「あんたら悔しくないのか」(237)
高市早苗政権は2027年度、内閣広報室の予算を72億3000万円に増やす。今年度の10倍だ。
しかし、そんなに広報予算を増やさなくてもいいのではないか。プロパガンダなら、マスコミ各社がしっかり担ってくれる。今週のマスコミ報道は、戦時下の日本を想起させるものだった。部数が約500万部で、新聞では最も大きい読売新聞は以下の見出しで報じた。
「軍民両用」産業育成へ/継戦能力確保/年内に戦略策定(10月25日朝刊)
同志国と有事2国間協議/弾薬融通や情報共有(10月26日夕刊)
「外国干渉防止」来年法案/政府検討 代理人登録、罰則も(10月27日朝刊)
安保3文書 「拒否力」防衛の柱に/政府調整/攻撃遂行を阻止(10月28日朝刊)
記事の中身にも、批判精神はまるでない。
軍民両用で産業を育成するということは、民間企業を戦時体制に組み込むことであり、金儲けのために戦争を欲する「軍産複合体」への道だ。しかし読売新聞は、「有事の生産能力を確保しつつ、経済も活性化させる『防衛と経済の好循環』の実現を図る」と持ち上げる。
「外国干渉防止法案」とは、要は「スパイ防止法」のことだ。言論の自由を制限する恐れから、1985年に国会で廃案になった。
だが読売新聞は、政府が「日本にある外国公館の指示を受けた個人によるプロパガンダ(政治宣伝)拡散など、国内外の実例を紹介し、『法制整備が早急に必要だ』と訴えた」と書く。プロパガンダを拡散しているのは読売新聞の方だ。自己矛盾に陥っている。
分断統治
読売新聞だけではない。マスコミ各社は五十歩百歩だ。多少の抵抗は見せても、政治経済権力と真っ向から闘いを挑み、闘い抜くマスコミはない。
原因は、現場の記者と経営陣をコントロールする二つの構造にある。
現場の記者をコントロールするのは、記者クラブを利用した分断統治だ。
日本は三権分立を謳いながら、行政が圧倒的に強い。情報も行政に集まるので、マスコミ各社は、省庁や県庁、警察など行政機構の記者クラブを拠点に情報を得ようとする。行政側は情報をエサに各社の記者を競わせる。「明日分かることを今日報じる」競争に釘付けにしておいて、肝心な情報は隠す。リークする情報は、行政が誘導したい政策に関するものだから一石二鳥だ。
読売新聞の10月25日の記事「『軍民両用』産業育成へ」は典型的だ。10月27日に政府が表明することなのだが、他社より先んじるため「複数の政府関係者が明らかにした」ことを根拠に、さもスクープかのように報じた。記者の手柄意識と、高市政権の利害が一致しているのだ。
経営陣は、政治経済権力に依存することでコントロールされている。
新聞は食料品以外で唯一、消費税8%の軽減税率が適用されている。様々な生活必需品には適用されないから理屈に合わない。軽減税率を適用した当時の財務省の幹部は、安倍晋三首相の意向だったことを私に明かしている。無理筋を承知で適用を決めたという。部数減に頭を悩ます新聞は、政治権力からの毒まんじゅうを食べてしまった。
民放テレビ局は、収入のうち広告料金が8割から9割を占めるから、スポンサーには頭が上がらない。政治権力からも、放送法を持ち出される危険性をはらんでいる。高市氏が総務大臣の時に「政治的公平性」を曲解し、電波停止を命じる可能性に言及したのはその例だ。
NHKは放送法上、予算や経営委員の人事について、政府と国会を通す仕組みになっている。政治権力とは闘えない。
構造の奴隷から脱出しない限り
ここ数年、取材先でちょくちょく耳にする言葉がある。
「マスコミの中でも頑張っている記者さんは応援しなきゃ」
新聞社やテレビ局にも、良心的な記者はいる。だが会社の圧力で思うような報道ができない。そういう記者たちを外から応援して、ジャーナリズムを全うできる手助けをしようという趣旨だ。
