ウクライナ全面侵攻開始から4年、ロシアの人たちへの影響は BBCロシア編集長
この記事は約 10 分で読めます
スティーヴ・ローゼンバーグ ロシア編集長(ロシア西部リペツク)
冬のイェレツは一見すると、まるでロシアの童話に出てくる光景のようだ。
堤防からは正教会の黄金のドームが見える。その下では、凍った川に点々と、氷上釣りをする人たちの姿がある。
しかし、モスクワから南へ約350キロあるこの町では、おとぎ話みたいだという感覚は、はかなく消えていく。
私は川岸で、兵士募集の看板を見つけた。ウクライナでの戦いに参加するなら誰でも、約310万円相当の一時金が支払われると約束している。
すぐ近くには、カラシニコフを構えるロシア兵のポスターがある。
「我々は必要な場所にいる」。添えられたスローガンは、そう宣言している。
クレムリン(ロシア大統領府)がウクライナへの全面侵攻を開始したのは、2022年2月24日のことだ。ロシア国外ではそれを、こう受け止めた。ロシアがウクライナをモスクワの勢力圏に引き戻し、冷戦後のヨーロッパの安全保障体制全体を覆そうとしていると。
ロシア指導部は、軍事作戦は短期間で成功すると想定していた。
あれから4年後、ウクライナに対するロシアの戦争は続いている。ここロシアでは「大祖国戦争」として知られる、ナチス・ドイツがソヴィエト連邦に対して行った残虐な戦争よりも、長いこと続いている。
その結果、どうなっているのか。この町では、その一端を目にすることができる。
イェレツにある9階建てアパートの片側一面を、巨大な壁画が覆っている。そこにはウクライナで戦って死亡した5人のロシア兵、地元出身の男たちの顔が描かれている。
一番上には、「ロシアの英雄たちに栄光あれ!」と描かれている。
ロシア当局は、いわゆる「特別軍事作戦」による犠牲者数を公表していない。しかし、ロシア軍が戦場で甚大な数の兵を失っていることは知られている。私がこの2年間で訪れた町村のあまりに多くに、ウクライナで死亡した兵士に捧げられた博物館や記念碑があった。各地の墓地には、新しく戦死した兵士専用の区画が設けられていた。
「友人の夫が、あそこで戦って殺された。いとこの息子も。そして孫も」。壁画の前で立ち止まり、私の相手をしてくれたイリーナさんはそう言った。
「多くの人が殺されてしまった。この子たちはかわいそう」
イリーナさんは、バス停で切符を集める係をしている。生活は苦しい。
「公共料金が、本当につらい。物価に押しつぶされそう。なんとか暮らすだけでも、本当に大変」
金銭的に厳しい状況にもかかわらず、イリーナさんは前線のロシア兵に送る支援物資の取りまとめに協力している。彼女はウクライナでの戦争を批判しない。しかし、戦争には困惑している。
「大祖国戦争では、私たちは何のために戦っているのか分かっていた」とイリーナは言う。「今は、何のために戦っているのか、よく分からない」。
ウクライナとの国境は、ここから250キロ先にある。しかし、前線をずっと身近に感じることもある。ここリペツク州は、ロシアの多くの州と同じように、ウクライナのドローン攻撃を受けている。イェレツ周辺では、当局が緊急避難用のシェルターを用意している。私はバス停や公園でそれを見つけた。
シェルターはコンクリート製の構造物で、まるでウラジーミル・プーチン大統領の「特別軍事作戦」を顕彰する記念碑のように立っている。クレムリンがウクライナ全面侵攻を始める前は、こうしたシェルターなど必要なかった。ロシアがドローン攻撃を受けることなど、なかったからだ。
「サイレンはほぼ毎晩鳴る」とイリーナさんは説明する。「でも私は建物を出ない。窓のない廊下に行くだけ」。
イェレツでは、思いもよらない場所に戦争の痕跡を見つける。地元のパンケーキカフェの名前に、「特別軍事作戦」を表すラテン文字の「V」と「Z」が使われているのに気づく。
外の看板にはこう書かれている。「パンケーキをどうぞ。それから全世界を」。
わたしは面食らった。しかし続いて、ウラジーミル・プーチン大統領が前に口にした言葉を思い出す。
「ロシア兵の足が踏む場所は、私たちのものだ」。大統領は昨年、サンクトペテルブルクでそう宣言した。
2年前のモスクワで私は、大統領の次の言葉が電光掲示板に表示されるのを見た。「ロシアの国境に果てはない」。
戦争は財政を枯渇させる。財政赤字が拡大し、経済が停滞する中、ロシア政府は付加価値税を20%から22%に引き上げた。財務省は、追加歳入が「防衛と安全」に使われると説明している。
ロシアの国営テレビは、理解を示すよう国民に呼びかけてきた。
「今は戦時下だ。西側に押しつけられた戦争の渦中だ」。テレビのドミトリー・キセリョフ司会者は視聴者に向かってこう述べた。「私たちは勝つ必要があるし、戦争予算なしにはやっていけない」。
小規模ビジネスは苦しんでいる。イェレツのパン屋は、焼き立てのレーズンパンやスコーン、クリームパンの香りであふれ、うっとりするほどだ。しかし、店はロシアの景気後退と増税の打撃を受けている。
「値上げするしか、どうしようも得なかった」と店主のアナスタシヤ・ビコワさんは言う。「公共料金と家賃と税金が全部上がった。付加価値税の引き上げで材料費も上がった。
「みんな閉店するしかなくなったら、どうなります? このパン屋も、向かいのレストランも閉まったら。私たちはこの町をよく見せようとしている。でも閉店したら? 暗い灰色のものが並んでいるだけになる」
イェレツから車で1時間、州都リペツクでは、戦争の影響をさらにあちこちで目にする。戦争関連のポスターやシェルターがますます目につく。
しかし、イワン・パヴロヴィッチさんが今、自宅アパートの階段の踊り場で気にしているのは、漏れている配管の方だ。壁には氷がはりついているし、エレベーターも動かない。
年金生活者のパヴロヴィッチさんは、誰もエレベーターを直しにこないと怒っている。物価高や光熱費の上昇にも憤っている。
「自分が若かったら、自分も行って戦っていた」。パヴロヴィッチさんはこう言う。「特別軍事作戦は素晴らしい。ただ物価が上がり続けているんだ」。
「年金が増えても、その後に物価はもっと上がる。となると、何が手元に残る? 何も残らない」
「もちろん、特別軍事作戦がなければ、暮らしはもっと楽だったはずだ」とも、パヴロヴィッチさんは言う。「そじに金をたくさん使っているから。みんなできる限り寄付している。応援しないと。私は文句を言っているわけじゃない」。
生活が厳しくなっていると、ロシアの人たちは感じている。状況を変える力が自分にあると考える人は少ない。戦争が5年目に突入する中、楽観的な見方をする人ははほとんどない。
ここでは、多くの人はただじっと身を縮めて、物事がもっと良くなるのを待っているのだ。