「父はどう生きたのか」 モンゴル抑留死、両陛下迎える遺族の思い
モンゴルの都市建設に従事した日本人抑留者(モンゴル国立中央公文書館所蔵)
モンゴル滞在中の天皇、皇后両陛下は8日、旧ソ連に抑留されてモンゴルで亡くなった日本人を追悼する慰霊碑を訪問される。
終戦後、旧ソ連に抑留された約1万4000人がモンゴルに移送された。強制労働に従事する中で約1700人が死亡したとされる。
戦後80年を迎え、体験者のほとんどが亡くなった。慰霊碑では両陛下を遺族が迎える。
終戦3カ月前、父に届いた赤紙
「父たちがモンゴルでどう生き、今にどうつながっているのか。歴史と今を知る人が増えてほしい」
父を亡くした鈴木富佐江さん(88)=東京都狛江市=は、両陛下のモンゴル訪問決定のニュースを知り、そう思った。
ソ連だけではなくモンゴルで抑留され、強制労働に従事させられた日本人がいる歴史はあまり知られていない。
父は商社役員だった。
鈴木さん一家は戦時中、中国の撫順(ぶじゅん)で暮らした。鈴木さんの記憶では空襲警報はなく、戦闘機も見当たらず、戦争の話題が耳に入ってきても実感のない日々。
一変させたのは1945年5月、38歳の父に届いた赤紙だった。関東軍に召集された。
弟を世話する母に代わり、混み合う撫順駅で出征兵士になった父を見送った。列車から身を乗り出した父はハンカチを振っていた。
まもなく終戦。
命からがら茨城県筑西市の父の実家に引き揚げた。父の帰りを待ったが47年2月、「外蒙古(現在のモンゴル)で死んだ」と知らせる通知が届いた。
かまどの前で静かに涙を流す母の姿が目に焼き付いている。母は体の力が抜け、かまどにかけた釜の湯は煮えたぎっていた。
「お葬式は桜が咲くまで待とう」と誰かが言った。桜が満開の4月、遺骨のない葬式だった。
モンゴルで何をしていたのか、なぜ死んだのか、分からないま…