少しでもケチがつくとひどく怒る。名誉が傷つけられたといって」と振り返った。その上、「人間1人1人、命の次に自らの尊厳や名誉が大事だ。それが傷つけられるという体験は耐え難い」と述べ、元島民が抱えた苦悩に寄り添った。
元から、稲葉氏による元島民への謝罪はすべてオープンの予定だったのか。
面談後、NHKの担当者は記者団に「面談は取材をしてもらう。その後の懇談をどうするかはあれだが」と言葉を濁し、「最終的に全部オープンで合意した」と主張した。
元島民の1人はこの発言について「会長が面談の途中で『オープンでいい』と言っているからオープンになったのだろう。ばかいうな」と不快感を示した。
これまで、元島民はNHKに対し、会長と面談する機会を求めていたが、その答えは「恐れながら、辞退させていただきたい」だった。
欲した言葉は…
「緑なき島」の坑内映像は端島のものではない─
これこそ元島民が稲葉氏に求めた言葉だった。
ただ、稲葉氏は手元の文書を読みながら「少なくとも誤解を招くものだった」にとどめ、元島民が欲した言葉が稲葉氏の口から出ることはなかった。
元島民有志は平成29年1月、世界遺産登録を契機とする端島に対する誹謗中傷を受け、ありのままの端島を後世に伝承するため「真実の歴史を追求する端島島民の会」を結成した。高齢化のため他界した会員は少なくない。
この日、8人の元島民はそれぞれ亡くなった会員の遺影を持参した。会長を務めた加地英夫氏も昨年11月、92歳で亡くなった。
中村氏は記者団による取材を終えると、加地氏の遺影を置き、こう叫んだ。
「加地さん、言ったぞ。俺は言ったぞ」
中村氏には亡くなった会員の思いを代弁しNHK会長に伝えられた、との思いが込み上げていた。
(奥原慎平)