気持ちは分かる。会社がダメならば、個々の記者を応援するしかない。社内での理不尽を嘆きながら、意気消沈したり自分を鼓舞したり。そんな記者を前にすると、応援しようと思うのが人情だろう。
Tansaを創刊して10年、私も良心的なマスコミの記者やディレクターの嘆きを聞いてきた。酒を酌み交わしながら傾聴し、鼓舞することも多かった。皆、その場では高揚していた。
だがその後、マスコミの現場に戻ってジャーナリズムを実践することはなかった。途中まで頑張る人はいたが、途中で折れた。
ふと、思うようになった。
「マスコミの記者やディレクターは、構造の奴隷なのではないか」
政治経済権力にがんじがらめにされるのが、マスコミの構造だ。その構造の中に身を置く限りは手足を鎖で繋がれて、どんなにもがこうと何もできない。
ジャーナリズムを貫くためには、手足の鎖を断ち切って構造の内側から外へ飛び出すしかない。外に出て、新しい構造を自らの手で築くのだ。
10年ちょっと前まで朝日新聞にいて、私も構造の奴隷だった。だが、ハッとする読者の声に触れた。
朝日新聞は2014年9月11日、木村伊量社長が記者会見を開き、吉田調書報道を取り消して謝罪した。1面トップの見出し「所長命令に違反 原発撤退」という表現が、読者に「東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与えた」ことが理由だった。記事の主眼は、「いったん原発事故が起きると誰も事態をコントロールできなくなる」ということであり、記事を取り消すのは間違っている。
しかし、新聞社のトップが「間違った記事だった」と頭を下げた。朝日新聞には読者からの苦情が殺到した。読者窓口の「お客様オフィス」ではいつもの担当者だけでは人が足らず、各部署から応援に入った。私も電話で苦情を受け付ける仕事を手伝った。取材班ではないとはいえ、記事を出したのは私が所属する特別報道部だ。
お客様オフィスで私が受話器を取ると、いきなり男性に怒鳴られた。
「なんでへこへこ謝るんだよ」
男性は福島在住の63歳。東電の職業訓練校である東電学園を卒業後、東電で働いたこともある建築士で、朝日新聞の50年来の読者だという。義母は原発事故後、6カ所の施設を転々とし、いわき市の高齢者施設で90歳で亡くなった。「年寄りはたらい回しにされると認知症が進むし、弱るんだよ。原発事故の関連死で何人の老人が亡くなったと思ってるんだ」。
福島の読者の怒りは、ジャーナリストたちへの期待の裏返しのようだった。「あんたら悔しくないのか」と次のように語った。
「今回のような謝り方をしていると、2回目の原発事故が起きた時に『あの時批判したのに』と朝日が言えなくなるぞ」
「第二次大戦の時は、良心的な人が牢屋に入り、新聞は戦争を煽った。同じ失敗を繰り返すのか。今回は第二次大戦の時に匹敵するくらい『ペンは力なり』を試されている時だと俺は思う。普段は駄文を書いても許すよ。ここぞという時に踏ん張って勝負しなきゃ。しっかりしろよ」
そして1時間ほど私と話をした最後に、こういって電話を切った。
「こんなところで、くそじじいの話を聞いているようじゃだめだ。今から外に出て働いてこい」
私は感動すると共に、手足を鎖で繋がれて、会社のために苦情対応をしている自分が情けなくなった。何をどうしていいのかはまだ分からないが、とにかく鎖を断ち切って外に出よう。そう思った。
福島の読者に「『ペンは力なり』を試されている時だ」と言われてから12年。マスコミは益々、国策広報機関へと堕ちて戦争を煽っている。
万難を排し構造の奴隷から脱出しない限り、展望は開けない。
編集長コラム一覧へ