どう置いても特定の面が下に来る立体、40年越しの数学的謎を解明

三角の起き上がりこぼしみたいな。

このピラミッドみたいな物体、一見小洒落た文房具屋さんに売ってるオブジェみたいですが、数学的にはすごく大きな意味を持ってるんです。「Bille」と名付けられたこの四面体は、1980年代に存在を予言されていながら、2025年の今になってやっと、形になったんです。

何がすごいかっていうと、どの面を下に向けて置いたとしても、必ず特定の面が底になるように自律的にパタパタと向きを変えていくんです。

Video: Gergő Almádi / YouTube

Billeとはどんなものなのか、研究チームがarXiv上のプレプリント論文で明らかにしています。特定の面が下になるような四面体は「単安定四面体」と呼ばれ、イギリスの数学者・ジョン・コンウェイを中心に1960年代から存在の可能性が議論されていました。

1984年にはコンウェイ自身、単安定四面体が成立しうるという説を提唱したのですが、それはあくまで仮説であって、モノとして作りはしなかったんです。それ以降も、単安定四面体が実体として世に出ることはありませんでした。

今回作られたBilleのモデルは、ごく軽いカーボンファイバーと、非常に重いタングステンカーバイドを組み合わせて作られています。数学界にとってインパクトがあるだけじゃなく、工学的にもミラクルと言われていて、今後いろんな分野での応用が期待されます。ちょうど最近、月面への着陸船の失敗が2件ばかり続いていますが、Billeの技術を応用すれば「着陸に失敗してもひとりでに正しい向きに戻れる宇宙船」とかが可能になるかもしれません。

単安定四面体の検討

今回発表された論文によれば、コンウェイは1966年、「均質(訳注:特定の部分に重しなどを与えない)な四面体は、どんな形でも、少なくともふたつの面で重力的に安定せねばならない」(単安定四面体はありえない)かどうかについて、数学界向けコラムの中で他の研究者の見解を求めました。そして彼は1984年、特定の面を重くした「不均質」な四面体をしかるべき形で作れれば、単安定になりうるという考えを示していました。

コンウェイのアイデアは次世代の数学者に引き継がれましたが、今回の論文共著者でカナダのセント・メアリーズ大学教授のロバート・ドーソン氏もそのひとりです。彼は1980年代、鉛箔(鉛のシート)と竹で四面体を作り、コンウェイの予言を実証する一歩手前まではいっていました。

でも私の記憶では、角運動量があるからなんとか成立する程度でしかありませんでした。

ドーソン氏は米Gizmodoによる取材の中で振り返りました。

走っている車が凸凹にさしかかったとき、角運動量があるから乗り越えられるのと同じ状態です。でも、凸凹の直前から発進するとしたら、発進が難しいのではないかと考えました。

つまり、何らかの勢いがあれば重い面が下になるよう動けるのだけど、静止状態から勝手に動き出すところまではいかなかったようです。

単安定四面体は、本来は外から押されたりしなくても「底」となる面を下にすべく自律的に向きを変えるはずです。そんなコンウェイの理論は、「クールだけどありえなさそうな数学的アイデア」として片付けられそうになっていました。

gömböcからBilleへ

でも3年前、ブダペスト大学の数学者・Gábor Domokos氏と彼の学生のGergő Almádi氏がドーソン氏にコンタクトしてきました。Domokos氏は幾何学のバランス問題に関するエキスパートで、2006年には起き上がりこぼしのように2点でのみバランスがとれる「gömböc」という立体形の存在を証明し、さらに実物としても作り出していました。

Image: Gábor Domokos

gömböcは、興味深い発見ながら面の数が多く球に近いので条件的には比較的易しい、とDomokos氏は言います。物体の面が少なく、それぞれの面の角度が狭くなるほど、単安定な形を作るのは難しくなるそうです。

たとえばサイコロは六面体ですが、「公正なサイコロなら、各面に着地する確率は同じになるはずです」とDomokos氏は説明します。誰かがズルをしてサイコロに重しを入れたりしても、着陸する面の確率は微妙に変化するだけで、重しを入れた面が100%下になるとは限りません。

一方Billeには全面に鋭角があって、単安定性という意味では「最難題、最高のカテゴリー」とされます。そんななか、研究チームが奇跡を起こしたんです。

論文共著者のひとり・Gergő Almádi氏は数学の専門家ではなく、建築学を専攻する学生です。彼はBilleが取るべき形状を理論モデルから計算し、「非常に重い素材と、空気のように軽いパーツ、そしてほぼ空洞のスケルトン」を組み合わせることにしました。底面には鉄の2倍重いタングステンカーバイドを採用し、スケルトンはカーボンチューブを使いました。

ただ、計算通りに作ったはずが、Billeはなかなか特定面だけに着地せず、別の面を下にすることも続きました。やっぱり単安定四面体なんて無理なのか…?と思いかけた頃、Domokos氏が気づきました。Billeの一点に、接着剤の小さな塊が付いていることに。その接着剤をはがしたところ、ついに狙い通りにBilleが転がり、重い面を底にしたんです。

Billeは数学的理論とエンジニアリングの奇跡で作られましたImage: Gergő Almádi

Billeの開発においては、エンジニアも非常に大きな役割を果たしたとDomokos氏は言います。「彼らは皆、創造プロセスの一部でした。幾何学、エンジニアリング、技術デザインのすべてがぴったりとそろう必要があったのです。どれを除いてもうまくいかなかったでしょう。」

最初のモデルがまぐれあたりでないことを検証すべく、Domokos氏のチームはBilleをもうひとつ作って確認しました。とはいえ、Billeは一般の人が再現できそうなものではありません。「これをやる人には幸運を祈ります」と彼は冗談めかして言います。

でもこれから取り組む人は、私たちより有利です。我々は、できるかどうかもわかなかったのですから。

どう使われていく? そしていつ?

Domokos氏は、Billeが今後どう受け止められていくかをとても楽しみにしています。Domokos氏にはgömböcでの経験があったため、Billeを単にモデリングするだけではとどめたくなかったそうです。美しい数学的ブレークスルーの多くがそうであるように、gömböcは美術家コミュニティや自然科学者から愛され、カメの甲羅に似ているなどとして関心を集めました。

たとえば製薬会社のNovo Nordiskが、マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学との共同で、gömböcのデザインを活用した、インシュリン注射の代替となるカプセル薬を開発しました。このカプセルを使うことで、一般的なカプセルでは胃酸に分解されてしまっていた薬の成分を体内に届けることができ、量的にも注射と同程度を達成できたそうです。

今年、Intuitive Machinesの月着陸船Athenaが着陸中に転覆し、ミッション打ち切りとなりました。Image: Intuitive Machines

「それはあまりに奇妙で、SFのように聞こえました」とDomokos氏。

gömböcでの経験から、私はフィジカルなモノが非常に重要だと学びました。世の中には賢い人はたくさんいますが、彼らが数学を得意としているとは限りません。でもそういった人たちは何かを見て、彼らの中でさまざまな連想をしてくれることがあるのです。

といっても、Billeの技術がいつか月着陸船で使われるのか、使われるとしてもそれがいつになるか、まったくわかりません。

(数学者が)何かを開発すると、テクノロジーがキャッチアップしてくれるまで待つ必要があります。それには100年かかることもあれば、10年のこともあります。数学は常に、少しだけ先を行っているのです。

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