プーチン氏、択捉島なぜ訪問? ウクライナ視察は却下 日本のナイーブな期待が破綻【地球コラム】

 ロシアのプーチン大統領が2026年8月13日、北方領土の択捉島を訪れた。1945年の旧ソ連による北方領土占領後、最高指導者として初の視察であり、日ロ関係の一線を超えた形だ。これで日本政府がプーチン政権と領土交渉を行うことは事実上不可能となったが、訪問はある程度想定されており、サプライズとは言えない。謎はむしろ、ロシア軍がウクライナで苦戦を強いられているこの時期の訪問強行というタイミングにある。(拓殖大学客員教授 名越健郎)

  ロシアの無料メッセージアプリ「テレグラム」で発信する情報チャンネル「クレムリンのたばこ入れ」(8月14日)によれば、クレムリン(大統領府)の消息筋はプーチン氏の極東訪問について、「9月の下院選を前に、与党・統一ロシアの支持率向上とともに、大統領が生粋の課題を把握していることを示すキャンペーンの一環だ」と語った。

 同チャンネルによれば、側近らはプーチン氏に、燃料・電力不足が深刻なクリミア半島やウクライナ東部ドネツク州の訪問を提案した。しかし、要人警護に当たる連邦警護庁(FSO)が安全上の懸念から反対し、プーチン氏も提案を退けたという。

 9月18~20日に投票される下院選を前に、与党の支持率は30%と、ウクライナ侵攻後の最低水準にあり、与党はプーチン氏を前面に出して選挙戦を戦っている。しかし、視察地域はシベリア、極東が多く、ドローンの飛来するウクライナ周辺は避けている。

「愛国的なリーダー」誇示も…

 プーチン氏は2024年1月、「クリール(北方領土)はユニークな場所と聞いており、必ず訪問する」と述べていた。2020年に領土割譲禁止を盛り込んだ憲法改正を実施。ウクライナ戦争に伴う日本政府の対ロシア制裁の報復として、平和条約に関する交渉を中止していた。

 プーチン氏は「戦勝80周年」の2025年にも、択捉島を訪れるとの情報があった。クレムリンの先遣隊が視察していたが、訪問はなかった。

 今回、地方視察の一環として13年ぶりにサハリン州を訪れ、地元指導部の要請や好天だったことで急きょ実現させたとみられる。天気のファクターも重要で、プーチン氏が島民に「いい天気で、保養地のようだ」と述べると、女性が「こんなことはめったにない。いつも悪天候です」と答えていた。

 プーチン氏は「係争地を訪れる愛国的な指導者」をアピールしたかったようだが、国民の関心は、ウクライナ軍のドローン攻撃によるガソリン不足や大手通販倉庫炎上などウクライナ戦争にある。北方領土問題には無関心で、これで大統領と与党の支持率が上昇するとも思えない。

関係の改善機運が吹き飛ぶ

  日ロ関係がやや改善の兆しがみられる中での訪問強行も意外だった。

 高市早苗首相は岸田文雄元首相と違って、ウクライナ支援にさほど熱心ではなく、ロシアを「長期的な脅威」と位置付けた7月の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議も欠席した。高市政権は日中関係悪化やトランプ政権の親ロ外交、ホルムズ海峡危機に伴う石油危機を受けて、一定の対ロ融和外交を模索し、文化・学術交流の拡大を進めていた矢先だった。

 5月に東京で開かれた「ロシア文化フェスティバル」の開会式に参加したシュビトコイ・ロシア大統領特別代表(国際文化協力担当)は、世耕弘成元経済産業相、西村康稔元経済再生担当相ら故安倍晋三政権の要人らと会談。旧安倍派をてこに関係改善を図ろうとした。

 ロシア側は日ロ間の直行便再開や制裁の部分緩和を求めていたが、高市首相はプーチン氏の択捉島視察を受け、「日本国民の感情を傷つけるもので、断じて許容できない」と非難。日ロ関係の改善機運は吹き飛んだ。

 プーチン政権は2006年頃から、北方領土の戦略的価値に注目し、インフラ開発を進め、要人や閣僚らが頻繁に視察した。それでもプーチン氏は訪問を避けていたため、領土問題の解決に柔軟であると日本側はナイーブな期待を寄せていたが、騙された形だ。

中国の対日圧力に連携か

 プーチン氏がこの時期に択捉島訪問を強行した最大の要因は、中国の政策に同調する狙いだった可能性もある。

 米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」(2026年8月13日)は、日本の防衛力拡大や日米同盟の強化を目指す高市政権の政策に反対する中ロの共同歩調が背景にあると伝えた。それによると、台湾有事を巡る昨年11月の高市首相発言に中国が激怒して以降、「新型軍国主義」批判にロシアや北朝鮮が同調するようになった。

 中国の呉江浩駐日大使とロシアのノズドレフ駐日大使は13日、「中国とロシア―共に新たな高みへ」と題する共同声明を出し、「ナチズムや日本軍国主義との戦いを勝利に導いた中ロ両国民の貢献は戦後秩序の基礎を築いた」とし、大戦の戦果を改ざんする試みや歴史修正主義に反対すると表明した。

 内容は長文の割に新味はないが、中ロの駐日大使が連名で、プーチン氏の択捉島訪問直後に声明を出すのは異例だ。

 中国外務省によれば、王毅外相は昨年12月以降、ロシアのラブロフ外相やショイグ安保会議書記らと会談を重ね、「日本に関する問題で調整し、高いレベルの合意に達した」という。ウクライナ戦争後、ロシアは中国のジュニアパートナーとして、対中一辺倒の外交が目立つ。プーチン氏の択捉島視察には、中国の対日圧力に連携する狙いもありそうだ。

失敗続き、外務省改革も必要

  プーチン氏は今回、サハリン州における太平洋艦隊の軍事演習最終日を視察し、その翌日に択捉島を訪問した。極東における安全保障戦略の一環として、軍事要塞化する択捉島を訪れた形だ。

 北朝鮮が、ウクライナと戦うロシアに3万~5万の兵力を派遣するとの情報もあり、ロシアは東アジアで中国、北朝鮮と結束し、日本を敵視するとのメッセージかもしれない。

 ウォール・ストリート・ジャーナルは、プーチン氏の北方領土視察は、日本と中朝ロ三国の関係が緊張していることを示す最新の兆候だと伝えた。

 日本外務省はかつて、「永遠の日中友好」「永遠の中ソ(中ロ)対立」というナイーブな期待を夢想したが、いずれも無残に破綻し、日本の安全保障上の危機がかつてなく高まった。外交力強化のためには、失敗続きの外務省改革も必要だろう。

【筆者紹介】名越 健郎(なごし・けんろう)東京外国語⼤学ロシア語科卒。時事通信社 でモスクワ、ワシントン各特派員や外信部⻑などを歴任。『ジョークで読み解く「ロシア近現代史」』(PHP新書)、『ゾルゲ事件80年目の真実』(⽂春新書)など著書多数。

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