フジ以上の「マスゴミぶり」を晒しただけ…会見に群がる「自意識過剰のクレーマー記者」は次はどこを荒らすのか 会見はそもそも「新事実を語る場」ではない

1月27日のフジテレビの「やり直し会見」は、10時間半に及ぶ異例の長丁場となった。元関西テレビ記者で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「怒号やヤジが飛び交う様子を見て『フジテレビより記者たちのほうがおかしい』と感じた人も多いだろう。背景には、2010年代にはじまった『記者会見のエンタメ化』があるのではないか」という――。

写真=時事通信フォト

記者会見するフジテレビの港浩一社長(奥)=2025年1月27日午後、東京都港区

「何やってんですか、一体!」

TBS「報道特集」特任キャスターの金平茂紀氏が、1月27日のフジテレビによる記者会見の席で、投げかけた。

金平茂紀氏(写真=OurPlanet-TV/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

金平氏は、TBSに入社後、モスクワとワシントンの支局長を務めただけではなく、同社の執行役員にまでのぼりつめた、報道業界の「大物」である。

フジテレビの港浩一社長(当時)に対して、「私、業界のことよくわかってますけども」と前置きした上で、NHKの会長や民間放送局の社長の記者会見でもテレビカメラを入れさせない、と理解を示しつつも、厳しく問いかけている。

金平氏は、壇上に並んだ港氏らとほぼ同世代であり、長い年月をテレビの世界で生きてきた、いわば同僚のような感覚で、「何やってんですか」と叱りつけたのである。

「私も同じテレビの仕事をしてきた人間だから申し上げるんですけどね」と言葉を継ぎ、「何か逃げてるような印象を受ける」と述べて、「自分たちで血を流すような努力をして検証番組を作るとかね。そういうようなお考えっていうのはないんですか」と質している。

視聴者が抱いた「記者」に対する嫌悪感

つづけて、第三者委員会などが「はじめに結論ありきみたいなことで、本当の意味での真実を解明するってことにならないケースがたくさんある」のだと、みずからの見解も披露している。

金平氏の意見に賛同する人もいただろう。フジテレビの遠藤龍之介副会長に「検証番組の制作」を認めさせたところは、良い質問だったと感じる。

けれども、金平氏のように、自説を展開する、というか演説のような「質問」をする「記者」に対する嫌悪感のほうが、この会見を見ている視聴者の側に共有されたのではないか。

こう考えるのは、いまから20年前に私が取材に携わった、JR西日本「福知山線」の脱線事故を受けた記者会見を思い出したからである。


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もとより、新聞やテレビの記者には、会見で何かの情報を引き出そうとするのは幻想だ、との考え方がある。

元日本テレビ特別解説委員で、「桶川ストーカー殺人事件」をはじめとして、数々のスクープを世に放ってきたジャーナリストの清水潔氏は、次のようにポストしている。

ホンモノの記者は会見なんかに最初から行きませんって。 あそこにスクープなんてあるわけないでしょ。あれはまあ取材劇、記者ドラマぐらいに思った方が良いでしょう。逆に、そこにいない記者がやばいんです。

— 清水 潔 (@NOSUKE0607) January 31, 2025

ホンモノの記者は会見なんかに最初から行きませんって。 あそこにスクープなんてあるわけないでしょ。あれはまあ取材劇、記者ドラマぐらいに思った方が良いでしょう。逆に、そこにいない記者がやばいんです。

私の短い記者経験に照らしても、あくまで会見は「セレモニー」であり、質疑応答の中で驚くべき新事実が明らかになるケースは、ほとんどない。というよりも、私自身は、出くわしたためしがない。

くわえて、権力側からすれば、自分をよく見せようとする舞台である。実際、1972年6月17日に行われた、時の首相・佐藤栄作氏の退陣会見が有名だろう。

「ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞(記事)になると、文字になると違うからね」と言い放った佐藤氏は、「帰ってください。(新聞)記者の諸君。少し避けて真ん中へテレビを入れてください」と、テレビカメラを優先する姿勢を見せる。

記者を締め出した、佐藤栄作首相の退陣会見

それでも新聞記者が席を移らない様子を見て、佐藤氏は、会見場を去る。竹下登官房長官(当時)がとりなして、佐藤氏が戻るものの、今度は、新聞記者がおさまらない。「テレビを優先しろということは、我々は絶対ゆるすことはできません」と怒りをぶつけると、売り言葉に買い言葉で、佐藤氏は、「それなら(会見場から)出てください」と応じる。

新聞記者が去った、がらんとした会見場で、佐藤氏が一人語りをした風景は、語り草となっている。

記者からすれば、新しいネタは見当たらず、一方的にPRしたい権力側からすれば、記者はいなくても、いや、いないほうが、都合が良い。

それでも、記者会見に出ないわけにも、しないわけにもいかないから、あくまでも、形を整えるため(だけ)に行われる。それが、これまでの記者会見だったのではないか。

だから、20年前に、「ヒゲ記者」が罵声を浴びせた姿は、記者たちから見ても、会見を開いたJR西日本からしても、さらには、読売新聞の上司でさえ意外で、驚いたに違いない。

そうした流れを変えたのが、2010年代にはじまった記者会見の「エンタメ化」である。


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2005年4月25日に兵庫県尼崎市で起きた脱線事故では、運転士をふくむ107人が亡くなった。スピードの出し過ぎにより、カーブを曲がりきれなくなった電車が、マンションに衝突。前代未聞の事故に、記者たちのボルテージが上がっていた。JR西日本の記者会見は、今回のフジテレビと同じように、「糾弾の舞台」となった。

マンションの保存工事が進むJR福知山線の事故現場(写真=筑紫太郎/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

フジテレビの会見と似た雰囲気になったのは、JR西日本もまた、当初の対応に失敗したせいである。

発生日中に3回の会見を開いたものの、そこでは線路への置き石の可能性を示唆するかのような内容を述べたり、脱線した電車に現役の運転士が乗っていたのに救助活動をしなかったり、と、同社の体たらくが次々と明るみに出る。

JR西日本は、謝ってはいたものの、情報を小出しにしているのではないか、真実を隠しているのではないか、そんな疑念が、記者たちの間に渦巻いていく。

その果てに、「あのやりとり」が起きる。

5月4日の深夜に開かれた会見で、読売新聞大阪本社社会部の男性記者が、JR西日本の幹部社員に対して「あんたら、もうエエわ。社長を呼んで!」などと、強い口調で問い詰め、その映像が、テレビニュースで流れたのである。

読売新聞が掲載した名前入りの「謝罪記事」

当時、SNSはなかったものの、巨大掲示板「2ちゃんねる」では、瞬く間に、当該記者の所属先や名前の特定合戦が始まった。

その記者の容姿から「ヒゲ記者」と呼ばれたり、『週刊新潮』が記事にしたり、と、いまで言えば「大炎上」し、8日後の5月13日付で読売新聞は、大阪本社社会部長の名前入りで「尼崎脱線事故 会見での暴言を恥じる」との謝罪記事の掲載に追い込まれる。

「当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました」とし、「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません」と、詫びた。

では、今回のフジテレビの会見において、怒鳴ったり、声を荒らげたりした記者たちの所属先は、こうした謝罪記事を掲載しただろうか。どこもしていない。

そこに、JR西日本とフジテレビ、その2社の会見をめぐる「20年間の変容」がある。

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