深刻化する路上の売買春 「買う側」を処罰する「北欧モデル」とは(大阪電気通信大学教授・中里見博)
繁華街の路上で、売春目的の客待ち行為が頻発していることを受けて、法務省が「買う側」への罰則を加えるなどの「売春防止法」の改正を検討すると報じられている。売春防止法は、「売る側」が公衆の面前で勧誘したり客待ちをしたりすることなどを処罰の対象とするが(以下、公然勧誘罪という)、「買う側」の勧誘行為への罰則はなく、かねてからその点の不平等性が指摘されてきた。
法務省は3月に有識者を含めた検討会の初会合を開き、改正に向けた議論を始めた。この問題は単に、性行為を提供して金銭を得ようとする人々、あるいは金銭の力で他人と性行為をしようとする人々の道徳の欠如といった個人的問題としてのみ捉えるのでは不十分である。なぜなら、それは性の不平等、男女の経済格差、違法あるいは違法すれすれの活動もいとわない性産業などの社会問題と深く結びついているからである。
この問題は、歴史的にも、世界的にもさまざまな議論が行われ、政策が打たれてきた。それらを踏まえて考えてみる。
そもそも男女間の性売買(商業的性行為ないし性行為の金銭的取引)は、人類社会における長い男性優位社会の歴史とともにある。戦前は、日本を含む多くの国で、性売買は政治権力によって法制度上維持されていた。だが欧州の多くの国で、性売買の法制度は、戦前また戦争終結後に市民の粘り強い反対運動により廃止された。
性を売る側は「被害者」と位置付ける国際原則
戦後の国際社会の意思は「性売買制度の廃止」にあり、その考えは1949年に国連総会で採択された国際人権条約「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」(以下、1949年条約)において示された。重要な国際原則なので概要を確認しよう。
・性売買と性売買目的の人身売買は、人としての尊厳および価値に反し、個人、家族および社会の福祉をそこなう(前文)
・本人の同意があっても、他の者を性売買目的で勧誘、誘引すること、他の者の性売買から搾取することは処罰される(1条)。性売買店を経営、管理すること、および事情を知ってそれに融資することは処罰される(2条)
・性売買や人身売買の被害者は、公私の教育、保健、経済機関などを通じて、社会に復帰し適応するための措置を受ける(16条)
これらの諸原則は、同条約に加入しているかどうかを問わず、多くの民主主義国で採用された。日本も、同条約に基づく売春防止法を1956年に制定した。
しかし、日本を含む多くの国で国内法が整備される際、1949年条約の原則から逸脱する一つの条文が盛り込まれた。それが、性を売る側だけに適用される公然勧誘罪である。
上の概要で紹介したように、1949年条約は、性売買を「人としての尊厳に反する」と評価し、性を売る側を「被害者」と明確に表現している。性を売る側が被害者であるなら、公然勧誘行為(そのほとんどは性売買業者に命じられていると考えられる)で処罰されるのは背理である。しかも処罰されるのは売る側だけで、買う側は処罰されないというのでは、二重の背理であると言わざるを得ない。
それゆえ性を買う側を公然勧誘罪の処罰対象に追加することは、二重の背理を一重に減らすという意味があるのは確かである。だが、1949年条約の原則に立つならば、売る側の処罰規定を削除することこそが本当に必要な改正だと言える。
戦後、日本を含む多くの国が「性売買制度の廃止」の諸原則に基づく法律を制定したが、性売買はなくなるどころか、エンターテインメント産業の主要な一角として、陰に陽に存在してきた。そして性を買う男性は、ほとんどとがめられることがない一方で、性を売る女性に対する道徳的非難は根強く継続した。「性売買制度の廃止」を目指した法律は目的を達することができなかったのである。
性売買の廃止原則を強化する国、一方では合法化路線も
この状況を受けて、少なくない国が2000年前後に正反対の方向に法律を改正し始めた。
一つの方向は合法化路線で、オランダ(2000年)やドイツ(2002年)のように、性売買業者の処罰規定を撤廃し、衛生・安全基準を満たす業者に性売買営業を許可するようになった。
もう一つの方向は、性売買制度廃止原則を強化する路線で、スウェーデン(1998年)やフランス(2016年)のように、業者処罰を維持した上で、新たに買春行為を処罰の対象にする買春罪を導入した。性を売る側は不処罰で生活や就業支援を受けられる。買春を犯罪とみなして刑罰を科す一方、貧困などから性を売らざるを得なくなった女性が性産業から抜け出せるよう支援する仕組みは、後に「北欧モデル」と呼ばれるようになった。
