豪雨で水没、手放した亡き息子の「Z」 6年後によみがえって両親の元へ 整備士の卵たちからのサプライズ
「エンジンの調子が悪いから、しばらくガレージに置いといて」 今から30年ほど前、岡山県倉敷市の実家に帰省していた山本晃司さんは、そう言って赤い車を置いていった。 中古で購入したという、真っ赤なフェアレディZ(S130型)。 バイト代をためて買ったもので、これから友人たちと手を入れていくそうだ。 当時、四国で大学生活を送っていたが、駐車場代がもったいないので実家に置きたい、とのことだった。 それからしばらく経った1997年11月、高松市にある病院から電話がかかってきた。 「息子さんが事故で運ばれてきたのですが、亡くなられました」 青信号で交差点を直進していたら、右折してきた対向車にはねられて、全身を強く打ったのだという。 父・晃さん(82)と母・富美枝さん(81)は、急いで病院に駆けつけた。 体は包帯でぐるぐる巻きにされていたが、顔はきれいで、まるで眠っているようだった。
晃さんと富美枝さんは、ガレージに置かれたままのZを手入れし続けた。 定期的に洗車してワックスをかけ、はずれかかった部品を接着剤やビスで固定。 車内には、晃司さんの写真や愛用していたブーツやリュックなどを並べていた。 ところが、亡くなって20年ほど経った2018年7月、自宅が水害に見舞われる。 河川の氾濫や土砂災害などが発生し、230人以上の死者がでた「西日本豪雨」だ。 山本さん宅も1階の天井近くまで浸水し、Zは水没してしまった。 自宅の復旧作業を手伝ってくれたボランティアの中に、トヨタ系の自動車整備専門学校の学生がいた。 「いつか、こんなカッコイイ車をいじってみたいな」 Zを見てそう話すのを聞き、晃さんと富美枝さんは決断した。 「この車は、自動車整備を学ぶ学生さんたちに教材として使ってもらおう」と。 学校に申し入れたところ、「そういう事情であればぜひ日産の学校へ」ということに。 紹介されたのが、京都府久御山町にある「日産京都自動車大学校」だった。
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それから約2年後、日産京都自動車大学校の指導教員・井上恵太さん(58)から手紙が届いた。 書かれていたのが「Z復活プロジェクト」について。 コロナ禍で窮屈な思いをしている学生たちに呼びかけて、有志による課外活動としてZを復活させるという。 手紙を受け取ってから3年半ほど経った今年1月、教員から富美枝さんのスマホに電話がかかってきた。 「復活のめどが立ちましたので、Zをお返しします」 えっ、だってあの車は差し上げたものですよ? そう伝えると、教員は言った。 「我々は走れるようにするという目標を達成できました。このZはご両親のもとにあるのが一番幸せです。だからお返ししたいんです」
今月1日、倉敷の山本さん宅に、新品同様に生まれ変わったZが戻ってきた。 井上さんや学生たちが、京都からキャリアカーの荷台に載せて運んできてくれたのだ。 晃さんがエンジンをかけると、ガレージに「ブロロロー」と音が響く。 それを聞いた富美枝さんは、涙をこらえきれなくなった。 「こみあげてくるものがあって……。お恥ずかしいところを見せてしまい、すいません」 その様子を見ていた井上さんは「やっぱり、この車はここにあるのが一番だ」と思った。 Zとの別れを惜しむ声も聞こえてくるが、井上さんはそうは思わない。 「このZはちゃんとゴールにたどり着いたんです。いろんな人の思いが詰まったこの車の記録に、自分たちもページを記すことができただけで十分です」