「ヘイ!カール!」は「嬉しかった」 伝説カール・ルイス氏が語る長嶋茂雄さんの思い出

[2025/06/07 10:30]

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戦後最大のスター長嶋茂雄さんの訃報を受け、海外からも惜しむ声が上がっている。

短距離100メートルや走り幅跳びで次々と世界記録を打ち立て、五輪4冠にも輝いた陸上の世界的スーパースター、カール・ルイスさん。 日本で大きな話題となった1991年 世界陸上での「ヘイ、カール!」の呼びかけは、「すぐに長嶋さんだと分かった」と当時を振り返る。 長嶋さんとの思い出を聞くと、知られざるミスターの姿が見えてきた。

(ANNロサンゼルス支局長 力石大輔)

バブル期のスーパースター競演 ミスター×カール・ルイス

長嶋さんとカール・ルイスさん(63)の出会いは、1984年のロサンゼルス五輪だった。長嶋さんは1980年、巨人軍監督として第一次政権を終え、スポーツ親善でキューバや中国など様々な国を訪問、五輪には取材リポーターとして参加した。カール・ルイスさんはこの大会、100メートルなど4冠を達成、長嶋さんは同じスーパースターの誕生を目の当たりにしていた。その後は、様々なイベントで競演し、バブル期のテレビを彩った。

カール・ルイスさんは現在、アメリカ・テキサス州の母校ヒューストン大学で陸上チームのヘッドコーチを務めている。

スーパースターの謙虚なたたずまい“盗んだ”

―長嶋さんとの出会いは

友人を通じて、長嶋さんを紹介してもらいました。もう40年以上の友人です。日本に行くたびに、長嶋さんと時間を過ごしました。本当に優しい、素晴らしい方でした。亡くなったと聞き、とても悲しいです。

―同じスーパースターとして長嶋さんから学んだものは

多くのことを学びました。長嶋さんがどうしてここまで尊敬され、確固たる地位を築いたのか、実際の振る舞いをまねていました。スーパースターとしてのたたずまいを、長嶋さんから“盗んだ”のです。偉大な人から偉大なことを“盗む”ことは、恥ずかしいことではなく、むしろ誇りに思っています。

―具体的には

長嶋さんの一貫性です。非常に有名ですが、常に謙虚な心を持っている。これが最も記憶に残っています。そして、いつも愛を、ポジティブなエネルギーを長嶋さんから感じました。この二つが一貫している所が、「長嶋さんが、長嶋さんであるゆえん」だったと思います。長嶋さんの謙虚さに、心を打たれたのです。素晴らしい紳士でした。

「ヘイ!カール!」すぐに分かったよ

長嶋さんとカール・ルイスさんといえば、誰しも思い浮かべるのが、1991年の世界陸上での一コマです。取材リポーターとして観客席にいた長嶋さんは、カールさんが100メートルで当時の世界記録 9秒86を出したことに「新幹線のようでしたねぇ、すごかったぁ〜」と大興奮。トラックで喜びをかみ締めるカールさんに、いつもの独特のイントネーションで「ヘイ!カール!」と呼びかけました。

―すごい観衆でしたが、長嶋さんの「ヘイ!カール!」気が付きましたか

もちろん!長嶋さんはひときわ背が高いし、何より声ですぐ分かりました。何度もイベントで会っていましたし、取材もたくさんしてもらった。家族や友人の声は、呼ばれたら電話でもすぐ分かりますよね。それと同じようなものです。日本の知り合いは、そもそも少ないですしね(笑) 100メートルで当時の世界記録を出して、本当に忘れられない夜でした。他の種目もあり、その時は長嶋さんとゆっくり過ごす時間はありませんでしたが、スタンド越しにでも、会えてうれしかったのを覚えています。

「長嶋さんに感謝の大切さ教わった」

―長嶋さんに伝えたいことは

「ありがとう」という一言に尽きます。時に成功を収めても、感謝を忘れてしまうことがあります。しかし、長嶋さんは違いました。その大切さを教えてもらった気がします。「長嶋さんが長嶋さんでいてくれて、私の人生にいてくれて、ありがとう」と伝えたいです。

―日本の人に伝えたいことは

長嶋さんという偉大な人物を失ったかもしれません。しかし、長嶋さんのように「互いを愛し続ける」ことを忘れないで下さい。長嶋さんがのこした精神を持ち続ければ、物事はうまくいくと、いまでも信じています。

普段であれば、取材に応じてくれる機会は少ないであろう、元世界王者カール・ルイスさん。訃報で急なお願いにもかかわらず、二つ返事で応じてくれたのは、やはり長嶋さんの存在が、あまりにも大きかったということだろう。

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