「佳子さまカレンダー」を超えた…発売即増刷の「愛子さまカレンダー」に専門家が感じる国民感情の"地殻変動"
愛子内親王は12月1日、24回目の誕生日を迎えた。宮内庁はその近影を発表し、動画も公開された。動画には音声はついていなかったものの、11月のラオス訪問を控えて、現地で使われる言葉について進講を受け、熱心に、また喜々としてメモをとっている姿が映し出されていた。
ラオスに赴いたことは単独での初めての海外訪問であり、現地でも日本でも話題を集めた。今年は、それを含め公務に励む愛子内親王の姿がさまざまな形で報道され、その注目度は格段に高まった。それが、女性天皇、さらには女系天皇を容認する国民の声を日増しに高めていることは間違いない。
24歳の誕生日を迎え、上皇ご夫妻にあいさつをするため仙洞御所に入られる愛子さま=2025年12月1日午後、東京・元赤坂(代表撮影) - 写真提供=共同通信社愛子内親王が誕生日を迎える前日の11月30日、私は皇居の東御苑に出かけた。29日から12月7日までは紅葉が見ごろの乾(いぬい)通りが一般公開されており、多くの人たちがそちらへと向かっていた。だが、私のお目当ては紅葉ではなく売店だった。東御苑には2つの売店がある。
片方の売店は三の丸尚蔵館の向かい側にある仮設の建物である。三の丸尚蔵館は現在閉館しており、来年2026年秋に再開が予定されている。私は妻と出掛けたのだが、妻はそこで菊の紋章のついた印鑑入れを買い、私はやはり菊の紋章のついた茶筒を購入した。ちょうど茶筒が欲しいと思っていたからである。
■皇室カレンダーが示す上皇夫妻の存在感
売店で店員が熱心に売り込んでいたのが、来年の皇室カレンダーだった。「皇室御一家」というのが正式なタイトルで、表紙は二重橋の写真だ。
カレンダーは、2カ月ずつ6枚からなっており、1、2月は天皇一家をはじめ、上皇夫妻や秋篠宮一家の写真が使われている。目につくのは上皇夫妻の写真が、3、4月と9、10月に使われていることである。2人だけ写っているせいもあり、とても目立つ。天皇家の場合には、5、6月に天皇が田植えを皇后が養蚕をしているところが取り上げられ、11、12月では天皇夫妻と愛子内親王一人の家族写真が使われている。
秋篠宮家の場合、7、8月に一家4人で写っているだけである。登場回数ということになると、天皇夫妻と上皇夫妻がともに3回で、秋篠宮家の人々は2回、愛子内親王も2回ということになる。
上皇夫妻は、その地位を退いてから一般参賀にも「お出まし」にはならなくなり、一般の国民と接することはほとんどなくなった。ところが、皇室カレンダーでは依然として存在感を示している。カレンダーを見た限りでは、皇室の中心であるかのようにも見える。それだけ、国民からの人気が依然として高いということなのだろう。
■1年で10万部も頒布される皇室カレンダー
皇室カレンダーを頒布(はんぷ)しているのは、皇室の文物の管理公開や調査研究を目的に設置された公益財団法人菊葉文化協会である。この組織は1993年に財団法人として設立された。財団に関する法律が改正されたことで、2012年には公益財団法人に移行している。
菊葉文化協会では、皇居や京都御所などの環境保全や維持管理に協力するとともに、最近、愛子内親王が毎回鑑賞に訪れている雅楽についての小冊子なども刊行し、その啓蒙につとめている。
菊葉文化協会が皇室カレンダーを頒布するようになったのは1995年からのことで、30年の歴史を重ねている。途中、2003年にはリニューアルが行われた。壁掛けのカレンダーが大型化し、あわせて卓上型も頒布されるようになったのだ。
壁掛けだけで1年に10万部も頒布されるというから大ベストセラーである。SNSなどを見てみると、実家に皇室カレンダーを飾っているという声が数多く上がっていた。
■昭和天皇の和歌による御製カレンダー
売店ではもう1つ、「昭和天皇御製カレンダー」も頒布されている。こちらは昭和天皇の「聖徳」を後世に伝えるために設立された公益財団法人昭和聖徳記念財団によるものである。
御製とは、天皇の詠んだ和歌のことである。カレンダーはやはり2カ月ずつで、昭和天皇個人の写真、宮内庁のページで最近実録が公開されて話題の香淳(こうじゅん)皇后との夫婦の写真、そして一家の写真などで構成されている。
昭和天皇・香淳皇后両陛下(1946年撮影)(写真=AFP database/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)来年2026年のものでは、昭和天皇がローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世と1975年に会見したときの写真も9、10月の箇所に掲載されている。その月の御製は、「あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」という平和を願っての歌である。これは、1933年の歌会始で詠まれた戦前のものである。この歌には今では曲がつけられ、さまざまな神社で「浦安の舞」として舞われている。
「昭和天皇」といっても、今の若い世代にとってはまさに歴史上の人物である。御製カレンダーを買い求め、それを家に飾っておくのは、かなり上の世代であろう。皇室カレンダーの場合にも、上皇夫妻が大きく取り上げられているわけで、やはり年上の世代を主なターゲットにしているものと思われる。
それにどちらも、おかたい財団が頒布しているもので、天皇や皇族はかしこまった姿で写真におさまっている。皇室に対して親しみが湧くものになっているかといえば、そもそもそういった性格のものではないのかもしれない。
