「被害の責任は自分に」 災害研究第一人者の「ざんげ」 能登地震
いつもは柔和な表情が、この日はやや厳しくなっていた。
2024年2月8日、東京都内で開かれた記者会見。テーマはその前月に起きた能登半島地震だった。
「石川県の被害想定のあり方などが問われることになる。その責任の大半は私にあるので、自らのあり方を問うような話になる」
冒頭、そう切り出したのは神戸大名誉教授で防災計画学が専門の室崎益輝(よしてる)さん(81)。災害研究の第一人者だ。「被害の責任が自分にある」とは、まるで「ざんげ」のようだ。
石川県の災害危機管理アドバイザーとして、約15年間、県に助言をしてきた。県や市町の防災担当の職員を対象にした研修会で、事前準備の大切さを説いてきた……つもりだった。
元日に発生した能登半島地震は最大震度7を観測。しかし、県では毛布や段ボールベッド、避難所の仕切り板などの備蓄が不十分だったことが明らかになった。発生から数日間、水や食料といった物資の避難所への搬送も遅れた。
室崎さんは記者会見で「ざんげ」の理由を述べた。
「県だけでなく、私にもあれほど大きな地震が起きるはずがないという思い込みがあった。(県に)被害想定の見直しをさせるなど、十分な対策につなげられなかった」
「学問ではなかった」防災
実は、後悔は初めてではなかった。
災害研究の道へ進むきっかけは1968年。京都大大学院2年で、京都・西陣など密集した市街地の形成過程を研究していた。
この年、神戸市の北部にある有馬温泉の老舗旅館で、30人が死亡する火事が起きた。室崎さんは現場に向かい、被害状況をつぶさに確認した。報道された間取り図を見て、増築の結果、部屋によって廊下が「くの字」に折れ曲がり、避難しにくい構造だと気づいた。
室崎さんが学んでいた大学院の課程では、火災の避難行動や消防設備に関する講義がなかった。
「火が回った時の危険性を考慮し、人が死なないための建築の講義をなぜしないのか」
講義を担当していた助教授にそう質問すると、思わぬ答えが返ってきた。
「そんなの…