低迷中日でも失いつつあった"居場所"「無理だな、これ」 DeNAドラ1に衝撃「辞めたくなった」

 中日一筋の名内野手の荒木雅博氏(野球評論家)は、プロ19年目の2014年に打率.268、1本塁打、21打点、17盗塁、33犠打の成績を残した。2013年はスタメン落ちも増え、12年ぶりに規定打席にも到達できなかったが、持ち前の継続練習の力で、それも再びクリアした。だが、世代交代の波も容赦ない。20年目、21年目と年々、厳しい闘いになっていく。そんな中、DeNAの若き左腕の球には衝撃を受けたという。

 2014年シーズンから中日は落合博満GM、谷繁元信監督兼捕手の新体制。荒木氏は「まぁ練習しましたね」とサラリと言う。相棒の井端弘和内野手が年俸問題で中日を退団、巨人に移籍して不在となった中、主に「2番・二塁」でプレー。5月29日のオリックス戦(ナゴヤドーム)で東明大貴投手から死球を受け、右手人差し指を骨折したが、1か月ちょっとで復帰した。

「東明君からのデッドボール、ありましたねぇ……。まぁ、残り、野球ができるのも少ないから、痛くて打てないとか、エラーするとか、チームに迷惑をかけないんだったら、多少痛くてもやろうというのは決めていましたね」。37歳になる年だったが、気持ちの面でも若い選手たちに負けていなかった。しかし、世代交代の波は次から次へと押し寄せてくる。プロ20年目の2015年は再び出場機会が減少、ソフトバンクから移籍の亀澤恭平内野手との併用になった。

 この年の中日は5位。かつて優勝争いが当たり前だったチームは一転して低迷期に突入していく。「まぁ自分としても、これだけ勝ててないチームで、ベテランとして、自分が出ても勝てないんだろうなっていうのを、自分の中でも思っていたし、誰かに代わっていかないといけないから、そこはもう応援していこうと思っていました。僕の考え方とか、そういう話も(若い選手たちに)ちょっとずつできたらいいなというのもありました」。

 97試合出場の2015年に続き、プロ21年目の2016年も93試合。中日は最下位に沈んだ。4月14日には荒木氏の出身地・熊本で大地震が発生。「4月19日に熊本で試合(巨人戦)予定だった。現役では熊本で試合ができる最後の機会だなと思って気合入れていこうと考えていたら……」。試合は中止。思わぬ事態に沈痛な思いだった。もちろん地元を元気づけようと全力プレーを続けた。8月6日のDeNA戦(横浜)では高木守道氏を抜く球団新記録の370盗塁を達成したが、総じて厳しい闘いの年だった。

佐藤輝明が“記録更新”「経験していたからこそ、気持ちがよくわかった」

 6月9日のオリックス戦(京セラドーム)の第4打席から7月8日のヤクルト戦(神宮)の第1打席まで47打席連続無安打で、当時のセ・リーグ野手ワースト記録に並んだ。「苦しかったですよ。もうこのまま打てないんじゃないかって思いましたもんね。年とって使ってもらって結果を出せないという申し訳なさ。あれが一番きつかったですね。もう練習する体力もなかったです。なるようになれ、って感じでした」と振り返った。

「あの年は無安打になるまでが調子よかったんですよ。今年は久しぶりに3割近くまで行くなぁって感じで打席にも入っていたんですが、やっぱりそういう気持ちを持っていたら駄目なんだなぁって思いました。最後終わるまで普通に“無”でやらないと……。また勉強させられましたねぇ」。このセ・リーグ野手ワースト記録は2021年に阪神・佐藤輝明内野手が59打席連続無安打で“更新”したが「経験したことがあるからこそ佐藤の気持ちがよく分かった」と話した。

 そんな2016年シーズンで荒木氏が何よりも衝撃を受けたのが、2015年ドラフト1位で駒大からDeNAに入団したルーキー左腕・今永昇太投手(現カブス)だった。「僕は左ピッチャーだったら、誰でも打てる自信があったんですよ。外国人投手だろうが、背が高いピッチャーだろうが、低いピッチャーだろうがね。それが今永を見た時、無理だな、これ、って思ったんですよ」。

 初めて左腕にそう感じたという。「球の強さが違った。ベース板の上の強さが違いました。オッ、と思った。右(投手)では、そういうピッチャーはいたんですけど、左では……。それで打てないというのはちょっとショックでしたね」。かなりのダメージだったようで「そのあたりから、ホントやめたくなった」とも。通算2000安打まで残り110安打だった2016年は71安打で終了。偉業が翌2017年に持ち越された中、今永との対戦は荒木氏にとってインパクトのあるものだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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