■プリンセスそれぞれ単独のカレンダー誕生
実は、皇居東御苑の売店では頒布されていないのだが、今年、皇室関係のカレンダーに画期的な動きが起こった。
それが、主婦と生活社から刊行された「愛されるプリンセス 愛子さまカレンダー2026」と「微笑みのプリンセス 佳子さまカレンダー2026」である。こちらはどちらも12枚で構成されている。
同じ出版社からは昨年、「愛子さま・佳子さまプリンセスカレンダー 2024年4月~2025年3月」が刊行されている。ただし、刊行されたのは2024年3月で、カレンダーとしては変則的な時期だった。したがって4月から始まっている。そこでは、どちらの内親王についても単独の写真が多く使われているが、幼い佳子内親王が姉の眞子内親王とともに軽井沢で静養しているときの写真や、天皇一家での写真、あるいは愛子内親王が皇居の厩舎(きゅうしゃ)で21歳の誕生日の記念に馬とともに撮影された写真も含まれていた。
このカレンダーが好評だったことで、今回は単独で2人のカレンダーがそれぞれ刊行されることになったのだろうが、こうしたことは皇室史上初めてのことである。
■発売1カ月で4刷の「愛子さまカレンダー」
アマゾンのレビューでは、星がつくようになっており、「愛子さま・佳子さまプリンセスカレンダー」の場合、5点満点で4.8点の評価である。ただし、点を入れているのは8人だけである。
それに対して、「微笑みのプリンセス 佳子さまカレンダー2026」では、やはり4.8点で32人が点を入れている。
驚くのは、「愛されるプリンセス 愛子さまカレンダー2026」である。4.9点と僅差ではあるもの、2つのカレンダーを超えている。しかも、411人が点を入れているのだった(12月4日現在)。
「愛されるプリンセス 愛子さまカレンダー2026」(主婦と生活社)私のところにも愛子内親王のカレンダーがあり、そこには4刷とある。はっきりしたことはわからないが、発行部数はおそらく2万部を超えていることだろう。皇室カレンダーほどの歴史はないものの、愛子内親王の個人カレンダーが今年相当な人気を集めているのは間違いない。
愛子内親王のカレンダーの表紙に使われている写真は、23歳の誕生日に公開されたものである。皇室カレンダーの個人写真と同じくライトブルーのタートルネックにブルーグレーの「ジレ」を重ねた装いだ。普段の姿を写したものといえるが、12枚のうち11枚は一人で写っており、1枚だけ9月のものは天皇一家の写真である。ほとんどの場合には、2024年か25年の同じ月の写真が使われている。普段着に近いものもあれば、ティアラを着けた正装のものもある。12月は、2021年の成年行事のときの正装である。
■愛犬・由莉とのかけがえのないツーショット
見た者の涙を誘うかもしれないのは11月の写真である。そこには19歳の誕生日を迎えた愛子内親王が、小学生のときから可愛がってきた愛犬の由莉(ゆり)とともに写っている。由莉は、今年6月に16歳4カ月で老衰で亡くなっている。
2019年8月、愛犬の由莉とともに那須御用邸の敷地内を散策する天皇、皇后両陛下と愛子内親王殿下(写真=在スリランカ日本大使館/CC BY 4.0/Wikimedia Commons)その後、天皇一家では8月から新たに保護猫を飼うようになり、24歳の誕生日に際しては、愛子内親王自身が撮影した猫の写真も公開された。名前は「美海(みみ)」とつけられ、これまで飼われてきたセブンという猫とともに愛されているようだ。
カレンダーでは最初に愛子内親王の歩みが年表と写真とともに掲載され、次には今年の11月と12月の分も一枚におさめられている。面白いと感じさせるのは11月の分である。それは昨年5月に御料牧場で撮影されたもので、なんと愛子内親王はタケノコ掘りをしている。長靴をはいた内親王は大きなスコップを手に持って、竹林に座り込み笑顔を見せている。この愛くるしく飾らない姿は、内親王のファンにはたまらないものかもしれない。
■愛子さまの道を整えた“姉的”な佳子さま
ただ、こうしたカレンダーが生まれるきっかけを作ったのは、むしろ佳子内親王のほうである。というのも2015年前後に、佳子内親王が成年皇族になり、学習院大を中退してICUに入学した頃「佳子さまフィーバー」が起こり、その際にはムックなども出版され、付録としてカレンダーがついたりしたからである。
佳子内親王は悠仁親王が生まれるまで、10年以上にわたって末っ子として育った。アイドルには甘え上手の末っ子が多い。そのこととフィーバーは関係していることだろう。そうした下地がなければ、佳子内親王単独のカレンダーとともに、愛子内親王単独のカレンダーも刊行されなかったかもしれない。
ただ、愛子内親王の公務が大きく取り上げられるようになると、佳子内親王はそれを優しく見守る姉的な存在として扱われるようになってきた。カレンダーでも、最初に2人のものが刊行され、次にそれぞれのカレンダーが生まれたわけで、そこでも佳子内親王は愛子内親王を表に出す役割を果たしたことになる。
カレンダーを通しても、愛子内親王の時代が訪れていることがよくわかる。「地殻変動」と言えば大げさかもしれないが、注目度の変化は確実に起こっている。愛子内親王のカレンダーを家に飾り、これからの一年を過ごす人たちは、よりいっそう愛子天皇の誕生を夢見るようになるに違いない。
----------島田 裕巳(しまだ・ひろみ)宗教学者、作家放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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