91歳で旅立つ前日まで晩酌を満喫…大崎博子さんが実践していた「高齢でもヨボヨボにならない」自炊テク4選 70代に胃がんで胃の3分の2を切除したが…
今年の7月に91歳で亡くなった、21万人超のフォロワーをもつインフルエンサー大崎博子さんは、亡くなる前日まで毎日かかさずXへの投稿をつづけていた。どうすればそんな理想の旅立ちができるのか。娘の大崎夕湖さんとの共著『幸せな最期を迎えた91歳ひとり暮らしの食卓』から大崎さんの食生活を紹介する――。
※本稿は、大崎博子・大崎夕湖著『幸せな最期を迎えた91歳ひとり暮らしの食卓』(宝島社)の一部を再編集したものです。
最後の言葉は「おやすみなさい」
1932(昭和7)年、茨城県生まれ。
散歩、太極拳、麻雀、Netflixでの映画やドラマ鑑賞、そして、日々の晩酌を楽しみに暮らす大崎博子さん。2DKの都営住宅団地に住む、ごくふつうのおばあちゃんの生活は、2010年、78歳のときにパソコンと出会い、東日本大震災直後にTwitter(現・X)を始めたことで、大きく変わりました。
後期高齢者という呼び方はどこかネガティブだからと、自ら「高貴香麗者」という造語を作り、心と体の健康を意識しながら、おしゃれを忘れず、今この瞬間を前向きに生きることをモットーにしていた博子さん。
「おいしいお酒を飲むために、今日は何を作ろうかしら」
料理を考える時間、作る時間、そして、お酒と一緒に好きなものを食べる時間を楽しんでいた博子さん。
撮影=林ひろし
そんな博子さんが、2024年7月23日、自宅のベッドでひっそりと息を引き取りました。
亡くなる前日も変わらず、Xに晩酌の様子を投稿し、フォロワーさんに向けた「おやすみなさい」の挨拶が最期の言葉となりました。
まさに「ピンピンコロリ」の旅立ちです。
【6/6~7/22】晩酌の写真を毎日投稿
以下2つは、娘さんの言葉です。
「Xに投稿するようになってから、より食事の彩りを考えるようになったと話してくれました。17年前に胃がんになってから、食生活にすごく気をつけていた母は、食事の彩りをよくすることで栄養バランスもよくなると考え、体にいい食材を積極的に取り入れていました。投稿用に写真を撮る時に、「このお皿のほうがいい」「赤が足りないからトマトを足そう」「緑は左側に入れたほうがきれい」と、考えるのが楽しいと言っていました」
「ひとりで食べるだけじゃなくって、Xという場を通じて共有することは、右脳を使う芸術的センスが養われるような気がします。脳にも健康にもいいことだと思っていました」
日課のLINE電話で娘さんと「じゃあまたね、おやすみ」と会話したのが最後で、それはいつもと何も変わらなかったそうだ。
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本記事は11月22日に発売したばかりの博子さんの新刊でありレシピ本『幸せな最期を迎えた91歳 ひとり暮らしの食卓』(宝島社)内のインタビューの一部を引用、編集したものですが、博子さんはその本ができる前に旅立たれました。以下は博子さんから引き継ぐ形で本を完成させたという娘さん、夕湖さんの言葉です。
ある夜のLINE電話で、母から新しい本の企画があることを聞きました。Xに毎日の食事を投稿するようになってから、その反響も喜んでいた母だったので、私は素直に喜ばしく思い、「いいんじゃない、やってみたら?」と答えたんです。
まさか、その本ができる前に旅立ってしまうとは思いもしませんでした。
ロンドンから帰国して、母の家に到着したとき、ふと壁にかかっていたカレンダーに目をやると、そこには先々の予定がいくつも書き込まれていました。健康麻雀の日、友人との食事、通院の予定。そして、本や雑誌の取材。日々を楽しんでいた母の暮らしを想像し、切ない気持ちがあふれました。
そして今回、私自身が母から引き継ぐような形で、本づくりをしてみて、90歳で取材を受けて、原稿をチェックして……というのが、どれほど大変だったかということを実感しました。
大崎博子・大崎夕湖著『幸せな最期を迎えた91歳ひとり暮らしの食卓』(宝島社)
麻雀でもただ楽しむだけじゃなくて「勝ちたい」という思いがあったように、「やるからには多くの人に届けたい」という熱意が母を動かしていたのかもしれません。
「博子さんから元気をもらっています」 「大崎さんをお手本に頑張ります」
そんな声をいただいて、母は本当に喜んでいました。
この本も、今の生活に悩んでいたり、老後の不安を抱えていたりする人にとって、何か少しでも役に立てたら、という気持ちで考えていたはずです。
そんな母の想いを形にできたとしたら、こんなにうれしいことはありません。みなさんの食卓が、いつもより楽しく、豊かなものになりますように。
空から見守ってくれている母、いつも支えてくれる家族、母とつながってくださったすべての人に、心からの感謝を込めて。
大崎夕湖