これらの法改正が、方向は正反対であるにもかかわらず、いずれも性を売る女性の安全確保や権利擁護に改正の根拠を置いていたという事実は重要だし興味深い。一つの大きな違いは、後者の買春罪導入路線が改正の重要な根拠を「性の平等」の前進(女性の性的従属の解消)にも置いていたのに対して、前者の合法化路線は、その点についてほとんど触れてこなかったことである。
性売買の合法化を求める主張の一部には、「性を売ることは人権の一部だ」とか、「性的サービスを売ることは他のサービス労働と何の違いもない」というものもみられる。だが、より一般的な考えは、「性売買は望ましいものではないが、男女の生理の違いから、性売買は法律で禁止してもなくならない」とか、「性売買はなくせないのだから、行政の管理のもとで、衛生基準を満たした店の営業を認めるほうが、売る側にとってもよい」というものだろう。
「売る側」の収入減少、生活不安という課題
だが業者の活動を合法化した国では、買春客を喜ばせる「過激」なサービス競争が生じたため法律で禁止する必要が生じたり、合法店の周囲に違法店が増え、外国人女性が違法に働かされるケースが増大したりといった状況が報告されている。また、性を売る側への道徳的非難がなくならない一方で、性売買ビジネスで大儲けする経営者が生まれ、性を買う側はこれまで以上に堂々と買春することができるようになったと指摘されている。
これに対して、買春罪を導入した国では、性売買の市場規模が縮小し、人身売買被害の抑止効果も認められ、買春罪への世論の支持も着実に増大したという報告がある。その一方で、買春罪が導入されたことによって、性を売る側の収入が減って生活不安が増大しただけでなく、売る側にとって危険な客が目立つようになり、売る側が以前より苦境に立たされるようになったなどと批判されている。
今後、この分野に関する正確な研究成果の紹介や報道が増えることが期待される。
報道を見るかぎりでは、法務省が設置した検討会において、公然勧誘罪に買う側の処罰を追加するかどうかという論点以外に、何が検討されるのかは定かでない。
最後に、売春防止法の改正をうんぬんする前に解決すべき、長年放置されてきた問題を指摘したい。それは、売春防止法が、女性に客と「性交」させる業者を処罰する規定を置いているにもかかわらず、別の法律がそれを認めているという矛盾である。
その一つは、よく知られたソープランドと呼ばれる個室付き浴場業である。一般に「本番系」などと呼ばれ、それが客と性交をさせる売春防止法違反の営業であることは広く知られている。ところが、それが風俗営業等適正化法(風営法)で性風俗関連特殊営業の一形態として規定され、行政への届出書の提出などを条件に営業が認められているのである。1966年に個室付き浴場の規定が同法に加えられたとき、「公娼制度の復活」との批判の声が上がったのも無理はない。
もう一つは、旧遊郭跡地などにある接待付き料理店で、ここでも売春防止法違法の性交営業が行われているにもかかわらず、風営法で営業が許可されている。性接待をする女性がライトアップされ、店先に座っている様子は、まるで性的商品を陳列するかのようであり、衝撃的である。このようなことが社会的に許されているかぎり、日本に性の平等が訪れることはないだろうと思わせられる光景だ。
売春防止法の改正を言う前に、あるいは少なくともそれと同時に、この分野の基本的法律である同法と他の法律の矛盾を解消し、かつ同法を厳正に運用する方策が議論されるべきだろう。(2026年3月29日掲載)
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中里見博(なかさとみ ひろし)
大阪電気通信大学人間科学教育研究センター教授。専門は憲法、ジェンダー法学。名古屋大学大学院法学研究科単位取得、ミネソタ大学ロースクールLL.M.修了。著書に、『憲法24条+9条』『ポルノグラフィと性暴力』、共著に『ポルノ被害の声を聞く』、訳書に『マテリアル・ガールズ』など。
【性売買、性搾取の問題を考えるために参考となる主なサイト】
「Nordic Model Now!」https://nordicmodelnow.org/
イギリスを拠点にした北欧モデル立法を推進する団体のサイト