福島第一原発の廃炉、目標の2051年へ厳しい道…敷地再利用まで300年報告も : 読売新聞
福島第一原子力発電所2号機の原子炉建屋1階に置かれた専用コンテナに、小石状の溶け落ちた核燃料「デブリ」が収容された。昨年11月7日午前11時40分。原発事故から13年半を経て、東京電力が廃炉の最難関とされるデブリの取り出しに、初めて成功した瞬間だった。
円形の口をした専用コンテナ(中央)に、デブリを入れた容器を移し、試験的な取り出しを完了させた(2024年11月7日)=東京電力提供「まだ一粒。これから先は正直見えていない」。作業を統括してきた東電の中川雄介さん(51)は感慨に浸るのもつかの間、現実を直視せざるを得なかった。ようやく取り出せたデブリは約0・7グラム。一方、1~3号機で発生したデブリは推計880トンに上る。
政府・東電は2051年までの廃炉完了を目指しており、デブリの回収は避けて通れない。
しかしデブリが大量にたまった原子炉周辺は、人が数分いるだけで死に至るほど放射線量が高い。対応する装置の開発に手間取るなどして、21年の取り出し開始予定は昨年にずれ込んだ。結局、全長22メートルの細長い装置を原子炉の外から押し込み、先端の爪状の器具を遠隔操作して、デブリをつかむことになった。
この前例のない試みは、準備段階から過酷を極めた。昨年7月、うだるような暑さの中、装置の設置を行った作業員は顔全体を覆う全面マスクや防護服、3重の手袋を着用。 被曝(ひばく) 防止のためとはいえ、立っているだけで全身から汗が流れ落ちた。
作業員が装置を動かす場所は、原子炉周辺から約30メートルの距離がある。それでも、毎時数ミリ・シーベルトという高線量のため1日の作業時間は15~30分に限られる。装置に使う器具を搬入・設置するだけで3日間を要した。
政府・東京電力が示す廃炉工程「普通なら簡単にできることも、思うように進まなかった」と中川さんは唇をかむ。同じ東電で現場を仕切った横川 泰永(やすのぶ) さん(40)は「全面マスクで視野が狭く、互いの意思疎通さえ難しい」と振り返った。
苦闘の末に初採取したデブリは、複数の研究機関で分析が行われている。政府・東電が事故から40年後となる2051年までの廃炉完了を掲げるなか、1グラムに満たないデブリの分析で得られる硬さや成分の情報は、取り出し手法や工具の選定などに役立ち、廃炉のスピードアップが期待される。
ただ、目標の達成には単純計算で1日あたり約90キロのデブリの回収が必要だ。日本原子力学会福島第一原発廃炉検討委員会の宮野広委員長は「51年までの廃炉完了は難しい。実現性を伴った計画を示さないことには、地元への説明を尽くしているとは言えない」と話す。同学会は20年の報告書で、廃炉作業を終えて敷地を再利用できるまでに100~300年かかるとした。
1979年に炉心溶融を起こした米スリーマイル島原発2号機では、約130トンのデブリが発生。福島第一の7分の1ほどの量にすぎないが、廃炉完了は事故から58年後の2037年以降を見込む。このスリーマイル島原発の実績などを踏まえて早稲田大の松岡俊二教授(環境経済・政策学)が試算したところ、福島第一でデブリの全量を取り出し終えるのは、早くても約68~170年後だった。
廃炉を担当する東電福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表(65)は廃炉工程について、「安全、着実、計画的にやっていくのが大事だ。現時点で見直す必要はない」と話す。
今後、廃炉が着実に進まなければ、住民の帰還を始めとした福島の復興はおぼつかない。松岡教授は「国や東電は地域社会と話し合いながら、現実的な対応をすべきだろう。廃炉工程は完了時期しか事実上示されておらず、まずは事故から20、30年後の中間目標を明確に定めてはどうか」と提言する。
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