【独自】さようなら、ハルウララ…〝113連敗した負け組の星〟が天国へと旅立っていた(FRIDAY)
かつて「負け組の星」として日本中を熱狂させた一頭の馬を覚えているだろうか。’04年に高知競馬で113連敗という前人未到(?)の記録を打ち立て、その〝弱さ〟ゆえに国民的アイドルとなった「ハルウララ」だ。千葉の牧場で余生を送っていたが、9月9日未明、スタッフらに見守られながら、天国に旅立っていたことがわかった。 【画像】牧草を食べたり、砂浴びをしたり…亡くなるわずか2週間前のハルウララ 「8日の朝は糞をしていなかったので、これはちょっとまずいな、と思い獣医さんを呼んで処置してもらって、夜の間も付きっきりで対処していたのですが……。明け方に容態が急変し、そのまま亡くなってしまいました。本当に残念でなりません」 悲痛な声でそう語るのは、ハルウララが繋養されていた『マーサファーム』の代表であり、『春うららの会』代表でもある宮原優子さん(42)だ。 死因は『疝痛(せんつう)』で、食べ物がうまく消化されないことで腸にガスが溜まったり、腸の動きが悪くなると発生する。馬にとって、発生頻度、死亡率ともに高い危険な病気である。ダービー馬のウイニングチケット、サニーブライアン、ロジャーバローズらも、疝痛が原因で亡くなっている。 「ウララは29歳で、人間でいえば90歳近い年齢だったんですが、本当に昨日までは元気でした。それが急に…。最近は日本どころか、海外からもウララを見学に来てくれる方が増えてきてたんですよ。なので、本当に残念です…」(以下、宮原さん) ◆交通安全のお守りにも 本誌が取材のためハルウララのいる『マーサファーム』(千葉県御宿町)を訪れたのは、8月末。記者の前で牧場を走りまわったり、砂遊びに興じる姿を見せてくれていた。29歳という高齢にもかかわらず、その足取りは若馬のようにしっかりしていた。大きな病気もなく、食欲も旺盛。まさかこの2週間後に亡くなるなんて……。いまだ亡くなったのが信じられない。 ハルウララの現役時代は、まさに異例ずくめだった。1998年のデビューから一度も勝てず、連敗街道をひた走る。普通ならとっくに引退させられるところだが、そのひたむきな姿が「リストラ時代」の世相と重なり、「負け組の星」として大ブームを巻き起こした。1着になることがないから「当たらない」と、その単勝馬券は交通安全のお守りとして飛ぶように売れた。 ブームの頂点は2004年3月。当代きっての名手・武豊が騎乗することになったのだ。当日の高知競馬場には1万3000人のファンが詰めかけ、入場制限が行われるほどのパニックに。日本中の期待を背負ったが、結果は11頭中10着。武豊をしてもハルウララにはまったく“歯が立たなかった”のである。 引退後、ハルウララは千葉県や北海道の牧場を転々とするが、最終的に宮原さんの引退場預託施設『マーサファーム』に辿り着く。宮原さんはウララの余生を支えるため、会費制の『春うららの会』を設立。会員を50人と決め、それ以上は募集していない。 「ウララで金儲けをしていると思われることだけは絶対に避けなければ、という思いが強くありました。今の会費で、ウララを養う分には十分なんです」 ◆「感謝の気持ちでいっぱいです」 そんなウララに、予期せぬ転機が訪れた。競走馬を擬人化した大人気ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラクターに選ばれたのだ。作中では、負け続けてもけっして諦めない、明るく健気なキャラクターとして描かれ、再び人気が沸騰。若い世代のファンが牧場に足を運ぶようになった。そして2025年6月、ゲームの北米・ヨーロッパ向け英語版がリリースされると、その人気は世界に飛び火した。 「これまでも中国、台湾、韓国あたりの人たちがけっこう見学に来られていたんですが、英語版が出てから、状況は一変しました。牧場見学の問い合わせメールの送り主が、アメリカ、フィリピン、この間はポーランドからも来ました。最近の見学予約は3分の1ほどが海外の方でした」 日本中を駆け巡ったブームから約20年。多くの人に夢と希望を与え続けてくれたハルウララ。ウララが『マーサファーム』で過ごした時間は、彼女にとってもっとも穏やかで幸せな時間であったのだろう。 「最後までわがままを通してましたよ。疝痛の時は腸を動かさなきゃいけないので、昨日も歩かせようとしたのですが、ウララは『イヤだ。私、歩きたくない』って止まっちゃって。でも、わがままなウララだからこそ、たくさんの楽しい思い出があります。ウララには本当に感謝の気持ちでいっぱいです」 FRIDAY9月26日号では、亡くなる直前の2週間前、牧場で目撃したハルウララの元気だった姿を報じている。 取材・文:酒井晋介
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