助産師目指した妹は18歳で犠牲に、姿重なる娘は成人式迎え、「悔いなく生きて」

 阪神大震災で二つ下の妹、友紀さん(当時18歳)を亡くした大阪府枚方市の中村隆史さん(51)は13日、同市で開かれる成人の日の式典に長女の 汐里(しおり) さん(19)を送り出す。助産師を目指し、勉強に励んでいた妹が迎えられなかった晴れ舞台。中村さんは娘に妹の姿を重ね、「明日がどうなるかなんて誰にもわからない。毎日を自由に楽しんで悔いなく生きてほしい」と願う。(神戸総局 松山春香)

看護学校での記念写真と幼い頃にきょうだいで写った写真

 1995年1月17日、中村さんは両親、友紀さんと4人で暮らしていた兵庫県西宮市の自宅で被災。倒壊した建物に体を挟まれた。近くにいた友紀さんの体を何度もさすり、「友紀ちゃん、友紀ちゃん」と声をかけたが、反応はなかった。

 約5時間後、中村さんはがれきの中から救出され、大阪府内の病院に搬送された。そのまま約2か月間入院し、友紀さんの葬儀にも参列できなかった。後から母親(78)に聞いた話では、友紀さんは中村さんに続いて助け出されたが、体は冷たく、手遅れだったという。

 中村さんは「死に目に会えず、突然どこか遠いところへ行ってしまった」と振り返る。今も亡くなった実感が湧かないという。

 友紀さんは中学時代、孤児の少女が看護師を目指す漫画「キャンディ☆キャンディ」を読み、看護の道に興味を持った。高校卒業後、看護学校に進学。発展途上国では死亡する赤ちゃんが多いと知って助産師を目指すようになり、「海外で多くの人を助けたい」と語っていた。

 成人式の話題になった際、「着物はいらない。海外へ行くための旅費を出してほしい」と言うほど、夢にひたむきだった。「人より勉強しないとついていけない」と毎日夜遅くまで勉強に励んだ。地震が起きた1月17日も午前1時過ぎまで机に向かっていたという。

 両親が共働きのため、中村さんは友紀さんと2人で過ごす時間が長く、部屋もずっと一緒だった。看護学校の受験前には、心配で試験会場の下見にもついていった。「友紀ちゃんの一生懸命な姿をずっと見ていた」と悔しがる。

友紀さんの名前が刻まれている記念碑に触れる中村さん(兵庫県西宮市で)=近藤誠撮影

 中村さんには2人の娘がいる。長女の汐里さんは昨年、友紀さんが亡くなった年齢を超えた。大学で美術を学び、イラストレーターを目指している。

 汐里さんは「将来の夢に向かっている時に亡くなってしまうなんて想像もできない」と友紀さんに思いをはせ、「今、生きていられるのは絶対じゃない。だからこそ、いっぱい頑張って人の役に立つ大人になりたい」と前を向く。

 中村さんは、懸命に絵を描く汐里さんの姿を見る度、亡き妹が重なる。13日の式典を前に、「悲しい出来事から、みんなで支え合い、頑張ってきて、花が咲いた気持ち」と喜んだ。

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